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2016年7月2日土曜日

エリトリア2008 アスマラ到着

2008年12月にエリトリアを訪れた。私にとってはじめてのアフリカ大陸。はじめてのアフリカにエリトリアというあまり聞き慣れない国を選んだのは,どうしてか。ネット上での評判に加え、彼の国の音楽に対する興味が動機として大きかった。はるか昔の「エリトリア解放戦線」の記憶が残っていたこともあるかもしれない。

エリトリアの音楽が好きになってエリトリア行きを決めたのか、それともエリトリア行きを決めてからエリトリアの音楽を聞き始めたのか、今となっては判然としない。おそらくエリトリアという国への興味からエリトリアの音楽を聞き始め、音楽に入れ込んだことからエリトリア行きの決心が固まったいうのが真相に近いだろう。

東京にはエリトリア大使館があり、ビザは郵送で簡単にとれた。問題は航空券。日本からエリトリアの首都アスマラまでの直行便はもちろんない。もっとも安いのはエジプト航空だが、カイロからアスマラまでは週に2便しかなく、カイロで何日か滞在せざるをえない。エジプトに興味がないわけではないが、タイトなスケジュールを考えればこれは避けたかった。エリトリアとエジプトという2つの未知の国を1週間余りで訪れるのはきつすぎる。

値段はエジプト航空の倍以上するが、フランクフルト発ジッダ(サウジアラビア)経由アスマラ行きのルフトハンザ便を利用する方法もあった。スケジュールからしてこちらのほうがいいだろう。はじめてのアフリカ大陸だ。値段には目をつむろう。この便も関空からはそうスムーズではなく、フランクフルトで1泊することになる。

2008年12月21日に関空を飛び立ち、フランクフルトで1泊(ナイトマーケットのクリスマスセールを見物した)。アスマラ空港に到着したのは22日の深夜だった。12時を過ぎていたから正確には23日の早朝。

空港では手持ちの現金をすべて申請することになっていた。米国ドル、ユーロ、日本円をバッグやポケット、マネーベルトに分散して収納していた私は、いちいち調べる手間を省き適当に申請しておいた。これがあとで出国するときにトラブルの原因になろうとは。エリトリアは当時(たぶん今でも)外貨の流通を厳しく規制しており、闇で両替したことがばれると外国人でも2年間の懲役が課せられるとのことだった。公式レートが実勢レートと大きく乖離しているから、こうしたコントロールが必要になるのだろう。

深夜にもかかわらず空港の外にはかなりの数のタクシーが待機していた。市内までの料金はガイドブック(Lonely PlanetとBradt)に記載されているとおりだった。タクシーはひと気のないアスマラの街に入り、夜中の1時過ぎにKhartoum Hotelに到着した。ガイドブックで目星を付けておいたホテルだ。予約はしていなかったが、部屋は空いていた。大きなツインのルームでトイレとシャワーは共用。値段はよく覚えていないが、確か日本円で1500円くらいだった。実勢レートならもっと安いだろう。Khartoumはスーダンの首都ハルツームだ。スーダンの資本が入っているホテルだと聞いたような気がするが、確かではない。

翌朝、ホテルの近くのカフェで、紅茶とパン、蜂蜜とチーズの朝食をとる。アフリカ大陸でとるはじめての食事。

エリトリアは国内のどこでも自由に旅行できる国ではない。外国人が首都のアスマラから離れるには許可証が必要になる。今回の旅行では紅海に面するアスマラ第2の都市マサワも訪れる予定だったから、まずその許可証を入手する必要がある。

許可証を発行する事務所は街の中心部にあり、Khartoum Hotelから歩いて行けた。9時ごろに手続きをしたが、許可証が発行されたのは午後2時ごろだった。できれば今日のうちにマサワに移動したかったが、バスもなく難しいとのことだったので、アスマラにもう1泊することにした。

はじめてのアスマラ、はじめてのエリトリア、はじめてのアフリカ。目に入るすべてがめずらしい。もっともエリトリアは「アフリカらしくない」というもっぱらの評判だった。街路にはゴミが落ちておらず、人々はちゃんと列をつくって待つ。確かに街はきれいだった。アフリカの他の国を訪れたことがないから、これが「アフリカらしくない」ことなのかどうかはわからなかった。

アスマラのメインストリート

物乞いもいないということだったが、これはあたっていなかった。物乞いはほぼ街角ごとに見られた。幼い子を抱えた女性の物乞いが多かった。物乞いは政府によって禁止されているとの報道も読んだことがあるが、世界最貧国の1つである経済状況では禁止しようにも禁止できないのだろう。

Institute Francaisがあったので入ってみる。ここではフランス語の講座を開催している。授業を見学したかったが、言い出しかねた。図書室で雑誌を読んでいる青年がいたので声をかける。

青年と一緒にカフェに入り、音楽の話などをしたあと、エリトリア料理のレストランに案内してもらう。エチオピアと同様、エリトリアの主食もインジェラだ。日本人にはあまり評判のよくないインジェラだが、私は特にまずいとは思わなかった。おいしいというわけでもなかった。米やパンがそれ自体としては特別においしくもなくまずくもないと同じだろう(もちろん例外的においしい米やパンも存在するが)。ビールはメニューにはあったが、提供していないとのことだった。おいおいわかってきたことだが、地元のビール工場は原料不足から生産を停止していた。中国の青島ビールなどを出しているレストランもあったが、輸入量に限りがあるので、数は少なかった。

エリトリア伝統料理のレストランの内部

青年と別れたあと、さらに街を一巡し、市場や正教の教会などを訪れる。夕暮れの街並みが美しい。再度カフェに入り、カプチーノとエクレアを注文したりもした。飲み物も食べ物も安いので、値段をあまり気にせずに注文できる。

エリトリア正教の教会

レストランで夕食としてハンバーガーを食べ、宿に戻った。明日はマサワに行く予定。

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