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2020年3月11日水曜日

フィリピン戦跡巡り 七日目(コレヒドール島ツアー)

2月20日。

今日はコレヒドール島ツアーの日。戦場がそのまま残されているコレヒドール島の見学は、今回の戦跡巡りのハイライトだ。

このツアーではフェリー・ターミナルに早朝6時半にチェックインすることになっている。タクシーが拾えなければ徒歩で行くしかないと思い、5時40分ごろにホテルを出た。

杞憂だった。外はまだ暗いが、ホテルの外はすでにフル回転。タクシーやトライシクルもいっぱい走っている。せっかく早く起きたのだから、歩いてターミナルまで行く。

到着したころには夜が明けていた。ターミナル内のセブンイレブンでソーセージを1本購入して朝食代わりとする。

6時半にチェックイン。30ペソの港湾使用料を支払って乗り込んだフェリーは予定どおり7時半に出航。ツアー参加者は予想したより多く、ゆうに100人を超えている。大半はフィリピン人だが、欧米人も2、30人はいそうだ。中高年の欧米人男性と若いフィリピン人女性のカップルも少なくない。東洋人はほとんどいない。これはコロナウィルスの影響だろう。日本人は私が確認した限り3人だった。

船内での私の席の隣は4、50代の日本人男性と若いフィリピン女性だった。男性は愛知県出身で、何回もフィリピンに来ているらしい。バターン半島もタクシーをチャーターして訪れたとのこと。チャーターの代金は1日で5000ペソ(1万円ちょっと)だっという。

フェリーの中

フェリーは2時間ほどでコレヒドール島に到着した。船を降りたところに、4、5台のオープン・バスが待ち構えている。このバスに分乗して島を巡る。バスにはそれぞれフィリピン人のガイドが同乗しており、英語で説明する。

スペインに代わってフィリピンを植民地とした米国は1900年代の初頭にコレヒドール島を要塞化する。セメントは日本(浅野セメント)から輸入し、鉄筋は米国製を使ったとのこと。島は米軍の生活の場でもあり、軍事施設だけでなく、映画館やダンスホール、プールも備えていた。

島は1942年に米軍の撤退とともに日本軍の占領下におかれ、1945年2月に米軍に奪回された。米軍の猛攻撃のもと、総勢5千人の日本軍兵士が玉砕した(生存者はわずか9人ともいわれている)。その悲惨な現場を保存したのがコレヒドール島だ。

コレヒドール島ツアー

バスが出発するとすぐに廃墟や洞穴が目に入ってくる。まずマリンタ・トンネルに立ち寄る。日本軍が立てこもり、多数の戦死者を出したトンネルだ。トンネル見学はオプションだが、ほぼ全員が中に入った。

トンネルに入ると「光とサウンドのショー」が始まる。トンネル内の各壕に旗や模型、人形が配置され、ナレーション(もちろん英語)が重なる。ビデオを放映している壕もある。こうした人為的なショーより、当時のままを残しておいてくれたほうが臨場感があるのではというのが正直な感想。

マリンタ・トンネルを出る

続いて日本人による慰霊碑が建てられている丘に向かう。ここは「日本平和庭園」と呼ばれているらしく、海に向けられた大砲から少し離れて各種の慰霊碑や記念碑、観音像が見られる。「向こうに日本人の墓がある」と教えてくれたフィリピン人のカップルとしばらく話す。

慰霊碑

まだ12時になっていないが、ホテル(Corregidor Inn)でランチ・タイムとなる。ツアーには2日がかりのコースもあり、その場合はこのホテルに宿泊することになる。

ビュッフェ式のランチは期待外れだったが、ツアーの食事となればこんなものかもしれない。

廃墟を通過しながらバスはBattery Wayという砲台に着く。1942年の戦いで日本軍を震撼させた巨大な大砲がいまも残っている。

Battery Way

次にハーン砲台を見てから、長い兵舎や映画館、ダンスホールがあった広場に行く。いわば島のメイン広場といった趣だ。もちろん残っているのはすべて完全な廃墟で、当時の面影はない。太平洋戦争記念碑(Pacific War Memorial)や米国・フィリピン兵士像(Brothers in Arms)があるのもここだ。

ハーン砲台

長い兵舎

Brothers in Arms

太平洋戦争記念博物館(Pacific War Memorial Museum)にはマッカーサーのレイテ上陸、山下将軍の軍事裁判などの興味深い写真が展示してあった。

山下将軍

スペイン統治時代の灯台(もちろん再建されたものだ)に続きBattery Crockettの砲台を訪れ、最後に海岸を少し散策してからツアーは終了した。

Battery Crockett

戦争のすさまじさを物語る廃墟や残骸がこれだけ多く残されているのは驚嘆に値する。砲台や廃墟を背景に写真を撮り合っている欧米人(おそらく米人)とフィリピンの若い女性のカップル、フィリピンの家族連れ、若い女性グループなどはこれをどう受け止めているのだろうか。

私の場合は、これまで無知だった太平洋戦争時の日本とフィリピンの関係を生の形で眼前につきつけられる、そうした体験としてこのツアーはあった。

再びフェリーに乗り、ターミナルに着いたときには、予定より30分ほど遅れて5時近くになっていた。

時間があるので宿まで歩く。途中、2日前と同じくDoubleDragon Plazaに入り、Mang Inasalというチェーン店で夕食をとる。

フィリピン戦跡巡りのメイン・イベントはこうして終わった。明日はバギオへ向かう。

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