4月23日
DW Motelには朝食はついていない。ホテルから徒歩3分ほどの距離にあるメインストリート沿いの小さなショップに出かけ、コーヒー飲料とパンを購入して朝食とした。
8時半過ぎにツアー会社からの迎えがあり、ペリリュー島戦跡ツアーの出発点となる桟橋へ向かう。
ツアーの申込先は日系ツアー会社のベラウツアー社だが、ツアーを主催するのはロックアイランド・ツアーカンパニーという会社らしい。
桟橋に着き、ツアー代金の146ドルと上陸許可代金(州税)25ドルを支払う。ツアー代金はクレジットカードでよかったが、州税は現金のみ可だった。
参加者は日本人7人。これを日本人女性のガイドが率いる。ペリリュー島へはスピードボートで1時間余り。海が美しい。上陸すると、日本語と英語の看板が迎えてくれる。
ペリリュー島へ
船内
ペリリュー島上陸
まず上陸地点のすぐ近くにある1000人洞窟に入る。バンザイ突撃で壊滅したサイパン島とは異なり、ペリリュー島では洞窟をはりめぐらし、持久戦の方針がとられていた。フィリピンや日本本土への侵攻を1日でも遅らせるためだ。米軍4万人に対して日本軍1万人。最初から勝つ見込みはない。1日でも長く米軍を食い止め、1人でも多く米兵士を殺すことが目的の戦い。これは後日の硫黄島の戦いでも同じだった。
1000人洞窟はその名のとおり、1000年を収容できる人工の洞窟だ。手にライトを持ち、腰をかがめて洞窟の中へ入る。ビールの空瓶などが今も残存しており生々しい。
1000人洞窟の入口とガイド
ビールの空き瓶
洞窟を出てから向かったのはペリリュー戦争記念博物館。部屋ひとつの小さな博物館だ。日本軍の遺品と米軍の遺品が混在して展示されている。受付のパラオ人女性と少し言葉を交わす。「パラオという小さな国に16もの州があり、16人もの知事がいる」と笑う女性。パラオの観光客のなかでもっとも多いのは中国人らしい。パラオは台湾と国交を結んでおり、中国との外交関係はないにもかかわらず。
戦争記念博物館
続いて日本軍戦死者の慰霊碑(みたま)を訪問。ここでは各自が線香を一本たむけた。
慰霊碑
慰霊碑をあとにし、日本軍の燃料貯蔵庫や日本軍戦車を見て、1944年9月15日に米軍が上陸したオレンジ・ビーチ(この水際での戦いでは日米ともに多数の犠牲者が出た)に至る。
日本軍の燃料貯蔵庫
日本軍の戦車
零戦の残骸を見たあとで休憩所での昼食となった。昼食にはチキンの弁当が用意されていた。味は可もなく不可もないといったところ。
弁当
昼食後、まず平和記念公園を訪れる。2015年に天皇夫妻が供花・礼拝した場所でもあり、そのときの記念碑も建っている。
平和記念公園
次に、高台にある200mm砲を見に行く。砲を見るにはかなりの階段を登らなければならないので、私は下にとどまった。高齢になると、坂や階段には慎重になる。上るのはともかく、怖いのは下りだ。眼もよくないから、踏み外す心配がある。
階段を降りてきた数名の欧米人の団体に遭遇した。米国人の団体だった。こちらが日本人であることを告げると、高齢の女性が突然私をハグしてきた。力の入ったハグで、ちょっとびっくりした。女性はハグしながら、「戦争はよくない。戦うべきではない」といった主旨のことを言っていた。
続いてペリリュー神社に向かう。ペリリュー神社は1934年に建立された南興神社を起源とし、1982年に再建されたものだ。
ペリリュー神社
ツアーの締めくくりは、1944年11月下旬に最後の戦闘が行われた山頂の見学。山の上をかなりの時間歩くということだったので、ここでも私は参加を見合わせた。
戦跡ツアーを終え、再び海を渡ってコロールの桟橋へ戻ったのは午後4時過ぎだった。いったん宿へ帰り、日が暮れてから、メインストリートへ出る。10分ほど歩いて、スーパー(Payless Market)を見つけ、明日の朝食用にパン2個、ツナの缶詰(日本製)、スパムの缶詰、牛乳を購入。さらにその近くの「B's居酒屋 夢」という和食レストランに入る。
「B's居酒屋 夢」の2人のウェイトレスはフィリピン人だった。刺身とポテトチップス、Asahiの缶ビールを注文。白身魚の刺身はまずまずの味。ポテトチップスの量が多すぎ、半分ほどを持ち帰りにした。料金は合計で23.65ドル。クレジットカードで支払った。
夕食
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