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2018年4月10日火曜日

平壌からウラジオストクへ2018 八日目(ウラジオストク)

3月6日。

8時過ぎにホテルでビュッフェ形式の朝食をとる。朝食の席で一緒になったCorrieとNancyeのオーストラリア人夫婦が憤っている。怒りの対象はホテルの受付だ。昨夜、Wifiのことで受付に問い合わせたときの対応がなんともひどかったらしい。ランドリー・サービスについても、すでに支払い済みなのに再度請求されてもめたとか。

「それに比べれば」と、北朝鮮との比較が始まる。「いろいろな制限の中でも、彼らはベストを尽くそうとしてくれた。」「少なくとも北朝鮮では笑顔があった。」

ロシアのホテルの劣悪なサービスのおかげで、北朝鮮の株がぐっと上がったわけだ。公平を期するために付け加えておくと、私が昨年モスクワで宿泊したホテルの対応は決して悪くはなかった。あたりまえのことだが、人により場所による。北朝鮮のサービスもフレンドリーというわけではない。北朝鮮のウエイトレスや店員を形容する適切な言葉はdiscreet(控えめ)だろう。アグレッシブな対応など考えられない。その反面、気軽に言葉を交わすようなケースもまれだ。

Tomはもうウラジオストクを去っていた。Victoriyaも何かの用事で午後から合流するとのこと。ブラジル人のEdgarは自分がやっているビジネスでトラブルが発生し、その解決のためにホテルから出られないという。ブラジルから電話がかかってきたらしい。ネットを通じて仕事ができるのは便利である一方、場所や時間に関係なく働かざるをえない状況をも生み出す。

今日の観光はルースキー島の探訪からはじまる。ルースキー島はウラジオストクの南にある小さな島で、古くから要塞として使われてきた。ソ連時代には太平洋艦隊の基地となり、外部から閉ざされていたが、現在は要塞としての機能を失い、観光客にも開放されている。大きな砲台とその下にある各種の施設だ。地下深く細い階段を降りていくのは一仕事だった。

ルースキー島の砲台

地下施設

ルースキー島から再び街に戻り、「リパブリック」というセルフサービス式のレストランで昼食ととる。セルフサービスだが、代金はすべてSimonが一括して払ったので、私の分がいくらになったのかはわからない。

Victoriyaも加えて、午後の部の観光がはじまる。

マイクロバスはユル・ブリンナーの銅像の横を通る。ユル・ブリンナーがウラジオストク出身であることをここではじめて知った。ユル・ブリンナーの出自はジプシーだとどこかで読んだことがあるので、ガイドのユリアにウラジオストクにもロマのコミュニティがあるのかと尋ねたが、「ない」との返事だった。「彼はみずからを神秘化するために、自分の出自にまつわるあることないことを意図的に流した」とはユリアの説明。帰国後に少し調べてみたところ、「母親はルーマニア系のジプシー」という記述もあるが、Wikipediaでは「母親はユダヤ系ロシア人」となっている。「ユル・ブリンナーはジプシー」はガセネタである可能性が高い。

午後の観光のメインはNKVD地下シェルターの探訪だった。これはソ連時代につくられた地下道とシェルターで、入口は市の中心部にひっそりと隠されている。男性のガイドが私たちを案内し、ロシア語で説明する(ユリアの通訳付き)。地下は暗く、通路は平坦ではないので、私たちひとりひとりに小さな懐中電灯が渡される。

なんとも不可解な構造物だ。1.5kmにも及ぶ地下道を掘る労力に比べ、シェルターとしてのその効用はどれほどのものか。こんな空洞が街の真下にあるのは不気味でもある。

地下道を進む

地下道の壁にはスターリンの写真も飾ってあった。ユリアは「スターリンのやったことがすべて悪いわけではない。よいこともある」と言う。「よいこと」とは、たとえば大祖国戦争(Great Patriotic War)での勝利だ。しかしそもそもヒトラーと相互不可侵条約を結び、ドイツの侵攻をやすやすと許してしまったのもスターリンではなかったか。

夕食前にいったんホテルへ戻る。今夜の列車でロシア国内の旅に発つオーストラリア人夫婦とはここでお別れ。Edgarも顔を出したが、夕食には参加できないという。トラブルはまだ片付いておらず、ブラジルが朝を迎えるまでに何とかしなければならないためだ。

夕食は市の中心部にあるPorto-Francoというレストランでとった。私たちのほかに、20人ほどの女性医療関係者の団体が賑やかに会食している(ロシアの人気アニメのテーマ曲を合唱していた)。ポークソテーをメインとし、前菜とデザートもある。ロシアに入ってはじめてのちゃんとしたディナーだ。

ポークソテー

デザート

カクテル・バーに行くという他のメンバーを残し、私とAfzalはマイクロバスでホテルに帰った。

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