5月29日。
今日はトレッキングの日だ。ホテルを出る前に、パスポート、クレジットカード、現金、タブレットPC、スマートフォンなどの貴重品をすべてフロントのセーフティ・ボックスに預けておく。藤原さんによると、今日歩くことになっているエリアではこの1年ほどで2回強盗事件があり、旅行者が身ぐるみはがされたらしい。貴重品は身につけていないほうがいいだろう。ガイド代(500Kルピア)に加えていくばくかのお金を入れた財布とカメラだけを携えて出発する。、
8時半にPapua.comに着くと、ガイドはすでに来ていた。藤原さんを交え、トレッキングの行程を確認する。ペモ(乗り合いタクシー)でスゴッモ(Sugokmog)まで行き、バリエム川を渡ってセイマ(Seima)まで歩く。セイマから再度バリエム川を渡りクリマに達する。クリマからスゴッモに戻る。クリマ(Krima)からスゴッモまでは歩いてもよいし、疲れていればバイクタクシーを利用してもよい。ワメナに帰ってくるのは3時ごろになるだろうとのこと。
ガイド(名前を聞いていたが忘れてしまった)と一緒にスゴッモ行きのペモが出るミシ市場(Pasar Misi)まで歩く。小さな食堂に入って昼食用の弁当をつくってもらう。オムレツ、鶏肉にライス。30Kルピア(230円ほど)。ガイドの分と併せて60Kルピアを支払う。ガイドは自分持ちでビスケットも購入した。
9時過ぎにミシ市場を出たペモは10時前にスゴッモに到着した。トレッキングの始まり。ガイドと2人で草地の中を入っていく。途中ガイドは藪の中に入り、木の枝を折って自分と私のための杖を作ってくれる。これでずいぶん助かった。30分ほど歩くと、バリエム川にかかる橋に達する。今はちゃんとした橋になっているが、以前はかなり危ない橋で、日本人旅行者が転落、それを助けようとしたガイドともども亡くなるという事故が発生したということだ。
ゴム草履のガイドはすたすた歩くが、でこぼこ道に苦労する私はなかなか追いつけない。畑仕事をしている人や背中に荷物を担いで歩いている人にすれ違う。でこぼこの石ころ道にもかかわらず、裸足で歩いている人が多い。
バリエム川を眺望する峠に達したところで、10分余り休憩する。強い日差しの中、日陰で休んでほっとする。
山道にはところどころ小さな柵が設けてある。豚の逃亡を防ぐための柵らしい。藁葺きの家も見られたが、人影はなかった。
セイマの手前の家に入る。ガイドの友人の家ということだ。上半身裸の友人が出てきて挨拶をする。家のベンチに厚い本が2冊置いてあった。聖書だ。
時刻は12時を過ぎており、ここで携帯していた弁当を食べる。しばらく休んでから再出発。
セイマにはこぎれいな教会が建っている。宣教師が最初に降り立ったのがこの地だとのこと。オランダ人の宣教師ということだが、いつごろのことか訊くのを忘れた。1930年代のことか、それとももっとあとの1950年代か。
子供が2人遊んでいるが、ほかに人影は見られず、ひっそりしている。
橋を渡ってクリマに出る。ここにはバイクタクシーが2、3台たむろしており、これを利用することにした。しばらく行くと石の河原があり、歩いて渡る。渡ってからまた別のバイクタクシーに乗る。
ガイドによれば、この地域で最近村同士の争いがあり、一方の村では27人、他方の村で7人の死者が出たという。銃は使わず、ナイフ、槍、弓での戦争だ。このため今でもペモ(乗り合いタクシー)は一方の村から他方の村へ入れないとのことだ。
あとで藤原さんに聞いたところ、盗んだバイクの代金を払う払わないから発生した争いで、死者は出ていないらしい。ただし死者が出る争いもときどきは発生するとのこと。弓、槍、刀による戦争(藤原さんによるともっぱら弓らしいが)。いったいいつの時代のことだ。5、60年前なら、死者は食用にされたことだろう。
バイクタクシーの終点に小さい小屋があった。小屋の中では7、8人の若者がトランプによる賭博に興じている。昨日の朝路上で見かけた風景と同じだ。
スゴッモからペモでワメナに戻る。Papua.comに着いたのは3時前だったが藤原氏は不在だった。ガイドに約束の500K(3800円ほど)を渡して別れる。
石でごつごつした山道を歩くのは結構疲れた。かなり急な傾斜も少なからずあった。セイマやクリマの集落の中に入っていかなかったのは心残りだ。ただ、遠くから見た限りでは、入っていってもあまり人には遭遇しなかったかもしれない。
夕食は今日もラマダン・テントでまかなった。焼きそばとエッグと果物入りの飲み物で25Kルピア。明日は特に予定がない。ワメナを気ままに探索しよう。
今日はトレッキングの日だ。ホテルを出る前に、パスポート、クレジットカード、現金、タブレットPC、スマートフォンなどの貴重品をすべてフロントのセーフティ・ボックスに預けておく。藤原さんによると、今日歩くことになっているエリアではこの1年ほどで2回強盗事件があり、旅行者が身ぐるみはがされたらしい。貴重品は身につけていないほうがいいだろう。ガイド代(500Kルピア)に加えていくばくかのお金を入れた財布とカメラだけを携えて出発する。、
8時半にPapua.comに着くと、ガイドはすでに来ていた。藤原さんを交え、トレッキングの行程を確認する。ペモ(乗り合いタクシー)でスゴッモ(Sugokmog)まで行き、バリエム川を渡ってセイマ(Seima)まで歩く。セイマから再度バリエム川を渡りクリマに達する。クリマからスゴッモに戻る。クリマ(Krima)からスゴッモまでは歩いてもよいし、疲れていればバイクタクシーを利用してもよい。ワメナに帰ってくるのは3時ごろになるだろうとのこと。
ガイド(名前を聞いていたが忘れてしまった)と一緒にスゴッモ行きのペモが出るミシ市場(Pasar Misi)まで歩く。小さな食堂に入って昼食用の弁当をつくってもらう。オムレツ、鶏肉にライス。30Kルピア(230円ほど)。ガイドの分と併せて60Kルピアを支払う。ガイドは自分持ちでビスケットも購入した。
9時過ぎにミシ市場を出たペモは10時前にスゴッモに到着した。トレッキングの始まり。ガイドと2人で草地の中を入っていく。途中ガイドは藪の中に入り、木の枝を折って自分と私のための杖を作ってくれる。これでずいぶん助かった。30分ほど歩くと、バリエム川にかかる橋に達する。今はちゃんとした橋になっているが、以前はかなり危ない橋で、日本人旅行者が転落、それを助けようとしたガイドともども亡くなるという事故が発生したということだ。
橋の上のガイド
ゴム草履のガイドはすたすた歩くが、でこぼこ道に苦労する私はなかなか追いつけない。畑仕事をしている人や背中に荷物を担いで歩いている人にすれ違う。でこぼこの石ころ道にもかかわらず、裸足で歩いている人が多い。
バリエム川を眺望する峠に達したところで、10分余り休憩する。強い日差しの中、日陰で休んでほっとする。
ここで小休憩
山道でも裸足
山道にはところどころ小さな柵が設けてある。豚の逃亡を防ぐための柵らしい。藁葺きの家も見られたが、人影はなかった。
豚の逃亡を防ぐ柵
藁葺きの家
セイマの手前の家に入る。ガイドの友人の家ということだ。上半身裸の友人が出てきて挨拶をする。家のベンチに厚い本が2冊置いてあった。聖書だ。
ガイドの友人の家
時刻は12時を過ぎており、ここで携帯していた弁当を食べる。しばらく休んでから再出発。
セイマにはこぎれいな教会が建っている。宣教師が最初に降り立ったのがこの地だとのこと。オランダ人の宣教師ということだが、いつごろのことか訊くのを忘れた。1930年代のことか、それとももっとあとの1950年代か。
子供が2人遊んでいるが、ほかに人影は見られず、ひっそりしている。
橋を渡ってクリマに出る。ここにはバイクタクシーが2、3台たむろしており、これを利用することにした。しばらく行くと石の河原があり、歩いて渡る。渡ってからまた別のバイクタクシーに乗る。
河原を行く
ガイドによれば、この地域で最近村同士の争いがあり、一方の村では27人、他方の村で7人の死者が出たという。銃は使わず、ナイフ、槍、弓での戦争だ。このため今でもペモ(乗り合いタクシー)は一方の村から他方の村へ入れないとのことだ。
あとで藤原さんに聞いたところ、盗んだバイクの代金を払う払わないから発生した争いで、死者は出ていないらしい。ただし死者が出る争いもときどきは発生するとのこと。弓、槍、刀による戦争(藤原さんによるともっぱら弓らしいが)。いったいいつの時代のことだ。5、60年前なら、死者は食用にされたことだろう。
バイクタクシーの終点に小さい小屋があった。小屋の中では7、8人の若者がトランプによる賭博に興じている。昨日の朝路上で見かけた風景と同じだ。
この小屋の中で賭博
スゴッモからペモでワメナに戻る。Papua.comに着いたのは3時前だったが藤原氏は不在だった。ガイドに約束の500K(3800円ほど)を渡して別れる。
石でごつごつした山道を歩くのは結構疲れた。かなり急な傾斜も少なからずあった。セイマやクリマの集落の中に入っていかなかったのは心残りだ。ただ、遠くから見た限りでは、入っていってもあまり人には遭遇しなかったかもしれない。
トレッキングの動画
夕食は今日もラマダン・テントでまかなった。焼きそばとエッグと果物入りの飲み物で25Kルピア。明日は特に予定がない。ワメナを気ままに探索しよう。
とても楽しそうなパプア紀行ありがとうございます!!
返信削除私も今月末パプアへ行くことにしたので参考にさせていただきます♫他にオススメなどありましたらお聞きしたいです。