5月28日。
ホテルでビュフェ式の朝食をとったあと、8時半過ぎにPapua.comに向かう。藤原さんからワメナ観光の情報を得るためだ。
ホテルからPapua.comまでは歩いて10分強。昨日見た「商店街」(イリアン通り)を通り抜ける。路上に人だかりがしているので覗いてみる。4、5人の男がトランプで賭博していた。それを取り囲んで眺めている人たち。月曜日の朝9時前から路上で賭博する働き盛りの男たち。パプアが抱え込んでいる問題を垣間見たような気がした。
藤原さんの勧めに従ってまず警察でスラットジャラン(入域許可書)を取得する。許可書はもう必要なくなったとの情報もあるが(実際ワメナ滞在中に許可書が必要になった場面はなかった)、お金はかからず、手間もそうかからないから、いざという場合に備えて取得しておいたほうがいいだろう。
警察署はPapua.comから歩いて5分ほど。写真2枚とパスポートの名前のページのコピー(これは用意してた)、さらにインドネシアの入国スタンプが押してあるページのコピー(これはPapua.comで用意してもらった)を提出し、5分余り待つと許可書ができあがる。
今日はバリエム渓谷を北上してジゥイカ(Jiwika)という村へ行くつもりだ。行き方はおおよそネットで調べてある。藤原さんからも若干の情報を得た。まずペモ(乗り合いタクシー)でジバマ市場(Pasar Jibama)まで行く。ジバマ市場はバリエム渓谷北部へのバス・ターミナルでもあり、ジゥイカを経由するマイクロバスやトラックが出ている。
ジバマ市場へ行くペモはすぐにつかまった。料金は失念したが、5Kルピア以下だっただろう。ジバマ市場からジウィカへ行くバスを見つけるのはちょっと手間取った。が、これも10分ほど訊いて回って見つけることができた。バスではなく、乗り合いトラックだった。
ジバマ市場を10時過ぎに出発してから1時間足らずでトラックはジゥイカに着く。降りたのは私だけだ。乗り合いトラックの料金は15Kルピア(120円ほど)だった。
トラックを降りると、コテカ姿の老人が近づいてくる。停留所のそばに住んでいるYariという名前の老人だ。この老人のことは藤原さんから聞いていた。彼は片言の英語をしゃべる。「フジのところから来たのか」と尋ねられたので、「Yes」と答える。「フジ」とは藤原さんを指すのだろう。
村人たちの住み家へ向かう途中、集落の長(chief)と名乗る男が合流し、集落の中へ入る料金として500Kルピア(3900円ほど)を要求してくる。これだけ払えば無制限に写真を撮ってよいとのこと。法外な値段だ。値切る。が、まったく応じようとしない。ここで互いに気分を害してもと思い、結局この法外な入場料を受け入れてしまった。
藁葺きの小屋がいくつか見える。これが住み家だ。奥に少し大きめの小屋があり、その左右に4つずつ小屋が並んでいる。奥の小屋は男性用で、集落の男性は全員ここで寝起きするとのことだ。左右の小屋には女性や子供たちが住む。
コテカの老人が2、3人、上半身裸の老女も同じく2、3人。普通の衣服を着用した数人の男女と7、8人の子供たち。豚も数匹放し飼いにされている。
男性用の小屋からミイラが取り出される。300年前のものらしい。ミイラの写真を撮り、コテカの写真を撮り、子供たちと少し戯れる。時間にしてせいぜい20分ぐらいだが、あとはもうすることがない。コテカなどの土産物も売っているが、あまり興味はない。
するとYariが歩いて2、3分の隣の集落へ案内してくれた。ここも家屋の配置は同じだ。人はあまり見あたらず、比較的若い夫婦と子供が1人、それに豚が1匹いるだけ。Yariと一緒に男性用の小屋に入る。地面の上には藁が敷いてある。天井から電球らしきものがぶら下がっているので、「電気は通じているのか」と訊くが、質問が理解されなかった。
しばらくしてからYariに別れをつげ、大通りを歩いて10分ほどの別の集落を訪れた。藁葺きの小屋ではなく、通常の木造の家屋が並ぶ集落で、教会もあった。
大通りに出て、しばらく待ってから、乗り合いマイクロバスでジバマ市場に戻った。せっかくだから市場を見て回る。活気のあるマーケットで、野菜、果物、魚などがあふれている。コテカ姿の男も見られた。
2時を過ぎていたので、いくつかある食堂の1つに入る。ケースの中にオムレツらしものがあったので、2枚注文してライスに載せてもらった。20Kルピア(150円強)と安いにもかかわらず、今までのどの食堂よりもおいしかった。
ペモでワメナの中心まで戻り、Papua.comに立ち寄って、明日のバリエム渓谷南部へのトレッキングのガイドを依頼する。藤原さんが電話で連絡してくれたガイドと明朝8時半にPapua.comで落ち合うことになった。午後3時ごろまでのトレッキングで料金は500Kルピア。
人口3万のワメナはダニ、ラニ、ヤリといった部族からなるパプア人の町だ。町を歩いていると、一瞬アフリカにいるのかと勘違いすることもある。しかし、本来のパプア人だけでなく、インドネシアの他の地域から移住していた住民も少なくない。ネットを調べてもその割合がどれくらいかは判明しないが、ざっと見たところ、3割くらいはニューギニア島以外の地域からの移住組のような印象を受けた。ショップやレストラン、ホテルのほとんどは移住組によって営まれている。
町の中心にはこうした移住組のためのモスクもある(本来のパプア人は大半がキリスト教だ)。午後5時過ぎからこのモスクの前に食べ物や飲み物の出店が並ぶ。バナーにはRamadanという文字が書いてある。おそらく日没後に食べる食料を売る「ラマダン・テント」だろう。
このラマダン・テントで夕食用の食べ物をまかなうことにした。購入したのは揚げ天やパイ(のようなもの)などの3点とバナナを入れた白い飲み物。全部で19Kルピア(150円ほど)だった。ホテルに戻ってから食べ、明日のトレッキングに備える。
ホテルでビュフェ式の朝食をとったあと、8時半過ぎにPapua.comに向かう。藤原さんからワメナ観光の情報を得るためだ。
ホテルからPapua.comまでは歩いて10分強。昨日見た「商店街」(イリアン通り)を通り抜ける。路上に人だかりがしているので覗いてみる。4、5人の男がトランプで賭博していた。それを取り囲んで眺めている人たち。月曜日の朝9時前から路上で賭博する働き盛りの男たち。パプアが抱え込んでいる問題を垣間見たような気がした。
藤原さんの勧めに従ってまず警察でスラットジャラン(入域許可書)を取得する。許可書はもう必要なくなったとの情報もあるが(実際ワメナ滞在中に許可書が必要になった場面はなかった)、お金はかからず、手間もそうかからないから、いざという場合に備えて取得しておいたほうがいいだろう。
警察署はPapua.comから歩いて5分ほど。写真2枚とパスポートの名前のページのコピー(これは用意してた)、さらにインドネシアの入国スタンプが押してあるページのコピー(これはPapua.comで用意してもらった)を提出し、5分余り待つと許可書ができあがる。
今日はバリエム渓谷を北上してジゥイカ(Jiwika)という村へ行くつもりだ。行き方はおおよそネットで調べてある。藤原さんからも若干の情報を得た。まずペモ(乗り合いタクシー)でジバマ市場(Pasar Jibama)まで行く。ジバマ市場はバリエム渓谷北部へのバス・ターミナルでもあり、ジゥイカを経由するマイクロバスやトラックが出ている。
ジバマ市場へ行くペモはすぐにつかまった。料金は失念したが、5Kルピア以下だっただろう。ジバマ市場からジウィカへ行くバスを見つけるのはちょっと手間取った。が、これも10分ほど訊いて回って見つけることができた。バスではなく、乗り合いトラックだった。
ジバマ市場を10時過ぎに出発してから1時間足らずでトラックはジゥイカに着く。降りたのは私だけだ。乗り合いトラックの料金は15Kルピア(120円ほど)だった。
トラックを降りると、コテカ姿の老人が近づいてくる。停留所のそばに住んでいるYariという名前の老人だ。この老人のことは藤原さんから聞いていた。彼は片言の英語をしゃべる。「フジのところから来たのか」と尋ねられたので、「Yes」と答える。「フジ」とは藤原さんを指すのだろう。
私を案内するYari
村人たちの住み家へ向かう途中、集落の長(chief)と名乗る男が合流し、集落の中へ入る料金として500Kルピア(3900円ほど)を要求してくる。これだけ払えば無制限に写真を撮ってよいとのこと。法外な値段だ。値切る。が、まったく応じようとしない。ここで互いに気分を害してもと思い、結局この法外な入場料を受け入れてしまった。
藁葺きの小屋がいくつか見える。これが住み家だ。奥に少し大きめの小屋があり、その左右に4つずつ小屋が並んでいる。奥の小屋は男性用で、集落の男性は全員ここで寝起きするとのことだ。左右の小屋には女性や子供たちが住む。
茅葺きの家
コテカの老人が2、3人、上半身裸の老女も同じく2、3人。普通の衣服を着用した数人の男女と7、8人の子供たち。豚も数匹放し飼いにされている。
コテカ着用の老人
上半身裸の女性
子供たち
豚
男性用の小屋からミイラが取り出される。300年前のものらしい。ミイラの写真を撮り、コテカの写真を撮り、子供たちと少し戯れる。時間にしてせいぜい20分ぐらいだが、あとはもうすることがない。コテカなどの土産物も売っているが、あまり興味はない。
ミイラ
するとYariが歩いて2、3分の隣の集落へ案内してくれた。ここも家屋の配置は同じだ。人はあまり見あたらず、比較的若い夫婦と子供が1人、それに豚が1匹いるだけ。Yariと一緒に男性用の小屋に入る。地面の上には藁が敷いてある。天井から電球らしきものがぶら下がっているので、「電気は通じているのか」と訊くが、質問が理解されなかった。
男性用の小屋の中
ジウィカ
しばらくしてからYariに別れをつげ、大通りを歩いて10分ほどの別の集落を訪れた。藁葺きの小屋ではなく、通常の木造の家屋が並ぶ集落で、教会もあった。
大通りに出て、しばらく待ってから、乗り合いマイクロバスでジバマ市場に戻った。せっかくだから市場を見て回る。活気のあるマーケットで、野菜、果物、魚などがあふれている。コテカ姿の男も見られた。
ジバマ市場
2時を過ぎていたので、いくつかある食堂の1つに入る。ケースの中にオムレツらしものがあったので、2枚注文してライスに載せてもらった。20Kルピア(150円強)と安いにもかかわらず、今までのどの食堂よりもおいしかった。
遅めの昼食
ペモでワメナの中心まで戻り、Papua.comに立ち寄って、明日のバリエム渓谷南部へのトレッキングのガイドを依頼する。藤原さんが電話で連絡してくれたガイドと明朝8時半にPapua.comで落ち合うことになった。午後3時ごろまでのトレッキングで料金は500Kルピア。
人口3万のワメナはダニ、ラニ、ヤリといった部族からなるパプア人の町だ。町を歩いていると、一瞬アフリカにいるのかと勘違いすることもある。しかし、本来のパプア人だけでなく、インドネシアの他の地域から移住していた住民も少なくない。ネットを調べてもその割合がどれくらいかは判明しないが、ざっと見たところ、3割くらいはニューギニア島以外の地域からの移住組のような印象を受けた。ショップやレストラン、ホテルのほとんどは移住組によって営まれている。
町の中心にはこうした移住組のためのモスクもある(本来のパプア人は大半がキリスト教だ)。午後5時過ぎからこのモスクの前に食べ物や飲み物の出店が並ぶ。バナーにはRamadanという文字が書いてある。おそらく日没後に食べる食料を売る「ラマダン・テント」だろう。
ラマダン・テント
このラマダン・テントで夕食用の食べ物をまかなうことにした。購入したのは揚げ天やパイ(のようなもの)などの3点とバナナを入れた白い飲み物。全部で19Kルピア(150円ほど)だった。ホテルに戻ってから食べ、明日のトレッキングに備える。
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