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2018年3月31日土曜日

平壌からウラジオストクへ2018 四日目(羅先到着)

3月2日。

6時過ぎに寝台から起き上がる。夜中に2回目が覚めたが、予想に反してまずはよく眠れた。

昨日よりいっそう深く積もった雪が朝日に輝いている。まさに鮮やかな朝だ。

同行者の多くにとって、朝に飲む1杯の紅茶、1杯のコーヒーは格別らしい。用意も万端で、紅茶のセットやコーヒーメーカーまで持参している者もいる。紅茶やコーヒーの習慣のない私は、平壌で購入した中国の乳飲料で朝の渇きをいやす。

9時過ぎに朝食としては遅めだがカップヌードルを食べた。これ以降夕食までちゃんとした食事をしなかったので、このあまりおいしくない中国製カップヌードルがブランチとなった。

10時を過ぎると海が現れる。日本海(東海)だ。

車窓から1

車窓から2

車窓から3

車窓から4

清津に近づく

さらに2時間ほど走り、12時過ぎに列車は清津(チョンジン)に着く。ガイドの金と安はここで列車を降りる。列車がしばらく停車する間、2人のガイドと一緒に写真に収まる。なぜ羅先まで同行しないのか、その理由は聞きそびれた。2人はバスで平壌まで帰るとのこと。帰路の交通手段の関係で清津で下車したのかもしれない。

清津に着く

羅先に向かって再出発した列車は海岸線に沿って進む。海岸線のためか、雪は今朝方より浅くなっている。

羅先に向かって1

羅先に向かって2

列車の廊下でVictoriyaと北朝鮮グループの1人がロシア語で話している。Victoriyaはウズベキスタン出身だが、両親はロシア人(母親は朝鮮人とのハーフ)で、母国語はロシア語だ。Victoriyaだけでなく英国人のTomもロシア語で話している。これはちょっとうらやましかった。私も旅行程度のロシア語ならなんとかなるが、ちょっと込み入った話となると歯が立たない。朝鮮語はロシア語よりはましだが、これも複雑なことを話すレベルにはほど遠い。もっともTomと北朝鮮男性も特に「込み入った」ことを話していたわけではなく、シベリアの気候の厳しさなどが話題になっていたようだ。

清津を出てから4時間近く、午後4時過ぎに羅先に到着する。私にとっては2014年の夏以来、2度目の羅先だ。北朝鮮グループもここで下車し、羅先で2泊しててからハバロフスクに向かう。北朝鮮からロシアへの列車は週に2本だが、平壌からそのままロシアのハサンに直行するのではなく、羅先で2日間の余裕がもたせてある。北朝鮮の列車の大幅な遅延に備えての措置だ。私たちが利用したディーゼル車の場合はあまり問題ないが、北朝鮮の電気事情からして電車は大幅に遅れることもまれではないらしい。

ハバロフスクへ向かう北朝鮮グループ

駅のホームには2人のガイドと専用車の運転手が迎えに来ている。羅先のガイドの1人は予想どおり2年半前と同じ金(キム)という30代の男性。羅先のガイドはそう多くなく、金はいわば英語ガイドの第一人者だから、意外なことではない。金は2年半前に出会った私を覚えていないようで、特に私に話しかけてくることはなかった。もう1人のガイドの名前も金。こちらの金は40代くらいか。もう一方の金の上司にあたるのだろう。穏やかそうな人物だが、英語はあまり達者でないもよう。

羅先での宿泊先は南山広場に面した南山(ナムサン)ホテル。これは日帝時代の羅津ヤマトホテルだ。もちろん大幅に改装されている。2014年夏に泊まったのは琵琶ホテルだったから、この旧ヤマトホテルを体験できるのはうれしい。

まずはホテルにチェックインし、しばらく体を休めることになった。金ガイドが各自にカードキーを渡す。このとき、2014年に来たことを告げると、金ガイドも思い出したようで、笑顔で握手を求めてきた。

夕食の時間となり、南山広場を挟んでホテルの向かいにあるレストランに歩いて向かう。6時を過ぎたばかりだが、外は暗い。暗闇の中、雪で凍った広場をおそるおそる歩いて行く。

円卓を囲んでの夕食はサラダ、ジャガイモ、肉、海藻、チャプチェ、キムチなどバラエティーに富み、なかなか豪華だった。前回同様、羅先での食事は質量ともに充実している。

夕食

食後、一同で近くのバーに立ち寄る。みんながビールを注文する中、私を含め2、3人はマッコリを注文した。マッコリは甘すぎて、あまりおいしくなかった。まるで甘酒を飲んでいるようだ。若いカップルなど、地元の客も3、4組来ていた。

暗闇の中、滑らないように慎重に一歩一歩踏みしめてホテルまで帰る。羅先は確かに寒いが、震えるほどの寒さ、凍てつくような寒さではなく、恐れていたほどではなかった。

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