2009年12月にマリを旅行した。例によって9泊10日の短い旅で、まずバマコ、セグ、ジェンネを訪れた。次の訪問先はモプティを起点とするドゴン地域となるのが自然な流れで、そのための時間的余裕もあったのだが、あえてモプティには行かなかった。代わりに、いったんバマコに戻り、バマコから西にバスで5、6時間ほどのキタ(Kita)という観光とは無縁の町に行った。バマコ、セグ、ジェンネでの自称ガイドの攻勢に辟易していたからだ。おそらくモプティやドゴンでも同じようなうっとうしい思いをするに違いない。
特に見どころもないキタへ行ったのはこうした事情からだが、この選択は正しかったように思う。キタは、バマコ、セグ、ジェンネとはまるで異なる国だった。道行く人々の半数くらいが私に「Bon jour」と挨拶してくる。物を売るためにではない。どこかを「ガイド」するためでもない。ただの挨拶であり、裏には何もない。たまたま入った食堂で働いていた少年は私に「フランス語の勉強を助けてほしい」と言う。「なんとかフランス語でやっていける(se debrouller)が、学校へ行っていないからまだまだ勉強する必要がある。助けてほしい」というわけだ。もとより私には彼を助けるほどのフランス語の能力があるわけではないが、日本の住所を書いたノートを渡しておいた。帰国してかなり経ってから彼から写真入りの手紙が来た。話せても字は書けないはずだから、おそらく誰かに代筆してもらったのだろう。「助けてもらいたい」と言われたときには、お金でもせびられるのかと思ったが、その種のリクエストは一切なかった。
キタに行かなければ、マリという国を誤解していたかもしれない。喧噪と商魂だけでマリを判断していたかもしれない。
さて、ブルキナファソだが、私には国全体がキタのような場所という勝手な思い込みがあった。「ブルキナファソはマリの田舎」というイメージを勝手につくりあげていたのだ。ブルキナファソに関するLonely Planetの次のような記述もこの思い込みに力を貸していた。
”the country has few iconic calling cards. So why does it invarariably win the hearts of travellers? the people. The Burinabe are the country's greatest asset. They're disarmingly charming and easy going. Wherever you go, you'll be greeted with a memorable bonne arrivee (welcome). It's this genuine welcome that makes travel in Burukina Faso such a delight."
「観光カードは少ないが、人がいい。」まさにキタのような場所ではないか。
こうした事情から、マリ旅行以来、いつかはブルキナファソを訪れたいという希望が宿った。ネックとなったのは旅費だ。現地の滞在費はしれている。しかし、西アフリカとなると航空運賃がかさむ。ブルキナファソまでの航空運賃をおりにふれてネットでチェックしていたが、いつも25万円を下ることはなかった。
11月の中旬、ソマリアのモガディシオ行きをコスト高(2泊3日で30万円)で断念し、冬場の旅行先として長年心に引っかかっていたブルキナファソへの航空運賃を改めて調べてみた。するとエールフランスで大阪から18万円ちょっとのチケットがある。さっそくエールフランスのサイトからチケットを購入した。
大阪発といっても行きは伊丹→羽田→パリ→ワガドゥグ(ブルキナの首都)、帰りはワガドゥグ→パリ→成田→羽田→伊丹という、入り組んだルート。だが、パリや成田で1泊する必要もなく、効率はそう悪くない。
あとはビザ。ビザはアライバルでも取れるかもしれないが、日本であらかじめ取得しておいたほうが無難だ。招待状やら宿の予約が不要なので、ブルキナファソのビザは難しくない。郵送でも可だから、ビザ代行会社に依頼する必要もない。ちょっとやっかいなのはブルキナまでの航空券のコピーか必要なこと。ほんとうはビザが確定してから航空券を購入したいところだが、やむをえない。ビザの代金は9000円だった。
11月の終わりに申請したビザは1週間足らずで受け取ることができた。こうして12月14日19時30分伊丹発の羽田行きのJAL便を待つばかりになった。羽田では翌日0時30分発のパリ行きエールフランス便に搭乗することになる。
「ブルキナファソはマリの田舎」という私の思い込みがどこまで通じ、どこで砕けるか、おいおいわかってくるだろう。
特に見どころもないキタへ行ったのはこうした事情からだが、この選択は正しかったように思う。キタは、バマコ、セグ、ジェンネとはまるで異なる国だった。道行く人々の半数くらいが私に「Bon jour」と挨拶してくる。物を売るためにではない。どこかを「ガイド」するためでもない。ただの挨拶であり、裏には何もない。たまたま入った食堂で働いていた少年は私に「フランス語の勉強を助けてほしい」と言う。「なんとかフランス語でやっていける(se debrouller)が、学校へ行っていないからまだまだ勉強する必要がある。助けてほしい」というわけだ。もとより私には彼を助けるほどのフランス語の能力があるわけではないが、日本の住所を書いたノートを渡しておいた。帰国してかなり経ってから彼から写真入りの手紙が来た。話せても字は書けないはずだから、おそらく誰かに代筆してもらったのだろう。「助けてもらいたい」と言われたときには、お金でもせびられるのかと思ったが、その種のリクエストは一切なかった。
キタに行かなければ、マリという国を誤解していたかもしれない。喧噪と商魂だけでマリを判断していたかもしれない。
マリのKita(2009年12月)
さて、ブルキナファソだが、私には国全体がキタのような場所という勝手な思い込みがあった。「ブルキナファソはマリの田舎」というイメージを勝手につくりあげていたのだ。ブルキナファソに関するLonely Planetの次のような記述もこの思い込みに力を貸していた。
”the country has few iconic calling cards. So why does it invarariably win the hearts of travellers? the people. The Burinabe are the country's greatest asset. They're disarmingly charming and easy going. Wherever you go, you'll be greeted with a memorable bonne arrivee (welcome). It's this genuine welcome that makes travel in Burukina Faso such a delight."
「観光カードは少ないが、人がいい。」まさにキタのような場所ではないか。
こうした事情から、マリ旅行以来、いつかはブルキナファソを訪れたいという希望が宿った。ネックとなったのは旅費だ。現地の滞在費はしれている。しかし、西アフリカとなると航空運賃がかさむ。ブルキナファソまでの航空運賃をおりにふれてネットでチェックしていたが、いつも25万円を下ることはなかった。
11月の中旬、ソマリアのモガディシオ行きをコスト高(2泊3日で30万円)で断念し、冬場の旅行先として長年心に引っかかっていたブルキナファソへの航空運賃を改めて調べてみた。するとエールフランスで大阪から18万円ちょっとのチケットがある。さっそくエールフランスのサイトからチケットを購入した。
大阪発といっても行きは伊丹→羽田→パリ→ワガドゥグ(ブルキナの首都)、帰りはワガドゥグ→パリ→成田→羽田→伊丹という、入り組んだルート。だが、パリや成田で1泊する必要もなく、効率はそう悪くない。
あとはビザ。ビザはアライバルでも取れるかもしれないが、日本であらかじめ取得しておいたほうが無難だ。招待状やら宿の予約が不要なので、ブルキナファソのビザは難しくない。郵送でも可だから、ビザ代行会社に依頼する必要もない。ちょっとやっかいなのはブルキナまでの航空券のコピーか必要なこと。ほんとうはビザが確定してから航空券を購入したいところだが、やむをえない。ビザの代金は9000円だった。
11月の終わりに申請したビザは1週間足らずで受け取ることができた。こうして12月14日19時30分伊丹発の羽田行きのJAL便を待つばかりになった。羽田では翌日0時30分発のパリ行きエールフランス便に搭乗することになる。
「ブルキナファソはマリの田舎」という私の思い込みがどこまで通じ、どこで砕けるか、おいおいわかってくるだろう。
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