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2015年12月3日木曜日

東チベット2015 5月7日(ラルンガルコンパ1)

色達行きのバスはほぼ定刻どおり7時30分ごろに出発した。満席に近い。ざっと見たところ、漢族が半分にチベット族が半分といったところか。外国人は私以外には見当たらない(あとでわかったことだが実は台湾の女性観光客2人が同乗していた)。

12時近くになって昼食のための休憩時間がとられた。全員道端の小さな食堂に入っていく。いくつかの料理から好きなものを盛ってもらう方式だ。私が黙々と食べていると、同じテーブルの向かいに座っていた初老のチベット人女性がどこからか湯呑みを持ってきてくれ、無言でお湯を注いでくれた。ちょうど水分がほしいと思っていたところなので、ありがたかった。

小さな食堂で昼食

バスはひどい悪路を走る。これほどの悪路は中東や東南アジア、アフリカでも経験したことがない。一番うしろの座席に積まれていた荷物から水が漏れ始め、バスの通路に流れてくる。通路を挟んだ隣に座っていたチベット人男性の衣服がこの水で濡れてしまう。バスの中は騒然とする。しかし、水の漏れが止まると、「これは誰の荷物だ」と責任を問う声もなく、騒ぎはおさまる。ここらへんも実におおらかだ。中国人はマナーをあまり気にかけず、他の人がマナーに違反することにも寛大なように思える。マナーやエチケットにやたらとうるさいより、こっちのほうが私に合っている。

私の隣には四川省の青年が座っていた。数珠を手に持ち、車内に流れるお経音楽に合わせてハミングしている。仏教徒とのこと。英語はまったく通じなかった。

マルコムからラルンガルゴンバへのバスの中

バスは色達の手前のラルンガルゴンパのふもとに夕方の5時半ごろ到着した。外はまだ明るい。隣の四川省の青年が「みんなで一緒にラルンガルゴンバに行こう」と誘いかける。「みんな」とは私と青年、それに私の後ろの席にいた広東省の男性2人だ。私も彼らにつきあってラルンガルゴンパで降りることにした。バスを降りると、バスに乗り合わせていたひときわ声の大きい女性が我々を案内してふもとの宿(金川賓館)に入っていく。私は彼女も観光客の1人かと思っていたが、実は金川賓館の女主人だった。事情がよくのみこめないまま私もここに宿泊することにした。5つベッドがある部屋だが、私以外には客はおらず(中国観光客3人は別の部屋をとった)、実質的に個室。トイレ共用、シャワーなしで30元。Wifiはもちろんない。宿を決めたところで、中国人3人と私、これに同じくラルンガルゴンパで下車していた台湾人女性2人を加えて、タクシーでラルンガルゴンバまで登ることになった。料金は確か1人あたり10元だったように思う。台湾女性たちと広東省の2人は英語がしゃべれた。これは心強い。

タクシーでラルンガルゴンバの頂上へ向かう

台湾人女性2人はラルンガルゴンパに登ったところで宿をとった。明日のことを考えれば、私もこうしたほうがよかった。

タクシーで頂上まで登った我々の目の前に朱色の建物が密集した壮大な光景が広がる。これらの建物はすべて僧房らしい。頂上には大きな本堂があり、五体投地している僧もいる。いよいよチベットへやってきた。

ラルンガルゴンバの僧房

五体投地

だが、5月初旬とはいえ、夕暮れのラルンガルゴンパは寒かった。ちらちらと小雪まで降り出す。雪がめずらしい台湾人女性たちは「ラッキーだ」と喜んでいたが、私はただ寒いだけ。それに海抜4000メートルに近い高さがきつかった。坂道を登るときに息切れがして、すぐに休みたくなる。ラルンガルゴンパは山の斜面に位置しているから当然坂道も多い。みんなについていくのが苦しくなり、もうギブアップしようかと思っていたやさき、食事をしようということなり、小さな食堂に入った。これでやっと一息つくことができた。注文したのは10元ほどのチベットのヌードルだが、疲れていたこともあり、あまりおいしいとは思わなかった。私が日本から来たことを知った食堂の店員たちが「ほほー、そうなのか」といった反応を示す。

ラルンガルゴンバの食堂で(台湾人女性と四川省の青年)

食堂を出ると、外はもう暗くなっていた。台湾人女性たちはここに宿をとっている。私と中国人2人(なぜか広東省の1人は先に帰っていた)は歩いてふもとの金川賓館まで戻る。30分以上かかったが、下りはそれほどきつくない。宿についたときには9時をまわっていた。

ラルンガルゴンパの1日目はこのようにして終わった。

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