9月6日
6時半に朝食、7時15分にホテルをチェックアウトという慌ただしいスケジュール。バスでタシケント空港まで向かい、9時15分発ウルゲンチ行きのウズベキスタン機に搭乗。空港ではシンガポールの団体客と遭遇し、少し言葉を交わした。以降、今回の旅行では何組かのシンガポール観光客を見かけた。
ウルゲンチ行きの便に乗り込む
国境に到着したのは午後1時。ウズベキスタンの出国手続きは特に問題なし。コロナのPCR検査まであるトルクメンスタンの入国審査は混乱気味で時間もかかったが、ここは我慢するしかない。
トルクメンスタンのイミグレに入り、審査を待っていると、中年の女性からロシア語で声をかけられた。私に名刺を手渡し、「ここで働いている」と言う(名刺はロシア語なのでとっさには解読できなかった)。さらに「一緒に写真を撮ってもいいか」と尋ねてくる。OKと返事し、女性のスマホにツーショットで収まる。
イミグレの建物内での写真撮影は禁止とのことだったが、おかまいなし。
このちょっとした出来事で、「トルクメニスタンは中央アジアの北朝鮮などではない」と確信した。トルクメンスタンの旅行動画などから判断して、「トルクメンスタン=北朝鮮」には懐疑的だったが、これが確信に変わった瞬間だった。
北朝鮮は言葉の真の意味での全体主義国家、ジョージ・オーウェルの「1984年」に最も近い、唯一無二のユニークな国だ。「アフリカの北朝鮮」と呼ばれるエリトリアにしろ、トルクメンスタンにしろ、それぞれにひどい国であり、変わった国ではあるが、北朝鮮と比べることはできない。北朝鮮ではイミグレ内で写真を撮ることなど考えられない。
帰国後に名刺を調べたところ、女性は医療コンサルタントであり、ウズベキスタン人だった。
なんとか全員が入国を終えたのは午後4時ごろ。国境を出たところで、トルクメニスタン人の日本語ガイド(男性)の出迎えを受ける。ここから6台の4WDにそれぞれ3人ずつ分乗し、カラクム砂漠にある「地獄の門」(ガス漏れを防ぐために着火され、燃え続けているクレーター)を目指す。6時間超の道のり。しかも舗装していないでこぼこ道で、覚悟が必要だ。
途中、小さなスーパーに立ち寄り、いくばくかの食料を補給する(私はなにも買わなかった)。スーパーはこぎれいで、品揃えもよい。これも北朝鮮とは大違い。北朝鮮にはそもそも外国人が立ち寄れるスーパーがほぼ存在しない。
国境近くのスーパー
小学生
続いて高校生らしき少女の写真も撮る。
高校生(?)
この少女とはロシア語で少し言葉を交わした。
トイレ休憩かなにかで停車したところには、地元のおばさんたちが道ばたでメロンなどの果物を販売していた。ロシア語で「トルクメニスタンのお金は持っていない」と告げる。理解されたのかどうかはわからないが、メロンを試食させてくれた。おいしかった。他のツアー同行者も試食を勧められていた。
道ばたの果物販売
バッテリー交換
私は運転手の横に座り、後部座席は2人の女性で占められていた。運転手が私に話しかける。英語はほとんどできないとのことなので、ロシア語にならざるをえない。私のロシア語は壊滅的な状態だった。не понимаю(理解できない)を連発するしかなく、まことにふがいない。
そんな状態でも、いくつかの質問を試みた。
問い:「ロシアとウクライナの戦争をどうおもうか」
答え:「不必要な戦争だ。戦争はよくない」
問い:「トルクメニスタンでの生活はどうか」
答え:「アシュガバードはよいが、地方はどうも...」
地獄の門(ダルバザ・クレーター)に到着したときには真っ暗。午後10時近くになっていた。まずは食事。作り置きの肉類や野菜、それにスイカなどの果物。ここで食事に期待するのは野暮だろう。
砂漠の中で夜食
続いてガスが燃え続ける「地獄の門」を見物。予想したより規模が小さい。「地獄の門」というほどのおどろおどろしさもない。もともとあまり期待していなかったから、「まあこんなものか」という感想。日本人だけの見物客のなか、トルクメニスタン人の男性3人もいたので、日本から来たことを告げ、相互に写真を撮った。
地獄の門
トルクメニスタン人
テント










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