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2015年9月14日月曜日

北朝鮮2014 六日目(8月23日)

朝食後に向かった先は革命戦跡とされる山。ここの女性ガイドはチマチョゴリではなく、カーキ色の人民服を着用していた。山に登ったのではなく、ふもとまで行っただけだが、ここを訪れた理由が今ひとつわからなった。いや、正直に書こう。この山にどのようなストーリーや逸話があり、女性ガイドがどのような説明をしたのか完全に忘れてしまったのだ。印象に残っているのはガイドの人民服だけという始末。

人民服の現地ガイド

続いて近くにある製靴工場に徒歩で移動した。ここでは靴を購入することもできた。運動靴は一足1000円ちょっとの手頃な価格だった。一足ほしかったが、私のバックパックにはとうてい収まりそうにない(機内持ち込み可能な小さめのバックパックで来ていた)。

工場見学は羅先観光のメインともいえる。靴の次は縫製工場。革命歌が流れる広い仕事場で、女性たちがミシンに向かって黙々と働いている。製品は韓国や中国に輸出される。もちろん韓国に直接に輸出されるわけではない。中国を経由して、中国製品であるかのように梱包されて輸出されるのだ。

縫製工場

12時の時報が鳴ると、女子工員たちは全員中庭に出て整列し、食事前の体操を始めた。かつて日本のテレビなどでも紹介された律動体操だ。有名な律動体操をこの目で見ることができる感動。これがこの工場見学のハイライトとなった。工員たちは、体操が終わると、お互いの肩をたたき合ってから、食堂の中に消えていった。


我々の昼食は在日朝鮮人が経営するレストランだった。ツアーの中に日本人がいるというので選ばれたレストランだ。他のメンバーは朝鮮料理だが、私だけにはにぎり寿司が注文してあった。そのにぎり寿司がなかなか出てこない。他のメンバーの食事が終わるころになってやっと出てきたが、魚介類の冷凍がまだ完全に溶けきっていない感じがした。英語ガイドにとって日本人の観光客は非常にめずらしいこともあり、いろいろと気をつかってもらったようだが、一歩間違うと親切が仇になる。私の場合は寿司は好物だから問題ないが、寿司が嫌い、食べられないという日本人だっているはずだ。「日本人なら寿司」という思い込みにはちょっと疑問が残る。

羅先で食べた寿司

昼食を終えてから、日本海(東海)が見える景勝地に向かう。ここも何かいわれがある場所だったはずだが、記憶からすっぽり抜け落ちている。覚えているのは中国人の観光客がやたらに多かったこと。

経済特別区だけあって羅先は北朝鮮の他の街とちょっと雰囲気が違う。観光やビジネスで多くの中国人が訪れ、ロシア人もちらほら見かける。主としてこうした外国人を目当てにタクシーも多い。おそらく人口あたりの比率からすれば平壌より多いだろう。平壌では10年前にはタクシーは皆無に近く、いまでもそう多くは見かけない。中国の通貨である元が外国人だけでなく、地元民の間でも流通しているのも羅先ならではだ。路上のアイスクリーム屋に1元札を握りしめた子供がかけつけているのを見かけた。

街中にある書店に入る。外国人向けの店らしく、英語やロシア語の本も並べてある。もちろん大半は金日成・金正日親子の「著作」だ。私は朝鮮語の勉強のためにと漫画を5冊購入した。帰国してから目を通してみると、子供向けの漫画本にもかかわらず(あるいはそれだからこそ)、イデオロギーが過剰につめこまれている。金正日に対する賞賛はほとんど常軌を逸し、神がかっている。子供のときからこうした本だけを目にして育つというのはどういうことなのか。北朝鮮といえど、人は人形でもなければ、ロボットでもなく、いつまでも子供ではない。多少なりとも自分で考えるような年齢になれば、このような理性を超えた(あるいは理性に反する)宣伝はかえって逆効果になるではなかろうか。

書店の近の出店でアイスクリームを買う。1個1元。北朝鮮のアイスクリームはバニラや牛乳の純度が高くおいしい。

続いて羅先劇場で子供たちの芸を見る。バスを連ねてやって来た大勢の中国人観光客に交ざっての鑑賞だ。歌、ダンス、バイオリン、カヤグムに加えて、ローラースケートのダンスやコント風の演劇もあった。ローラースケートは数年前から北朝鮮の子供たちの間で流行しており、1年前に見た万景台少年宮殿のパフォーマンスにも登場していた。舞台の上でははつらつとしていた子供たちだが、最後に舞台上で観客と交流して、プレゼントをもらったり、一緒に写真を撮ったりしているときの表情はうつろだった。もっとも「うつろ」というのは私の主観的な判断で、数多くの中国人やその他の外国人と接触するのに慣れておらず、とまどっていただけなのかもしれない。

中国人観光客と記念撮影をする子供たち

次に外国語教育に特に力を入れている中・高等学校を訪問した。我々が到着すると、生徒たちがすでに校庭で待っていた。年齢は12歳から18歳くらい。小グループに分かれ、彼らと英語で会話する。私とAntonは13歳の少女4人を相手に話した。最初は互いにぎこちなかったが、徐々に慣れていく。13歳だからもちろん限界はあるが、コミュニケーションは十分に成立する。日本の平均な13歳ではこうはいかないのではないだろうか。父親の職業を尋ねると、2人が「Officer」、1人が「Immigaration officeの職員」、もう1人が「タクシーの運転手」だった。Officerというのはよくわからないが、軍人だろうか。

動物の話題になり、DPRKに熊はいるかと聞くと、「Yes、白頭山(ペクトサン)にいる」と誇らしげに答える。じゃあ、虎はいるか? 「Yes、白頭山にいる」とさらに誇らしげな答えが全員から返ってくる。

私が韓国を何回も訪れていることを知った彼女たちから「ソウルはどんなところか」と質問される。一瞬答えにつまる。「平壌よりずっと豊かで、ずっと進んでいる」とは答えられない。"Very big city with a lot of peaple"と答えておいた。

少女たちと英語で会話

この学校では英語に加えて中国語も教えている。アメリカ人のScottは教師のひとりに「中国人の観光客ともこうした対話の場を設けているのか」と尋ねたらしい。答えは「No」。「中国人の観光客はrudeだから」というのがその理由。中国語については、医師や弁護士など、特定のグループが来たときだけ、こうした会話の機会を設けるらしい。

街中のレストランで夕食をとってから、夕暮れが迫る海岸公園(해안공원)を訪れた。ここにも大きな電光スクリーンがあり、ローラースケートを楽しむ子供たち、ベンチで涼をとる人など、そこそこ賑わっている。売店もある。私とScottは3、4人が座っているベンチに近づき、それぞれ朝鮮語でアメリカから来たこと、日本から来たことを告げる。つづいてScottが何か話しかけていた。「俺たちは危険だ、注意しろと冗談を言ったが、どうも通じなかったようだ」とのこと。

海岸公園


海岸公園の上にはビアホールがある。このビアホールではチェコのビールを出す。時間も遅いせいか、私たち以外の客はいなかった。ビールを飲みながら談笑して、この日の予定をすべて終了した。

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