2月15日。
タクロバン行きのフライトは9時50分発。6時過ぎにホテルをチェックアウトし、Grabでマニラ空港ターミナル4に向かう。10分ほどで到着し、料金は100ペソ(210円ほど)。
1時間半のフライトでタクロバンに着く。タクロバンはレイテ島北東部の海岸に位置する都市で、人口は22万人。1944年10月にレイテ島に上陸した米軍はタクロバンに司令部を置き、フィリピン奪回の拠点とした。2013年、タクロバンは台風ヨランダによって壊滅的な打撃を受け、数千人の犠牲者を出している。
小さなタクロバン空港を出て、Grabを使おうとしたが、「この地域では利用できません(Not available)」というメッセージが出る。Grabはフィリピン全域をカバーしているわけではないらしい。タクシーを利用するしかない。
ホテルはTacloban Plaza Hotelを考えていた。予約はしていない。Booking.comで部屋の空き状況、値段、ロケーションを確かめていただけだ。ホテルをあらかじめ予約することは選択の自由の制限につながる。現地に着いてから気に入ったホテルが目についても、あるいは安そうなホテルを見つけても、選択の余地がないのだ。そのうえ、直接に交渉したほうがBooking.comに記載してある値段より安くなることが少なくない。
声を掛けてきた初老の運転手の誘いにのり、とりあえずPlaza Hotelに行くことにした。
途中、マッカーサー公園に立ち寄ることになった。マッカーサー公園とは正式には「MacAuthur Landing Memorial Park」という名称であり、マッカーサーがレイテ島に上陸するときの様子を模したブロンズ像が建立されている。タクロバンでもっとも有名な(あるいはタクロバン唯一の)観光モニュメントと言えよう。
青空の好天のもと、マッカーサーを先頭に7人の米軍将校が光を浴びて立っている。像の後ろ側の台座の部分は戦闘の模様を描くレリーフで飾られている。フィリピン人のゲリラとおぼしき絵柄もある。レイテ島は抗日ゲリラの勢力が強かった島だ。
フィリピン人の観光客もちらほら。若い人が多く、マッカーサーたちを背景に写真を撮っている。
マッカーサー公園は空港からホテルへ向かう途中にあるが、若干遠回りになる。公園での写真撮影時間を含め、400ペソ(840円ほど)をタクシー代として払った。
Plaza Hotelの近くのHotel XYZもあたってみたが、1泊3300ペソ(6900円ほど)ということなので、結局Plaza Hotelにチェックインした。朝食付きで1泊1500ペソ(3000円強)。Booking.comに記載してあった値段は2000ペソだったから、ここでも予約なしのやり方が功を奏したわけだ。このホテルに2泊する。
2時ごろにホテルの近くの食堂で昼食をとる。Tapaという料理だった。Tapaとはビーフジャンキーのことだ。昨晩はKFC、今朝はマニラ空港の売店でドーナツだったから、今回はじめて口にするフィリピン料理だ。200円足らずと値段は安いが、量が少なくてがっかりする。
食後、20分ほどかけてレイテ公園まで歩く。この公園には日本人が建立した「マリア観音」なる一種の慰霊碑がある。公園と呼ぶには雑然としすぎている場所に「Madonna of JAPAN」という大きな看板が見える。肝心のマリア観音は見えない。看板の付近をうろうろしてやっと見つけた。マリア観音の少し上のほうに「平和記念碑」という石塔も建っている。観音像も石塔もあまり手入れはされていない。日本語や英語で書かれた石板もあったが、文字は消えていて、まったく読めない。
レイテの海岸沿いを散歩しながら、宿に戻る。街のパン屋で買ったパンとコーラで夕食とする。
2月16日。
8時にホテルでビュッフェ式の朝食をとる。3000円という値段を考えれば満足のいく内容だ。
昼前にHotel Alejandroまで行く。Plaza Hotelからは歩いて10分ほどの距離だ。Hotel Alejandroには第二次大戦時の日米軍人の写真が飾ってあるいうことだったが、さして興味のある展示は見られなかった。
タクロバンにある第二次大戦関連の事跡はこれですべて見た。もちろんもっとほかにもあるだろうが、私が調べた限りではこれが限界だった。レイテ島西部にオルマックという町がある。レイテ戦の記録にしばしば出てくる地名だ。タクロバンからはミニバンで3時間ほどとのことだ。オルマックへ行くことも考えたが、何か目当てがあるわけではなく、ただ行って帰っているだけになりそうだ。
というわけで、午後はひたすらタクロバンの探索に費やした。タクロバンはそれなりに活気があり、賑わっている。今日は日曜なので、教会ではミサが行われていた。
特筆すべきは、フィリピンのデザートであるハロハロがおいしかったこと。ハロハロとはかき氷にミルク、アイスクリーム、豆、ゼリー、フルーツなどを入れたフィリピンの国民的デザートで、暑い中を歩きに歩いたあと口にするとことのほかおいしい。私が食べたのはChowkingという中華系のファーストフード店のハロハロ。ミディアム・サイズで75ペソ(160円ほど)だった。
夕食はスーパーで購入したカップラーメンと朝食時に持ち帰ったバナナで済ませた。明日はマニラに戻る。
タクロバン行きのフライトは9時50分発。6時過ぎにホテルをチェックアウトし、Grabでマニラ空港ターミナル4に向かう。10分ほどで到着し、料金は100ペソ(210円ほど)。
1時間半のフライトでタクロバンに着く。タクロバンはレイテ島北東部の海岸に位置する都市で、人口は22万人。1944年10月にレイテ島に上陸した米軍はタクロバンに司令部を置き、フィリピン奪回の拠点とした。2013年、タクロバンは台風ヨランダによって壊滅的な打撃を受け、数千人の犠牲者を出している。
小さなタクロバン空港を出て、Grabを使おうとしたが、「この地域では利用できません(Not available)」というメッセージが出る。Grabはフィリピン全域をカバーしているわけではないらしい。タクシーを利用するしかない。
ホテルはTacloban Plaza Hotelを考えていた。予約はしていない。Booking.comで部屋の空き状況、値段、ロケーションを確かめていただけだ。ホテルをあらかじめ予約することは選択の自由の制限につながる。現地に着いてから気に入ったホテルが目についても、あるいは安そうなホテルを見つけても、選択の余地がないのだ。そのうえ、直接に交渉したほうがBooking.comに記載してある値段より安くなることが少なくない。
声を掛けてきた初老の運転手の誘いにのり、とりあえずPlaza Hotelに行くことにした。
途中、マッカーサー公園に立ち寄ることになった。マッカーサー公園とは正式には「MacAuthur Landing Memorial Park」という名称であり、マッカーサーがレイテ島に上陸するときの様子を模したブロンズ像が建立されている。タクロバンでもっとも有名な(あるいはタクロバン唯一の)観光モニュメントと言えよう。
青空の好天のもと、マッカーサーを先頭に7人の米軍将校が光を浴びて立っている。像の後ろ側の台座の部分は戦闘の模様を描くレリーフで飾られている。フィリピン人のゲリラとおぼしき絵柄もある。レイテ島は抗日ゲリラの勢力が強かった島だ。
マッカーサー上陸のブロンズ像
台座のレリーフ(その1)
台座のレリーフ(その2)
フィリピン人の観光客もちらほら。若い人が多く、マッカーサーたちを背景に写真を撮っている。
マッカーサー公園は空港からホテルへ向かう途中にあるが、若干遠回りになる。公園での写真撮影時間を含め、400ペソ(840円ほど)をタクシー代として払った。
Plaza Hotelの近くのHotel XYZもあたってみたが、1泊3300ペソ(6900円ほど)ということなので、結局Plaza Hotelにチェックインした。朝食付きで1泊1500ペソ(3000円強)。Booking.comに記載してあった値段は2000ペソだったから、ここでも予約なしのやり方が功を奏したわけだ。このホテルに2泊する。
2時ごろにホテルの近くの食堂で昼食をとる。Tapaという料理だった。Tapaとはビーフジャンキーのことだ。昨晩はKFC、今朝はマニラ空港の売店でドーナツだったから、今回はじめて口にするフィリピン料理だ。200円足らずと値段は安いが、量が少なくてがっかりする。
食後、20分ほどかけてレイテ公園まで歩く。この公園には日本人が建立した「マリア観音」なる一種の慰霊碑がある。公園と呼ぶには雑然としすぎている場所に「Madonna of JAPAN」という大きな看板が見える。肝心のマリア観音は見えない。看板の付近をうろうろしてやっと見つけた。マリア観音の少し上のほうに「平和記念碑」という石塔も建っている。観音像も石塔もあまり手入れはされていない。日本語や英語で書かれた石板もあったが、文字は消えていて、まったく読めない。
マリア観音(Madonna of JAPAN)
平和記念碑
レイテの海岸沿いを散歩しながら、宿に戻る。街のパン屋で買ったパンとコーラで夕食とする。
2月16日。
8時にホテルでビュッフェ式の朝食をとる。3000円という値段を考えれば満足のいく内容だ。
ホテルの朝食
昼前にHotel Alejandroまで行く。Plaza Hotelからは歩いて10分ほどの距離だ。Hotel Alejandroには第二次大戦時の日米軍人の写真が飾ってあるいうことだったが、さして興味のある展示は見られなかった。
タクロバンにある第二次大戦関連の事跡はこれですべて見た。もちろんもっとほかにもあるだろうが、私が調べた限りではこれが限界だった。レイテ島西部にオルマックという町がある。レイテ戦の記録にしばしば出てくる地名だ。タクロバンからはミニバンで3時間ほどとのことだ。オルマックへ行くことも考えたが、何か目当てがあるわけではなく、ただ行って帰っているだけになりそうだ。
というわけで、午後はひたすらタクロバンの探索に費やした。タクロバンはそれなりに活気があり、賑わっている。今日は日曜なので、教会ではミサが行われていた。
タクロバン
特筆すべきは、フィリピンのデザートであるハロハロがおいしかったこと。ハロハロとはかき氷にミルク、アイスクリーム、豆、ゼリー、フルーツなどを入れたフィリピンの国民的デザートで、暑い中を歩きに歩いたあと口にするとことのほかおいしい。私が食べたのはChowkingという中華系のファーストフード店のハロハロ。ミディアム・サイズで75ペソ(160円ほど)だった。
ハロハロ
夕食はスーパーで購入したカップラーメンと朝食時に持ち帰ったバナナで済ませた。明日はマニラに戻る。
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