11月6日。
昨日までは、ラホールからまずラワルピンディに行き、ラワルピンディに1泊してからペシャワルに向かう行程を考えていた。しかし、ラワルピンディに1泊する必要はなさそうだ。ラホールからラワルピンディまではバスで4時間、ラワルピンディからペシャワルまでは2時間。ラホールからラワルピンディまで6時間かけて一挙に行ったほうが効率的だろう。ラワルピンディには帰路に立ち寄ればよい。昨日教えてもらったバス・ステーションからはペシャワル行きのノンストップ・バスも出ているはずだ。
ペシャワル行きを決め、8時に朝食をとってから、ホテルにBilal Daewoo(正式な名称はBilal Travels)バス・ステーションまでのタクシーの手配を依頼した。
Bilal DaewooのDaewooは韓国の自動車メーカー大宇を指す。大宇は1999年に経営破綻しており、ここでのDaewooも大宇のバスを使っているというだけの意味だろう。
バス・ステーションまでは420ルピー(370円ほど)だった。窓口でペシャワルまでのチケットを購入。1250ルピー(1100円ほど)。ゼネラル・バススタンドから出ているミニバスなら、おそらくこの半額以下だろう。
時刻はちょうど9時。9時発のペシャワル行きにタイミングよく間に合った。
大型バスは5分の4くらいが埋まっていた。運賃が高いだけのことはある。ゆったりした座席にはモニターが付いており、映画や音楽を鑑賞できる。うれしいのはWifiを利用できることだ。結構速く、ストレスなくネットに接続できる。女性の車掌が同乗しており、ミネラルウォーターとコーラ、お菓子を配ってくれる。
近くの座席にいた2人の若者との会話が始まる。2人はペシャワルに住んでおり、20歳と21歳。20歳のほうはすでに働いており、21歳のほうはペシャワルの大学で物理学を学んでいる。彼らとは楽しく話したが(英語をしゃべるのは学生だけであり、彼が通訳となった)、内容はたわいもなく、ほとんど忘れてしまった。確か2人ともパシュトゥーン人だと言っていたはずだ。
サービスエリアでの休憩(ここで昼食用の総菜パンを購入)をはさみ、バスは2時半ごろにペシャワルのBilal Travelsバス・ステーションに到着した。バスを降りたところには、タクシーやトゥクトゥクが何台も待機している。タクシーの運転手が声をかけてきた。ペシャワルの旧市街までは300ルピーだという。バスの中で一緒だった2人に「(300ルピーは)適切な値段か」と尋ねたところ、彼らがかけあってくれて250ルピー(220円ほど)になった。
目指したのは旧市街にあるRose Hotel。ネットでペシャワル情報を探っていたときに出てきたホテルだ。パキスタン、特にラワルピンディやペシャワルでは、外国人はどのホテルにも泊まれるわけではない。軍からの許可を得ていない安宿では断られる場合もある。Rose Hotelについても、泊まれたという情報もあれば、断られたという情報もあった。
とういうわけで若干の危惧はあったが、問題なく宿泊できた。1泊900ルピー(800円ほど)。ここに2泊することにした。
受付の男性によれば、ある日本人の女性旅行者はペシャワルが気に入り、Rose Hotelに1週間滞在したとか。その女性からは今でも連絡があるらしい。
部屋で少し休んでから街に出た。ペシャワルはアフガニスタンとの国境まで50Kmほど。住民もパシュトゥーン人が多数派で、これも人口の50%がパシュトゥーン人のアフガニスタンと共通する。街には多くのアフガニスタン人がいるはずだが、誰がパキスタン人で、誰がアフガニスタン人かはわからない。
ペシャワルのバザールをざっと歩いてみた。ラホールほどではないが、ペシャワルも人があふれ、自動車のクラクションが絶えない。混雑と喧噪の中を歩くのは少々疲れる。
ラホールには見られなかった顕著な特徴がひとつ。眼まで隠したブルカを着用している女性が多いことだ。50%までとはいかなくとも、それに近いくらいの女性がブルカで顔を隠している。カブールと似た風景だ。ただ、ペシャワルのブルカはほとんどすべて茶色と白色だ。アフガニスタンのブルカは100%青色だった。
外国人としての私の注目度はおどろくほどだった。握手を求める人、写真を求める人。私の写真、私とのツーショットの写真に加え、「俺の写真を撮ってくれ」との要求も少なくなかった。
この注目度の高さはバングラデシュやソマリランドに比肩しうる。私がバングラデシュを訪れたのは2008年で、ソマリランドは2011年。スマートフォンはまだ登場していないか、していても普及はしていなかった。したがって、注目度が即写真撮影につながるケースもそれほど多くなかった。
それに比べ、2018年のペシャワルでは住民の多くがスマートフォンを所有している。したがって交流の手段も写真やFacebookを介したものとなる。Facebookを脱けてしまったことをちょっと後悔した。
かかってくる言葉は、「ハロー」、「ハウアーユー」、「サラムアレイクム」を除けば、「チャイナ」と「ニイハオ」が多い。「こんにちは」や「ジャパン」は私の覚えている限り一度もなかった。
パキスタンと中国の関係の深さを思えば、これは不思議ではない。中国人をターゲットとしたテロもときおり発生しているパキスタンではあるが、一般の人たちの中国に対する感情はそう悪くはないようだ。
路上でレバーを炒めている男から声がかかる。写真を撮れとのこと。ついでにここで夕食をとることにした。周りの客も椅子を出したりして私の世話をしてくれる。レバー炒めとナンで100ルピー(90円ほど)。レバーだけを炒めた料理は私にはちょっと癖が強すぎた。
6時をすぎると暗くなり始めた。なにぶんにもパキスタン・タリバンの影響が強いエリアだ。少し早いが宿へ帰ろう。
昨日までは、ラホールからまずラワルピンディに行き、ラワルピンディに1泊してからペシャワルに向かう行程を考えていた。しかし、ラワルピンディに1泊する必要はなさそうだ。ラホールからラワルピンディまではバスで4時間、ラワルピンディからペシャワルまでは2時間。ラホールからラワルピンディまで6時間かけて一挙に行ったほうが効率的だろう。ラワルピンディには帰路に立ち寄ればよい。昨日教えてもらったバス・ステーションからはペシャワル行きのノンストップ・バスも出ているはずだ。
ペシャワル行きを決め、8時に朝食をとってから、ホテルにBilal Daewoo(正式な名称はBilal Travels)バス・ステーションまでのタクシーの手配を依頼した。
Bilal DaewooのDaewooは韓国の自動車メーカー大宇を指す。大宇は1999年に経営破綻しており、ここでのDaewooも大宇のバスを使っているというだけの意味だろう。
バス・ステーションまでは420ルピー(370円ほど)だった。窓口でペシャワルまでのチケットを購入。1250ルピー(1100円ほど)。ゼネラル・バススタンドから出ているミニバスなら、おそらくこの半額以下だろう。
時刻はちょうど9時。9時発のペシャワル行きにタイミングよく間に合った。
大型バスは5分の4くらいが埋まっていた。運賃が高いだけのことはある。ゆったりした座席にはモニターが付いており、映画や音楽を鑑賞できる。うれしいのはWifiを利用できることだ。結構速く、ストレスなくネットに接続できる。女性の車掌が同乗しており、ミネラルウォーターとコーラ、お菓子を配ってくれる。
Bilal Travelのペシャワル行きバス
車内
近くの座席にいた2人の若者との会話が始まる。2人はペシャワルに住んでおり、20歳と21歳。20歳のほうはすでに働いており、21歳のほうはペシャワルの大学で物理学を学んでいる。彼らとは楽しく話したが(英語をしゃべるのは学生だけであり、彼が通訳となった)、内容はたわいもなく、ほとんど忘れてしまった。確か2人ともパシュトゥーン人だと言っていたはずだ。
バスで一緒だった2人(サービスエリアで)
サービスエリアでの休憩(ここで昼食用の総菜パンを購入)をはさみ、バスは2時半ごろにペシャワルのBilal Travelsバス・ステーションに到着した。バスを降りたところには、タクシーやトゥクトゥクが何台も待機している。タクシーの運転手が声をかけてきた。ペシャワルの旧市街までは300ルピーだという。バスの中で一緒だった2人に「(300ルピーは)適切な値段か」と尋ねたところ、彼らがかけあってくれて250ルピー(220円ほど)になった。
目指したのは旧市街にあるRose Hotel。ネットでペシャワル情報を探っていたときに出てきたホテルだ。パキスタン、特にラワルピンディやペシャワルでは、外国人はどのホテルにも泊まれるわけではない。軍からの許可を得ていない安宿では断られる場合もある。Rose Hotelについても、泊まれたという情報もあれば、断られたという情報もあった。
とういうわけで若干の危惧はあったが、問題なく宿泊できた。1泊900ルピー(800円ほど)。ここに2泊することにした。
受付の男性によれば、ある日本人の女性旅行者はペシャワルが気に入り、Rose Hotelに1週間滞在したとか。その女性からは今でも連絡があるらしい。
Rose Hotel
部屋で少し休んでから街に出た。ペシャワルはアフガニスタンとの国境まで50Kmほど。住民もパシュトゥーン人が多数派で、これも人口の50%がパシュトゥーン人のアフガニスタンと共通する。街には多くのアフガニスタン人がいるはずだが、誰がパキスタン人で、誰がアフガニスタン人かはわからない。
ペシャワルのバザールをざっと歩いてみた。ラホールほどではないが、ペシャワルも人があふれ、自動車のクラクションが絶えない。混雑と喧噪の中を歩くのは少々疲れる。
ペシャワルを歩く
ラホールには見られなかった顕著な特徴がひとつ。眼まで隠したブルカを着用している女性が多いことだ。50%までとはいかなくとも、それに近いくらいの女性がブルカで顔を隠している。カブールと似た風景だ。ただ、ペシャワルのブルカはほとんどすべて茶色と白色だ。アフガニスタンのブルカは100%青色だった。
ブルカ姿の女性
外国人としての私の注目度はおどろくほどだった。握手を求める人、写真を求める人。私の写真、私とのツーショットの写真に加え、「俺の写真を撮ってくれ」との要求も少なくなかった。
この注目度の高さはバングラデシュやソマリランドに比肩しうる。私がバングラデシュを訪れたのは2008年で、ソマリランドは2011年。スマートフォンはまだ登場していないか、していても普及はしていなかった。したがって、注目度が即写真撮影につながるケースもそれほど多くなかった。
それに比べ、2018年のペシャワルでは住民の多くがスマートフォンを所有している。したがって交流の手段も写真やFacebookを介したものとなる。Facebookを脱けてしまったことをちょっと後悔した。
かかってくる言葉は、「ハロー」、「ハウアーユー」、「サラムアレイクム」を除けば、「チャイナ」と「ニイハオ」が多い。「こんにちは」や「ジャパン」は私の覚えている限り一度もなかった。
パキスタンと中国の関係の深さを思えば、これは不思議ではない。中国人をターゲットとしたテロもときおり発生しているパキスタンではあるが、一般の人たちの中国に対する感情はそう悪くはないようだ。
路上でレバーを炒めている男から声がかかる。写真を撮れとのこと。ついでにここで夕食をとることにした。周りの客も椅子を出したりして私の世話をしてくれる。レバー炒めとナンで100ルピー(90円ほど)。レバーだけを炒めた料理は私にはちょっと癖が強すぎた。
この男のもとで
この夕食をとる
6時をすぎると暗くなり始めた。なにぶんにもパキスタン・タリバンの影響が強いエリアだ。少し早いが宿へ帰ろう。
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