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2020年3月9日月曜日

フィリピン戦跡巡り 五日目(サンチャゴ要塞)

2月18日。

太平洋戦争におけるフィリピン人の犠牲者は約100万人であり、マニラ市街戦では約10万の市民が犠牲になっている。1941年から42年にかけて日本軍がマニラに攻め入ったとき、米軍はマニラを無防備都市と宣言し、戦場は主としてバターン半島とコレヒドール島だった。

ところが、1944年10月から翌年春にかけての米軍の反攻時、日本軍はマニラを無防備都市とはせず、マニラ死守の戦いを展開した。多数の市民が犠牲になったのはこのためだ。米軍による無差別砲撃の犠牲者も少なくないが(4割という数字をどこかで目にした)、過半数は抗日ゲリラの疑いなどで日本軍の手によって殺された。

マニラ市街戦で大きな打撃を受けたのは、17世紀はじめにスペインによって建造された城壁内のイントラムロス(「壁の中」という意味)であり、なかでも軍事施設があったサンチャゴ要塞だ。

今日の目的は、イントラムロスを探訪し、サンチャゴ要塞を見ること。

宿泊しているSogo Hotelは高架鉄道(LRT Line1)のEdsa駅の近くある。Edsa駅で電車に乗り、UN Avenu駅で降りる。時刻は10時半。

イントラムロスに向かうに先立って、ファーストフード店のJollibieでブランチとする。注文したのはチキンとスパゲッティ。フィリピンのファーストフード店では、マクドナルドやKFCなどの外資系も含め、チキンなどにライスを添えて提供するメニューが多い。ライスではなくスパゲッティを付ける選択肢も用意されている。フィリピンのライスがいまひとつ口に合わないこともあり、スパゲッティを選んでみた。結果は...ライスよりはましか。

UN Avenu駅から、リサール公園を抜けてイントラムロスに入り、サンチャゴ要塞に到着する。こうさっと書くほど簡単に行けたわけではない。迷わずに最短のルートをたどっても30分くらいかかるところを、ゆうに1時間以上かけてやっとたどり着いた。グーグルマップを見ながらこの始末だから情けない。

リサール公園内の中国庭園

サンチャゴ要塞は観光スポットとなっており、75ペソの入場料が必要になる。入るとすぐ大砲や弾痕で穴だらけとなった建物が目に入る。入場者もそこそこいる。大多数のフィリピン人観光客に混じって外国人もちらほら。5、6人の日本人の若者グループも見かけた。

もともとは米軍が建造した軍事施設や砲台だが、1945年には日本軍の作戦に使われ、米軍のささまじい攻撃にさらされた。

廃墟となったバラック

大砲

サンチャゴ要塞はフィリピンの独立運動家ホセ・リサールが1896年に処刑された場でもあり、そのモニュメントや展示もあった。

少し奥に進むと、地下牢(Dungeon)がある。ここでは約600名のフィリピン人捕虜が虐殺された。戦後、この行為によって、多数の日本人将校が裁かれ、処刑された。

階段を降り、狭い入口から腰をかがめて地下牢の中に入る。長い坑道が続く。ところどころに、日本軍兵士や捕虜を模した人形が置いてある。

地下牢の入口

地下牢の中

サンチャゴ要塞を出る。マニラ大聖堂を通り過ぎ、しばらく行くと、MEMORARE - MANILA 1945のモニュメントが目に入る。マニラ市街戦の記念碑であり、毎年2月にはここで式典が開催されているという。

MEMORARE - MANILA 1945

UN Avenu駅まで歩き、電車でEdsa駅に戻る。暑い中を歩いたこともあり、冷たいものがほしい。駅の近くのChowkingに入り、Whitemilk HaloHaloを注文。ハロハロの一変種だ。通常のハロハロより10ペソ高く、ミディアム・サイズで85ペソ。こちらもなかなかいける。

セブンイレブンに立ち寄って、缶ビール(サンミゲル)とピーナッツ、チョコレート・ミルクを購入。普段は酒を飲まないようにしているが、、汗に滲んだ体がビールをほしがった。これら加えて、街角で買ったシュウマイを宿に持ち帰り、夕食代わりとする。

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