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2017年5月4日木曜日

金正日の料理人藤本氏を訪ねて平壌へ 三日目(平壌)

4月16日。

この日も予定はめじろ押し。北朝鮮旅行ではいつもめいっぱいの予定が組まれる。北朝鮮に限らす、パッケージツアーとはそういうものなのかもしれないが。

外は快晴とはいかず、どんよりと曇っている。今日最初の訪問先は金日成と金正日の遺体が保存されている錦繍山(クムスサン)太陽宮殿。2015年についで2回目だ。今回はネクタイも用意していたので、同行者から借りなくて済んだ。長い行列をつくって入場を待っているとき、我々の前に日本語を話すグループがいるのに気がついた。10人ほどの正装の男性と白いチマチョゴリを着た老婦人がひとり。婦人に「在日の方ですか」と話しかけた。「在日は私だけで、他の方は金日成主席の105年生誕を祝うために京都から来た方々です」とのことだった。京都に日朝協会なる団体があったことを思い出した。

錦繍山太陽宮殿のものものしい様子は「北朝鮮鉄道の旅2015」で報告したとおりだ。遺体だけでなくメダルや賞状、お召し列車などひととおり見て外へでると、写真タイムとなる。宮殿詣でに来ている北朝鮮の人たちと一緒に写真に収まる機会が用意されているのだ。金(キム)ガイドがあちこち声をかけ、我々と一緒にカメラに収まってくれる人たちを探す。最初のグループには断れたが、次に声をかけた男性4、5人のグループの承諾を得る。これに女子高校生(ひょっとすると大学生)がすすんで加わってくれ、記念の写真を撮ることができた。

記念写真

続いて主体思想塔と金日成花・金正日花の展示場を訪れ、昼食(冷麺とビビンバのどちらかを選択できた)をはさんで、地下鉄の試乗となる。お決まりの観光メニューだ。花の展示場は入場を規制していたが、それでも人波の中を歩くのも困難なほどの賑わいだった。いつものことだが、花を観賞するより、着飾った平壌市民たちが記念の写真を撮っている様子を観察ほうがおもしろい。地下鉄では、ある男性に「日本から来ました」と朝鮮語で話しかけると、「パンガプスニダ」(お会いできてうれしいです)と返ってきた。

金日成花・金正日花展示場の混雑

次に平壌交響楽団の演奏を聴くためにコンサートホール(牡丹峰劇場)に向かう。サーカスかオーケストラを選択できたのだが、ビルが「サーカスはどうも苦手だ」とのことだったのでオーケストラになった。私としてはサーカスのほうを見たかった。出し物がどうのこうのいうより、ピエロの演技などに反応する平壌市民、特に子供たちを見たかったからだ。3時から始まったオーケストラの演奏は1時間足らずで終了した。

コンサートホールを後にした我々は、モランボン(牡丹峰)へ到着する。車を降りてゆっくりと丘を散策。ここは休日などに平壌市民が歌や踊りを楽しむ場所として知られている。一度は見ておきたかった場所だ。2010年に一度訪れたが、歌う人も踊る人もおらず、数人が絵を描いているだけだった。今日は太陽節の翌日、日曜ということもあり、丘は賑わっていた。踊っているグループもいる。着飾った子供も多い。「写真を撮らしてくれ」と頼むと気軽に応じてくれる。こういう場所が好きな私はもう少し人々の中まで入り、もう少し長くいたかったが、ざっと見ただけで引き上げることになった。4人という少人数ながらグループツアーの欠点だ。ひとりならもっとわがままが通る。

牡丹峰

着飾った少女

次の訪問先は私にとってのハイライト、光復(クァンボク)地区商業センターだ。ガイドは「デパート」と言っていたが、デパートというよりは「ショッピングセンター」と呼んだほうがぴったりとくる。ここには2015年10月のTrain Tourではじめて訪れ、強い印象を受けた(「北朝鮮鉄道の旅2015」を参照)。

2015年10月に訪れたときには朝鮮語のほかに「光復地区商業中心」という中国語の表記があったが、今回中国語は消えていた。北朝鮮と中国の微妙な関係を反映してのことなのかどうかは不明。

2015年10月の光復商業センター

2017年4月の光復商業センター

このショッピングセンターは1階が食料・雑貨・電子製品、2階が衣料、3階がフードコートとなっており、外国人もユーロや中国元を現地通貨(ウォン)に両替して買い物をすることができる。

私はショッピングの目標を1つに定めていた。北朝鮮製のタブレットPCだ。スマホでもよかったのだが、スマホはタブレットの4、5倍の値段がする。この買い物は全(チョン)ガイドが終始手伝ってくれた。まずタブレットの値段を確かめる。75ユーロということなので、100ユーロをウォンに両替する。起動を確かめて購入。残額のウォンのユーロに再両替する(いくらかのウォンは記念として手元に残しておいた)。タブレットには黒いビニールのカバー、USBケーブル、充電器が付属していた。

購入したのは「아침(朝)」という名前の7インチのタブレットで、Androidをベースとしている。包装箱には朝鮮語で「教育用判型コンピュータ」と表記されていた。北朝鮮出国時あるいは日本入国時のトラブルを避けるため、この箱は平壌のホテルで破棄した。黒いカバーに包まれた아침は見かけ上は他のタブレットと変わらない。

帰国してから判明したのだが、このタブレットには16GBの外付けマイクロSDカードが挿入済みだった。SDカードには映画(北朝鮮映画の古典「花を売る少女」を含む)やアニメ、各種図書が収納されている。特に興味を引くのは、小学校や中学校の教科書、参考書の類いだ。

北朝鮮製タブレット

タブレットの購入に時間がかかっため、他の売り場やフードコードを見物する時間はほとんどなかった。店は平壌市民で賑わっていた。「北朝鮮鉄道の旅2015」でも書いたが、中産階級の存在をうかがわせる光景だった。この中産階級がどれくらいの規模で、どのような人々から構成されているのかはわからない。「北朝鮮は貧しい、貧しいはずだ」と決めてかかると判断を誤る。と同時に、この平壌の一角だけを切り取って北朝鮮全体を判断するあやうさにも注意しなければならない。

夕食は「普通江飯床館」なるレストランでとった。いろいろな料理のあと、最後にライスとスープが出る。私には多すぎる。ライスの半分近くは残した。マイケルはともかく、ビルとブライアンは巨体なので、食べるのが早く、完食だった。

夕食後に凱旋門の近くにある「凱旋青年公園」というアミューズメント・パークに出向く。ここは2010年に続いて2回目。夜の9時ごろだったが、大勢の人で賑わい、各種乗り物の前には長い行列がつくらていた。顔の広いマイケルはここでも知り合い(北朝鮮のバスケットボール選手ということだった)に遭遇していた。

平壌最後の夜はこうして暮れていく。明日は列車で新義州(シンウィジュ)に向かう。

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