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2015年9月16日水曜日

北朝鮮2014 七日目(8月24日)

いつものようにホテルで朝食。旅も後半になると、朝食に姿を現さないメンバーが多くなった。今日も半数くらいは朝食抜きだ。慣れない食事と旅の疲れでお腹を壊しているのかもしれないが、なんとももったいない。食糧不足の北朝鮮で、出されたものの残すのは「後ろめたい(feel guilty)」と言っていた面々なのだが。

朝食風景

今日の観光は遊覧船でアザラシを見ることからはじまる。これはオプションなので、私、Scott、Antonの3人は遊覧船には乗らず、海辺のテーブルでペットボトルのジュース(中国製だった)を飲みながら一休み。隣のテーブルには中年の中国人観光客が数人座っている。Antonは香港の前には上海に滞在しており、Scottは瀋陽の大学で3年近く英語を教えている。どちらもいわば「中国通」だ。重慶共産党トップの薄熙来のスキャンダルのほとぼりがまだ冷めていない時期だったこともあり、話題は自ずから中国共産党の権力争いに。この権力争いがいかにえげつないかを語りつくしたAntonとScott、隣のテーブルにいる中国人を見て「あのようにでっぷりと太っているのは共産党幹部に違いない。昨夜飲み過ぎたせいで、今日はぐったりしている」と言う。隣のテーブルとの距離は4、5メートル。「おいおい、聞こえるぞ」と注意するが、両人は「英語をわかるはずがない」と平気だった。この席には年上のほうの金ガイドも一緒だった。彼がこの種の話を聞いてどう感じたか、興味のあるところだ。

次に魚介類の販売とレストランを兼ねている施設を訪れ、さらにその近くにある水産物加工工場を見学する。女性たちが立ち姿でイカのはらわたを抜く作業をしていた。重労働ではないが、なかなかきつそうな労働だ。

水産物加工工場

羅先の港には3つの埠頭がある。1つは中国との貿易、もう1つはロシアとの貿易に使われており、残りの1つは使われていないようだ。新潟と北朝鮮を往復していた万景峰号も停泊していた。元山に停泊している万景峰号より1世代前のものだ。国慶節などで中国の観光客がドッと押し寄せるときには、この万景峰号に宿泊するケースもあるとか。

初代万景峰号

港を見物しながら、若いほうの金ガイドに今の北朝鮮でどのような日本人の蔑称が使われているか尋ねてみた。쪽발이(チョッパリ)や왜놈(ウェノム)も使われていないわけではないが、より一般的なのは일본놈(イルボノム)らしい。「日本野郎」とでも訳したらいいだろうか。金ガイドは「祖父の兄弟が日本軍によって殺された」と言っていた。兄と弟を区別する日本語や朝鮮語と違って、英語のbrotherでは兄と弟のどちらかはわからない。

昼食は「海岸館」というレストランでとった。用意されていたのはビビンバだが、私とScott、Vesには犬肉のスープが出された。前日にリクエストしていたからだ。犬肉のスープは韓国では補身湯(보신탕=ポシンタン)と呼ばれているが、北朝鮮では甘肉(단고기=タンコギ)という。私にとってはこれが初めての犬肉だが、特においしいともまずいとも感じなかった。肉は繊維状になっていた。のちにソウルで補身湯を食したが、ソウルの犬肉は通常の塊の形状であり、スープは北朝鮮に比べてずっと辛かった。

犬肉スープ(タンコギ)

食後、金日成花をメインとする花園や美術館を訪れる。北朝鮮では虎の絵を見る機会が多い。この美術館も例外ではなかった。オーストラリア人のJohnは「虎に対するこのobsessionはどこから来るのだろうか」と不思議がっていたが、強くて凶暴な動物に対する一種の崇拝はごく自然のような気がする。ScottとAnton、私の3人は、ガイドの目をかすめる形で街の写真館に入り、ポートレートを撮影してもらった。写真館は結構繁盛しているようで、地元の客もかなりいた。写真をコンピュータ処理していたのが印象に残った。おそらくPhotoshopを使っての処理だろう。ポートレートがいくらしたのかは忘れたが、そう高くはなかった(もちろん元での支払い)。

続いてこの旅最大のハイライトである自由市場の見物。私の知る限り、北朝鮮で外国人が入れる市場はここ羅先の市場だけだ。Koryo Toursのパンフレットではゴールデントライアングル銀行で外貨を北朝鮮ウォンに両替してから市場に行くということだったが、銀行に立ち寄ることはなく、ウォンを手にすることもなかった。それより問題なのは、我々が到着した午後3時ごろには市場がすでに店仕舞いを始めていたことだ。明日何かのイベントがあり、そのために今日は早く市場を閉めるとのことだった。ガイドたちの手配のミスだ。意図的ではなく、ミスだったと信じたい。

それでも市場の雰囲気は十分に味わうことができた。韓国や東南アジアの市場と同様、積極的に声をかけ、売り込もうとする。我々に対しては「ハラショー」と呼びかける。白人を見ればとりあえずロシア人扱いするようだ。実際、3、4人のロシア人を見かけた。Antonは「ルースキー?」と彼らに問いかけていた。

売られているのは、米をはじめとする食料、日用品、衣料。乾燥した葉っぱの状態のタバコも売られていた。日用品や衣料はほとんどが中国製のようだ。北朝鮮ならではのものを求めていた私は、結局何も購入しなかった。

残念ながら市場の写真撮影は禁じられていた。こんなところでこっそり写真を撮っているのを見つかればかなりやっかいなことになりそうだ。同じく写真撮影が禁止されていた清津市内などではこっそりと撮っていたメンバーもいたようだが、ここでは指示に従うほうが無難だ。Scottは「労働者の国家のはずなのに、働いている人々を撮るなというのはどういうわけだ」とこぼしていた。

早めにホテルに帰って夕食。夕食にはカレーライスも出た。メインとしてではない。煮魚、イカのリング、タコの刺身、ピザ、野菜など、たくさんのディッシュの1つとしてつつましく登場していた。

北朝鮮のカレー

今夜は羅先最後の夜、つまりは北朝鮮最後の夜だ。全員マイクロバスに乗って街に繰り出し、初日に訪れた南山広場のローカルバーを再度訪れる。マッサージをリクエストしていたScottだけは別の施設に行き、バーには来なかった。ここではソジュ(焼酎)を注文。Vesも私にならった。マッコリは3元と安かったが、ソジュは高価だった。値段は忘れてしまったが、1本30元くらいだったかもしれない。その代わり、きちんとしたラベルで、品質もばらつきはなさそうだった。小雨が降り始めた中、外からテントを覗き込む1人の中年男性。Antonはこの男性にスマートフォンに保存してある香港の写真を見せていた。defectorを増やす活動の一環だろうか。こうして北朝鮮最後の夜が終わろうとしている。

ローカルバーの調理場
 

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