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2019年11月20日水曜日

スペイン・ポルトガル2019 マドリード、帰国

10月21日(マドリード到着)

この旅の最後の滞在地となるマドリードでの3泊はHostal Arbol del Japonに予約しておいた。名前のとおり、これは日本人夫婦が経営するいわゆる「日本人宿」だ。この宿を選んだのは、日本人と交流したいということもあるが、トイレ・シャワー共同の個室で1泊29ユーロという安さにひかれたからだ。

グラナダ発マドリード行きのバスは定刻通り午前10時に出発し、午後3時に南バスターミナルに到着した(途中サービスエリアでドーナツとミルクコーヒーをとる)。バスターミナルから地下鉄を乗り継いでHostal Arbolに着いたのは4時前だった。

アパートの2階にあるHostal Arbolのドアを開けると、60代の日本人男性が迎えてくれる。この宿のオーナーだ。この男性の最初の言葉にびっくりした。なんと私が住んでいるところの隣町の出身だと言うではないか(私の住所は予約時に知らせてあった)。共通の知人もいる。マドリードまで来て隣近所が話題になるとは想像もしていなかった。

数年前、アルバニアのティラナのドミトリーで同郷の女性と同じ部屋になったとき以来の奇跡的な偶然だった。

Hostal Arbolは安いだけではなく、立地もよかった。最寄りの地下鉄の駅までは歩いて5分足らず、マドリードの中心ともいうべきフェルタ・デル・ソル広場までは10分ほど。宿のすぐ近くには大きなスーパーが2つあることも、レストランでの外食をできるだけ控えている私にとってはありがたい。

体を少し休めてから外に出て散策。マヨール広場まで足をのばし、宿に引き返す途中のレストランでスパニッシュ・オムレツのサンドイッチ、クロケッタ(クリームコロッケ)、ビールを注文する。私の前方のテーブルでは日本人らしき中年のカップルがパエリアを食べている。声をかけると、やはり日本人だった。6時からプラド美術館が無料になるので食事をしてから見に行くとのこと。

マヨール広場

10月22日(トレド)。

マドリード観光の目的は2つに絞っていた。ひとつは中世の面影が残るトレドを訪ねること。もうひとつはプラド美術館で名画を鑑賞することだ。旅も終盤、体も疲れているのであまり欲張らないほうがいいだろう。

今日と明日の天気予報はあまりかんばしくない。どちらも雨模様だ。今日のほうが雨の確率も低そうなので、まずトレドを訪れ、プラド美術館は明日に回すことにした。

エリプティカ広場のバスターミナルから1時間ちょっとかけてトレドに到着。快晴というわけにはいかないが、幸い雨は降っていない。

1561年に首都がマドリードに移るまで、政治・経済の中心だったトレド。旧市街はタホ川と城壁に囲まれている。

トレドもコルドバと同様、ユダヤやイスラムの影響を色濃く残しているとのことだ。小さな通りが網の目のように入り組んでいることもコルドバと同じで、グーグル・マップを使ってもどこを歩いているのか判然としない。もちろん旧市街の面積はコルドバの旧市街よりずっと小さい。

トレド

トレドの裏道

欧米の観光客に交じって東洋人の数が多いのもスペインの他の観光スポットと同じ。10人ほどの中年の東洋人のグループがトレドの風景を写生している。話し声からすると日本人らしい。尋ねてみると、大阪の絵画同好会の写生ツアーだとのこと。ただの物見遊山ではなく、写生ツアーとは文化度が高い。

13時発のバスでマドリードに帰る。バスに乗ったとたんに雨が降り出し、マドリードに到着すると止んでいた。

雨が止んだ中、午後はプレルタ・デル・ソレやサン・ミゲル市場をぶらぶらと見て回った。

10月23日(プラド美術館)

10時過ぎにプラド美術館に着いたとき雨が降り出した。チケットの購入窓口には長い行列ができている。傘をさして待つことおよそ30分、ようやくチケットを購入できた。料金は15ユーロだが、シニアシティズンである私はその半額で済んだ。

入場券購入の列(館内は写真禁止)

プラド美術館は大きい。全体の配置が頭に入るまでにかなりの時間がかかった。

エル・グレコ、ベラスケス、ゴヤなどの作品が数多く展示されている。スペインには関係なさそうなブリューゲルやボッシュの絵画もある。ゴヤにしろ、ベラスケスにしろ、よくこれだけの作品を描く時間があったものだと感心する。美術に素養のない私がこれ以上の感想を述べるのはやぼだろう。

11時ごろから3時過ぎまで4時間ほどをプラド美術館で過ごした。昼食は館内のビュフェ式のレストランでとるつもりだったが、長い列ができており、空いているテーブルもなかったのであきらめた。美術館を出ると雨は止んでいた。美術館に近いアトーチャ駅のカフェでサンドイッチとミルクコーヒーを注文し、昼食というより夕食に近い食事をとる。

スーパーで夜食用の寿司と野菜サラダを購入して宿に戻る。宿には日本の書籍や漫画を数多く収めている部屋がある。ここで同宿の男性2人と1時間ほど話す。2人とも私と同世代だ。話題はもっぱら旅行について。スペイン旅行に加え、なぜか中国旅行にも話が及ぶ。

3人とも明日チェックアウトする。宿の奥さんが3人の部屋を回っておにぎり1個を差し入れてくれた。「朝食にでも」ということだったが、作りたてで温かく、おいしそうだったので、夜食を食べたあとだったにもかかわらずすぐに食べてしまった。塩昆布とゴマを入れたおにぎりは予期したとおりおいしかった。

10月24日(帰国)。

Hostal Arbolのチェックアウトは11時で、帰国便のフライトは16時45分発。朝のうちにスーパーまで出かけて土産物を買い、11時ぎりぎりまで部屋の中で休む。

チェックアウトしてからプレルタ・デル・ソレに向かうとデモに遭遇した。コルドバのデモと同様に、打楽器を先頭とする陽気なデモだが、何を求める(あるいは何に抗議する)デモなのかよくわからなかった。「我々は不可視(invisible)ではない」とか「我々は人間であり、カタツムリではない」などのプラカードが見られたがら、おそらく貧困がテーマだったのだろうと推測している。

マドリードのデモ

マドリード→ドーハ→羽田→伊丹という帰りのフライトはけっこう体にこたえた。ドーハで5時間以上待ち、羽田で一夜を明かすという、試練のフライトだった。羽田空港は心配していたほど寒くはなかったが、ほとんど眠れなかった。ともあれ、体をこわすことなく帰国できたことを幸いとしよう。

ほじめてのスペインとはじめてのポルトガル。いくつか気付いたことを挙げておこう。

まず思ったより英語が通じなかったこと。ひとびとは概して親切だったが、道を尋ねても答えはスペイン語で返ってくることが多かった。ホテルやインフォメーションで英語が通じないこともあった。

もっとも複雑な話をするわけではないから、コミュニケーションに困った覚えはない。スペイン行きを決めてから1か月ほどあわててスペイン語を学習したこともまったく無駄というわけではなかった。

次に治安。ネットで調べると、マドリードやバルセロナ、リスボンではスリや置き引きなどの被害が頻繁に報告されている。マドリードの日本人宿の主人も「貴重品は持って出ないほがよい。できれば何も持たずに身一つで出かけることをお勧めする」と言っていた。帰りのマドリードからドーハへの飛行機で隣席だったスペイン人男性も同様の意見で、「バルセロナやマドリードは危ない」と言う。

しかし私が体験した限り、そうしたあやしい雰囲気、危険な気配はまったく感じなかった。もちろんこれはたかだか2週間余りを旅した一介の貧乏旅行者の限られた体験だから、長年現地に住んでいる人の感覚のほうがリアリティがあるだろう。最低限の注意が必要なのはそのとおりだ。しかし、物騒な情報がスペイン行き、ポルトガル行きを引き留めるようなことにはなってほしくない。

もうひとつ。外国人訪問者の日本の印象は「人は礼儀正しく、街はクリーン、電車や電車の中はすごく静か」というのが一般的なようだ。スペイン・ポルトガルについてはどうだろうか。スペインやポルトガルの街を「汚い」と思ったことは一度もなかった。路上のゴミもほとんど見かけなかった。唯一目に障ったのはスプレーでの落書きだ。この点を除けば、日本の街もスペイン・ポルトガルの街もそう変わりはない。電車や列車の中が静かなのはスペインやポルトガルでも同様だった。高速列車、地下鉄、バスの中の中はいつもシーンとしていた。

礼儀正しさはどうだろうか。レストランのウエイター/ウエイトレス、ショップの店員、バスや電車の窓口は確かに日本ほどていねいではないし、笑顔も少ない。しかしこれは必ずしも親切でないということを意味するわけではない。親切かどうか、フレンドリーかどうかは国籍ではなく個人に依存する。

辺境の探訪ではなく、観光に徹するわけでもなく、なんとも中途半端な旅だったが、大きな波乱もなく終わったことに感謝したい。

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