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2025年1月10日金曜日

南半球一周ピースボートの旅(その7)

 1月6日

船は午前7時過ぎにポートエリザベスに着岸した。オプションとして選択していたショッピングモール(Boardwalk)への送迎バスは12時15分に港を出て、20分ほどで目的地に着いた。海辺のそばのショッピングモールだ。

海辺を散策してから、モールに入る。クリーンでしゃれた一階建てのモール。ヨーロッパのモールと比べても遜色はない。無料のトイレもきれいだ。

海水浴を楽しむ地元民

ショッピングモール

ちょっと大きめのレストランでhakeという魚の料理を注文する。あとで調べると、hakeはタラの一種らしい。出てきたのはイギリス式のフィッシュ・アンド・チップス。まずは満足できる味で、1800円ほど。値段もアフリカの平均的なレベルではない。

フィッシュ・アンド・チップス

再度海辺をぶらぶらする。昨日の講演で覚えたXhosa語の「Molo」(ハロー)を使って声をかける。反応は上々だ。日本、中国、韓国人が乗り合わせている「ピースボート」の乗客であることを説明する。

手を振る地元民

6時に帰船の途につき、南アフリカの第一日を終えた。

1月7日

この日は「ポートエリザベス・ショート観光」のオプションをとっていた。9時から12時までの文字通りショートのスケジュール。

ガイドは中年の白人女性。英語のみのガイドで、日本語の通訳はない。

バスは街を見おろす丘に着く。市庁舎、灯台、記念碑などがあるドンキン保護区で、ポートエリザベスの中心部だ。

ドンキン保護区ツアー

誰かがポートエリザベスとケープタウンの間にあるライバル関係についてガイドに質問した。「比較にならない」とガイド。「ケープタウンのほうがずっとよい。ケープタウンは野党(Democratic Alliance)によって統治されているのに対し、ポートエリザベスを統治しているのはANCで、ANCは腐敗しきっている。」

続けてバスは、私が昨日訪れた海辺のショッピングモール(Boardwalk)に向かう。ここで約1時間の自由行動。

海辺を歩いていると、眼だけを露出したヴェール(ニカブ)を被った若い女性が私に話しかけてきた。女性は18歳のインド系南アフリカ人。「そんな服装で歩いていて、人から何も言われないのか」と尋ねると、「まったく大丈夫」との返事。「結婚相手はやはりモスレムがいいか」とも聞いたが、答はよくわからなかった。ともかくこうした服装の女性が男性に積極的に話しかけてきたのは予想外だった。

12時になり、帰船の時間。このショート観光で支出したのは、モールで買ったのはアイスクリームだけ。340円ほどだった。

早い時間の帰船で、再度の外出も可能だったが、疲れていたのでベッドの上で終日ごろごろしていた。

1月8日

ポートエリザベスとケープタウンの間に挟まれたつかの間の1日の洋上生活。いくつかのイベントに参加する。

GETプログラムの先生であるオーストラリア在住のオランダ人女性Edithによる「サン族」の講演がおもしろかった。カラハリ砂漠に住むサン族(およびコイ族)には従来から興味があり、いつかは訪れようとも思っていた。EdithのDNA解析によるサン族の歴史とユニークさにまで及んでいた。この方面にまったく無知な私にととっては役に立つ情報だった。

1月9日

船は早朝にケープタウン港に接岸した。私が申し込んでいた「タウンシップ・ランガ地区」探訪のツアーは11時に港を出発した。ランガは最古の黒人居住地であり、観光客が単独で入るのは困難と言われている。ピースボートはランガのNGOと数年前からつながりがあり、今回も服や靴などの支援物資を持ち込んでいた。

ツアーはアペルトハイト時代を描く寸劇から始まり、街の散策、昼食へと進む。

昼食はビュッフェ式(ライブ演奏付き)

昼食後、NGOの本部まで歩いて行く。住民たちが声をかけてくる。

ランガの子供たち

NGOで支援物資を渡し、ダンスのパフォーマンスを鑑賞、帰船の途についた。 

船に入る前にウォターフロントに立ち寄った。ランガとは対照的に、ここには小ぎれいでしゃれたレストランやバー、ショップが立ち並んでいる。

ウォーターフロント

夕食はいつもの6階のレストランで。丸いテーブルを取り囲む6人のうち、ひとりだけが中国人だった。彼は元外交官で、北米などでの駐在経験があるという。どおりで英語が達者なはずだ。

中国の反日事情(彼によると中国の若者の間では日本語や日本のアニメが大人気とのこと)や少子化問題から始まり、話題は毛沢東の評価にまで及ぶ。英語での会話に入り込めない日本人の同席者に少し配慮が足りなかったかもしれない。

2025年1月6日月曜日

南半球一周ピースボートの旅(その6)

 1月3日

起床、シャワー、デッキを4周(約4km)、朝食(和食を選択する場合が多い)と、いつものルーチンどおり。ウォーキングは5周、6周とのばしたいところだが、なかなか実行できない。

午後、次の寄港地はポートエリザベスであることから、南アフリカの活動家ジャネット・ジョブソンさんの「アペルトハイト30年」という講演があった。講演の最後は「現在のパレスチナの状況はアペルトハイトだ」という言葉で締めくくられた。この言にどれだけの妥当性があるか、考えさせられる。

1月4日

昨日に続きジョブソンさんの講演を聴く。テーマは南アフリカの現状だ。貧富の差の拡大とその根底にある教育の格差。若者の失業率は60%に達するという。

ジョブソンさんの講演


6時半からは「隠し芸大会」が始まる。ピースボートの目玉イベントのひとつだ。私が会場のシアターに行ったときには座席はすでに埋め尽くされており、後方で30分余り立ち見をするにとどまった。

隠し芸大会(阿波おどり)

体は今日も快調。心配の種の歯も今のところは保っている。

1月5日

今日は朝から雨模様。甲板は雨こそかからないが、床は濡れている。デッキ歩きは3周にとどめた。 雨は昼ごろにやんだ。

昼食時、中国から残留孤児として日本に帰国した高齢の男女二人組と同席になる。母子とのことだったが、夫婦もしくは姉弟のようにしか見えない。日本語での会話だが、私の聞き違いかもしれない。文化大革命の嵐のなか、当時は毛語録を振り上げて行進しないと生き延びられなかったという。文革体験者の生の声を聞くのははじめての体験だ。

午後はジャネット・ジョブソンさんの3回目の講演を聞く。明日からの寄港地のポートエリザベスとケープタウンの歴史がテーマだ。講演はコサ語(Xhosa)の簡単な紹介で締めくくられた。コサ語は、私が以前から関心をもっているカラハリ砂漠のコイサン語につながるクリック言語だ。

講演中、私の横に座ったのは日本在住のネパール人女性だった。日本語で少し会話した。私のネパール旅行やネパール地震のことなど。カトマンズの日本料理店「絆」のカツ丼を勧めておいた。
 
夕食では5〜60代のスイス人夫婦と同席だった。なんとピースボートでの世界一周は3回目とのこと。練習のためにドイツ語で話してみる。

明日はポートエリザベスに上陸する。1日目は街までの送迎のオプションに申し込んでいる。

2025年1月3日金曜日

南半球一周ピースボートの旅(その5)


12月30日

今日は午後から「オープンGETフランス語」、「言語交換トーク」、「GETオープンチャット」という3つの言語関連のイベントに参加した。おもしろかったのは「言語交換トーク」。29歳の香港人女性、ノルウェー在住の台湾人女性、英国人のマシュー、GETの先生のケイト、それに私を含めた2人の日本人で、日本語と英語を交えて話す。マシューは香港在住21年の一般乗船客で、中国語や日本語、フランス語などを話す。日本語のレベルも、船内で日本語の自主企画をやるなど、なかなかのもの。

明日はマダガスカルの港町トアマシナに上陸予定。船はトアマシナに2日間碇泊する。

12月31日

船は早朝にマダガスカル第2の都市であるトアマシナに着岸した。

今日は現地に1泊するつもりなので、レセプションでパスポートを返却してもらって、9時過ぎに下船する。

マダガスカルは雨期で、外は雨が降っている。「地球の歩き方」に載っているHotel Joffreまでトゥクトゥクで行く。5ドルで約束して乗ったトゥクトゥクだが、ホテルに着いて10ドル紙幣を出すと、案の定「お釣りがない」と言う。5ドルでも法外な値段だ。だが、ここで争っても勝ち目はない。自宅にあった多くの1ドル紙幣を持参し忘れた私のミス。わずかな釣り銭をもらうだけで矛を収めた。

Hotel Joffreは1泊150,000アリアリ(マダガスカルの通貨)。5000円弱だ。現地通貨しか受け取らないので、60ドルを両替所と銀行で両替する。ほかにも2つのホテルをあたってみたが、いずれも満杯だった。

Hotel Joffre 

宿も決まったところで、メインストリートのAvenue de l'independanceまで歩く。ココナッツの木が植えられた広い通りにテントが並ぶ。

大晦日らしい賑わいはない。際立つのは貧しさだ。3、4歳の言葉もしゃべれないような子供たちが物乞いの手を差し出してくる。乳飲み子を抱えた母親の物乞いも少なくない。

4時ごろに宿の近くの安食堂で遅めの昼食をとる。ステーキとライス、コカコーラで22000アリアリ(約680円)。メニューどおりの値段で、ぼられているわけではない。現地の物価水準からすれば、安食堂とは言えないかもしれない。

ステーキとライス

スーパーで夜食用のパン、イチゴ牛乳、ヨーグルトなどを購入して、宿に戻る。

6時ごろに再度外出。近所の市場はすでに閉まりかけていた。

夜はかなり暑かった。エアコンがなければ寝苦しかったかもしれない。

2025年1月1日

6時前に目が覚める。昨日の夜食の残りを朝食とする。チェックアウトは11時なので、8時過ぎにいったん外出する。早朝降っていた雨は止んでいるが、各所に水溜まりができており、歩きにくい。

水溜まり

昨日見つけた市場で動画をとり、Tシャツを2000アリアリ(600円強)で購入した。市場では今日下船してきたピースボートの乗客も何人か見かけた。

市場

11時ちょうどにチェックアウトし、早めに船に帰る。歩いてでも帰れるが、現地通貨も余っており、プスプス(自転車でこぐトゥクトゥク)を利用した。

持参していたパスポートをレセプションに返す。ホテルではパスポートを見せるどころか、名前すら聞かれなかった。

14階のビュッフェで昼食をとったあと、部屋でぐったりした体を休め、夕食の時間までなすこともなく過ごす。

日本全国から集まった乗船客と、ときには中国人や韓国人の乗船客とも同席する食事はいつも楽しく、話もはずむ。

1月2日

昨日は外出日だったこともあり、ピースボートの正月は今日二日に設定されている。

昼には伸縮鏡開きがあり、樽酒も振る舞われたが、長い列があり、恩恵に預かることはあきらめた。

鏡開きは人垣で見ることもできない

午後のGETオープン・プログラムでは、中国の延吉から来た朝鮮族の女性と知り合う。英語を学ぶためのプログラムだが、はからずも韓国語(朝鮮語)の練習になった。

明日から数日洋上の生活が続く。