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2018年8月31日金曜日

イスラエル中東研修ツアー 八日目(ナザレ、終日講義、外食)

8月8日。

1日の大半を外で過ごした昨日から一転して、今日は午前も午後もホテル内での講義となる。ただ、時間割はゆったりとしており、講義の始まりは朝の10時、終わりは夕方5時だ。

講義の始まりまで時間があるので、朝食後、7時45分にホテルの入口に10人余りで集合し、歩いて10分ほどの受胎告知教会(Basilica of the Annunciation)を見物することにした。

朝早いこともあり、教会には私たち以外にほとんど誰もいない。壁には日本、韓国、中国あを含む世界各国の聖母子像が飾られている。日本のそれは「華の聖母子」と名付けられ、イエスは裃姿、マリアは戦国時代の日本女性を彷彿させた。

日本の聖母子像(受胎告知教会)

韓国の聖母子像

午前中はアラブ人の女性弁護士Alhan Nahhas-Daoud氏による"The Arab Women in Israel"と題する講義。

イスラエル国内のアラブ人女性はアラブ人であるということで差別され、さらにアラブ社会の中で女性であるということで差別される。アラブ社会は家父長社会であり、伝統社会でもある。このため、アラブの女性は政治的な意思決定に参加することができず、雇用で差別され、セクハラなどに苦しめられる。イスラエルのアラブ人はイスラエル国家の法律だけではなく、宗教的な法にも従う。宗教的な法では女性はとりわけ不利な立場に置かれる。

「あなたはヒジャブ(ベール)を着用していない。イスラエル国内ではアラブ女性がヒジャブなしで街を歩いていてもハラスメントはないだろう。しかしヨルダン川西岸やガザではどうだろうか。ヒジャブなしで外出することは可能だろうか」と質問してみた。

回答は得られなかった。「ヒジャブの問題は非常にデリケートだ。ここでは答えたくない」とはねつけられてしまった。

イスラエル建国のプロセスについても質問した。「歴史家のIlan PappéはThe Ethnic Cleansing of Palestineという本を書いている。Ethnic Cleansing(民族浄化)かどうかのポイントは当時のイスラエル政府(ベン・グリオン政権)の側にアラブ人を追い出すintentionないしplanがあったかどうかだ。これについてはどう思うか」。

「Ilan Pappéの本は父親から薦められているが、まだ読んでいない。当時のイスラエル政府にはアラブ人追放の明確な意図があった」という答えだった。

昼食を挟んで、14時からDr. N. Atmorの"A Brief Introduction of Elections and Democracy in Israel: Political Parties and their Security Agenda"という講義が始まる。

イスラエルの国内政治は私の勉強不足の分野なので役に立った。最大政党はLiludで、定員120名の国会(クネセト)で30議席を占める。続いてZionist Unionで24議席。Zionist Unionの前身は労働党だが、シャロンが創ったカディマ党もここに吸収されている。このほかアラブ人の政党であるJoint List(13議席)、左派のMeretz(5議席)、セファルディのShas(7議席)、アシュケナージ超正統派のUnited Torah(6議席)、ロシア系ユダヤ人のIsrael Our Home(6議席、防衛大臣のリーバーマンはこの政党に属する)、右派のJewish Home(8議席)、中道のYesh Atid(11議席)、All of Us(10議席)といったところ。

ただ、これらはネットで調べればすぐわかる情報であり、本来なら事前に頭に入れておくべきだっただろう。

イスラエルの投票率の高さにびっくりした。正確な数字は忘れたが、確か70%台ということだった。これに比べて日本の国政選挙の投票率の低さ。もっとも、投票率が低いことは、それだけ政治に無関心でいられるという状況の指標でもあり、100%ネガティブではないのかもしれない。

講義は夕方5時に終わった。まだ時間はたっぷりある。さてどうするか。いままで食事はほとんどホテルの中だった。ホテルの料理がまずいわけではないが、一度は自分が選んだレストランで自分が選んだ料理を食べてみたい。この思いは他の研修参加者も同じだった。揃ってナザレの街に繰り出し、「外食」することになった。

「揃って」とは言ったが、図らずも男性と女性が別々になった。私を含む男性7人はしばらく街をうろついたあと、6時ごろにとある大きめのレストランに入った。レストランの名前はTishreen。各自が生ビールと料理を注文した。私が注文したのはイスラエル料理だと思うが確かではない(料理名もその内容も忘れてしまった)。

レストランで夕食

食後さらに街を散策する。アラブ人の青年が私たちに近づいてきて話しかける。近くのショップの店員らしい。最初はサッカーのワールドカップの話題で、青年が日本とベルギー戦での日本の奮闘ぶりを称える。続いて話題はイスラエルに移る。青年の英語はあまりなめらかではないが、パレスチナ人としての自尊心、イスラエル政府に対する反感は十分すぎるほどわかる。

マクドナルドでシェイクを飲んでからの帰り道、アラブ人の母親と子供たち4、5人に遭遇した。ここでも最年長の14歳の少年が初歩的な英語ながら自分たちはパレスチナ人であることを強調する。英語がままならない母親も同じだった。最後の最後になってパレスチナ人たちのイスラエルに対する強いAntipathy(反感)の一端にふれることができた。

ホテルに戻ったのは9時過ぎ。長いように思えた研修も残るところ2日だ。

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