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2025年1月17日金曜日

南半球一周ピースボートの旅(その8)

 1月10日

朝食時、私の前には80代の日本人男性が座る。男性は昨日のケープタウン寄港時、南ア在住の友人(白人)に37年ぶりに会いに行ったという。当時、商社に勤めており、ケープタウンには6年住んだとのこと。お手伝いさんや庭師を抱え、大きな屋敷に住んでいたという。アペルトヘイト時代の貴重な経験だ。

次の寄港地のナミビアでは何のオプションもとっていない。すべてのオプションが売り切れていたためだ。ところが、ある若い女性が「ナミビアの多民族文化体験」というオプションを譲る相手を探していた。オプションをキャンセルすれば半額のキャンセル料をとられるが、譲渡する形にすれば、1000円の手続き料で済む。

この話に乗ることにした。これで明後日のナミビアでの行き先が決まった。

1月11日

午前中、乗客の避難訓練があった。「訓練」といっても、IDカードをスキャンして、一定の場所に集合するだけで、その効果は疑わしい。せめて救命具を実際に着用することくらいは必要だろう(やりたくはないが)。

昼食時には中国系オーストラリア人と同席だった。12歳のときに香港からオーストラリアに移住したとのこと。精神科医として働いていたが、今は引退している。日本、中国、韓国からの乗客が大半のなか、このように多様な背景の人に出会えるのがこの船のいいところ。

1月12日

「ナミビアの多民族文化体験」ツアーの日。「多民族」と銘打っているが、有名なヒンバ族などを訪れるツアーではなく、南アフリカの統治下にあった当時の黒人居住地(タウンシップ)を訪ねて交流するツアーだ。

このツアーも興味深かったが、それよりも報告しておかなければならない「ビッグ・イベント」がある。ツアーの途中で負傷してしまったのだ。

みんなでタウンシップに向かって歩いているとき、足がふらつき、そのまま止まらなくなって、道路上に前向きに転倒、額を打ってしまった。

額からは血がかなり出ている。ツアーのナミビア側関係者の車で病院に運ばれ、治療を受けた。傷は深くはないが、ガーゼを貼り、その上に包帯を巻いたため、痛々しい。

ナミビア(ウォルビスベイ)の病院


治療直後

治療後、再度ツアーに合流した。一行はタウンシップに入り、traditional healerから薬草の説明を受けているところだった。 

その後、ナミビア側のリーダーの私宅でナミビア料理の試食、カラハリ砂漠から来たグループのダンスの鑑賞などを経て、7時過ぎに帰船、ツアーを終了した。

私宅に立ち寄って食事

ダンス

ツアーはともかく、予期しないアクシデントの発生と負傷でとんだ災難の一日となった。前日から極度に疲れており(喉も痛かったから、たぶん風邪をひいていたのだろう)、歩くのも前かがみ、自分で自分の歩行をコントロールできなかったことが原因だ。

幸い深手ではないので、傷は時間が経てば治るだろう。困るのは、眼鏡に多数のスクラッチ傷が入ったこと。予備の眼鏡は持って来なかった。できれば南米で新しい眼鏡を購入したい。

1月13日

9時半に船内の医務室へ行く。絆創膏と包帯を新しいものに替える。傷口に砂が混入していることから、水を含んだ綿で傷口を直接に拭く。力を込めた医師の手が傷の上をキュキュッと擦る。1分以上は続いただろうか。医師も看護婦も優しく、好感が持てたが、痛いものは痛い。

今回も包帯で頭をぐるぐる巻きにしたから、船内で目立つことこの上ない。顔見知りに出会うたびに経緯を説明するはめになる。

1月14日

今日も医務室へ。包帯がとれ絆創膏だけになった。包帯男ではなくなったため、目立ち方は昨日ほどではなくなった。ただ、右眼の周りの黒い腫れはまだひいていない。中国ではこの種のblack eyeを「パンダの眼」と呼ぶらしい。

絆創膏だけになった

1月15日

3日連続して医務室へ。傷口に貼る絆創膏はさらに小さくなり、やっと正常に近い船内生活を送れるようになった。次回の診察は3日後の18日。

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