よろしければクリックしてください。
にほんブログ村 旅行ブログ 海外旅行へ
にほんブログ村

2018年8月26日日曜日

イスラエル中東研修ツアー 五日目(岩のドーム、分離壁、ヨルダン川西岸)

8月5日。

6時半に朝食をとり、7時半にRimonimホテルをチェックアウトした。バスに乗って向かった先は神殿の丘(Temple Mount, Al-Harum Al-Sharif)。神殿の丘はイスラム教徒の管理下にあり、ユダヤ教の礼拝は禁じられている。2005年にはリクードのアリエル・シャロンがここへの訪問を強行したことから、第2次インティファーダ(アルアクサ・インティファーダ)が発生している。

バスを降り、ガイドのアラブ人青年と合流して、嘆きの壁を見下ろす通路から神殿の丘の入口まで歩く。神殿の丘に入るときには服装をチェックされる。上腕が露出した上着や短パンの場合はグリーンの布を渡され、覆わなければならない。

嘆きの壁を見下ろす

神殿の丘には金色の岩のドームが輝いている。これはイスラム教第3の聖地であると同時に、ユダヤ教の神殿が建っていた場所でもある。ドームの周りにはガードが配置され、不審な動きを見張っている。

岩のドーム

本来はユダヤ教徒が訪れてはならない場所だが、1人でここに来ているユダヤ教徒もちらほらと見かける。彼らには2、3人のイスラエル兵が付き添っている。トラブルを防ぐためだ。どんなトラブルがどんな大事に拡大するかわからない。

神殿の丘をあとにし、ガイドはエルサレムを眺望する小高い丘へ私たちを案内する。ここでエルサレムに関する長い説明を聞いたが、あまり頭に残っていない。私は「パレスチナ人はどのようなパスポートを持っているのか」と質問した。その回答もあまり記憶にない。こんな質問をしたのは、2010年にレバノンのトリポリからシリアのハマまで乗り合いタクシーで行ったときに同乗していたパレスチナ人夫婦がパレスチナのパスポートを使っていた覚えがあるからだ。ただこの記憶もぼんやりしており、ほんとうにそのパスポートを見たかどうか今でははっきりしない。まことに歳をとるとはつらいものだ。

続いてエルサレムと西岸(ウエストバンク)を隔てる分離壁(イスラエルはsecurity fenceと称している)を見に行く。自爆テロを防ぐという名目で建立された壁であり、実際にも自爆テロは大幅に減ってはいるが、パレスチナ人にとっては不便このうえなく、国際的にも不法とみなされている。

分離壁

ガイドと別れ、Papagaioというレストランで遅めの昼食をとる。入口にはKosher Brasilian Grillという看板が出ていたが、Kosherかどうかはともかく、ブラジル風の料理はあまり出なかった。私は鶏の胸肉を注文した。

昼食後エルサレムから西岸のパレスチナ占領地に渡り、RootsというNGOの話を聞く。バスの中での説明から「イスラエル人とパレスチナ人が共存するキブツ」と理解していてのだが、実際はPalestinian Nonviolence Certerという一種のコミュニケーション・センターで、パレスチナ人とイスラエル人の交流のためにいろいろな催しを企画しているNGOだった。

まずこのNGOを立ち上げたニューヨーク出身のRabbi(ユダヤ教指導者)がNGO成立の経緯を説明し、続いてパレスチナ人の青年が活動内容などを紹介した。

私はてっきりキブツだと思い込んでいたので、「ここにはどのくらいの家族がいるのか」などという的外れの質問をしてしまった。

この勘違い質問のほかに、2つばかり尋ねた。

「こうした活動をしていて警告や脅迫を受けることはあるのか」。しょっちゅうあるとのことだった。

この村はオスロ合意でいうエリアC(行政も治安もイスラエルが担う)に属している。そこで「この活動をエリアB(行政はパレスチナ、治安はイスラエルが担う)やエリアA(行政も治安もパレスチナが担う)にまで拡大する気はあるか」と質問した。「エリアBやエリアAではこうした活動は不可能」との返事だった。

西岸でNGOの話を聞く

このNGO訪問を最後にエルサレムとパレスチナ西岸をあとにし、ナザレに戻って、初日と同じGolden Crownホテルに再びチェックインした。

時差ぼけからくる不規則な眠りはまだ続いている。

0 件のコメント:

コメントを投稿