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2025年8月4日月曜日

バルト3国+ヘルシンキ2025 十二日目(帰国、感想)

 7月13日

今日は帰国日。イスタンブール行きのターキッシュ・エアラインズ機がビリニュスを発つのは20時20分。まだゆっくりと観光できる。

8時過ぎに朝食をとり、11時半にチェックアウト。荷物をホテルに預け、旧市街まで歩く。目指すのは大聖堂の近くにあるゲディミナス塔。ここからビリニュスの街を眺めたい。

塔の裏側にある登り口を探すのに少し苦労する。徒歩でも登れるが、リフトも用意されている(往復で3ユーロ)。徒歩で登ることにした。

ゲディミナス塔

塔に登る

塔からは旧市街と新市街が一望できる。

旧市街の眺望


韓国人の若い女性2人組がいたので、韓国語で声をかける。彼女たちはノルウェー在住で、ノルウェー人女性ひとりと一緒だった。このときは最初から最後まで韓国語で話すことができた。「チャラシネヨ」(お上手ですね)というお世辞に気をよくする。

徒歩でふもとまで降りる。ちょうどリフトから降りてきた韓国人2人とまたばったり会う。私の韓国語の知識はもっぱら読書から得たものであること、韓江や甲京淑の小説を読んだことなどを話す。残念ながらこのときは英語になってしまった。同行のノルウェー人女性に3人の写真を撮ってもらう。

ノルウェー在住の韓国人2人と一緒に


さてビリニュスに3日間滞在したが、夕食をもっぱらスーパーの食材で済ましたこともあり、まだちゃんとしたリトアニア料理を口にしていない。これが最後の機会だ。時刻は3時に近い。

ということで、大聖堂近辺のレストランを見て回る。ネットで見かけたレストランも目に入ったが、客が混んでいたり、逆に閑散としすぎていたりで、あまりしっくりとこない。

レストランを探す

結局、当てずっぽうで7Fridayという店に飛び込んだ。このレストラン、表にはいろいろメニューを飾っていたが、用意できるリトアニア料理は1種類(ピンク色のスープ料理)だけという。他の店に移るのもめんどうなので、フィッシュ・アンド・チップスを注文する。リトアニア最後の料理が英国料理になってしまった。ただ、このフィッシュ・アンド・チップスはロンドンで食べたものよりおいしかったので、よしとしておこう。料金はビールと併せて17.8ユーロ。

フィッシュ・アンド・チップスとビール

4時過ぎにホテルに戻り、預けていた荷物を引き取って、Boltタクシーで空港に向かった(7.6ユーロ)。

イスタンブールへ向かうターキッシュ・エアラインズ便は50分ほど遅延したが、イスタンブールでの乗り継ぎは問題なく(セキュリティ・チェックがなかった)、翌日14日の19時に関空に到着した。


感想

さて、「まだ訪れていないから」という消極的な理由からの今回の旅行だったが、内容は期待をはるかに越えていた。人々とのふれあいがその大きな要因だ。エストニアでもラトビアでもリトアニアでも、そして予定外に訪れたヘルシンキでも、多くの人に助けられた。ヘルシンキのホテルで朝食の後かたづけをしていた女性の笑顔。こうしたちょっとしたことが心に残っている。

他の旅行者との接触も貴重だった。リガのフードコートで同席したユダヤ系米国人の一家。これは忘れられない体験となった。1941年の独軍侵攻のあと、リガですさまじいユダヤ人虐殺(ホロコースト)があったことを知ったのは帰国後のことだ。

エストニア3泊、ラトビア3泊、リトアニア3泊、そして予定外のヘルシンキ2泊。この決して短くはない滞在の中、地方や田舎に一度も足を踏み入れなかったのが悔やまれる。しかもタリン、リガ、ビリニュスのいずれでも行動範囲はほぼ旧市街に限られていた。加齢とともに行動力が劣化するのはやむをえないのかもしれないが。

天候には必ずしも恵まれなかった。雨の日が多かった。あとから知ったのだが、バルト3国で雨量が最大になるのは7、8月だ。もっとも雨の日が多かったといっても、ほとんどが小雨であり、観光の支障になるほどではなかった。夏を想定して出かけた今回の旅行だが、現地は思ったより寒かった。2、3日の例外を除き、長袖のシャツ1枚では少し寒く感じた。Holiday Innでは2日目に毛布を1枚追加してもらった。Holiday Innの朝食の席で顔なじみになったスペイン人のおばあさんが「(スペインでは)40度だ」と言っていたが、同じ欧州でも大きな違いだ。

旅立ち前には、「もう歳だからパッケージ・ツアーのほうがいいのではないか」とも思った。バルト3国なら、ほぼどの旅行会社からもパッケージ・ツアーが提供されている。実際、この旅行でも何組かの日本人の団体を見かけた。だが、結果的には個人旅行にしたのが正解だった。パッケージ・ツアーなら、Simカードで悩むこともないし(自分で道を探さなくてよいから、モバイル通信は必要ない)、もっと多くの観光スポットを訪れることもできただろう。リトアニアの杉原記念館にも行けたはずだ。スーパーの食材ではなく、地元のちゃんとした料理を口にすることもできただろう。しかし「人々とのふれあい」という、私にとってもっとも大切な体験は団体旅行ではむずかしい。風景や名所旧跡、料理などより、そこに生きている人を知ることこそ、私の旅の目的であることをあらためて確認した。

2025年8月3日日曜日

バルト3国+ヘルシンキ2025 十一日目(市内ウォーキング・ツアー)

 7月12日

8時に朝食をとる。今日もスペインの団体客が多い。

申し込んである旧市街ウォーキング・ツアーは10時から始まり、約2時間かけて市内を歩く。料金は軽食を含めて20ユーロ。集合場所となっている大聖堂のそばのゲディミナス公の像に徒歩で行く。集まったのはおよそ20人。これを2つのグループに分け、それぞれ女性のガイドが引率する。

ウォーキング・ツアー開始


大統領官邸、聖アンナ教会、聖ミカエル教会、ウジュピス共和国(自称)などを巡り、小さな店に立ち寄ってスナックとワインを試す。我がグループは11人。年配の米国人カップル、シンガポール人の女性2人組、南アフリカの青年(ただし現在はロンドン在住)などがいた。南アフリカの青年と少し話した。

聖アンナ教会

聖ミカエル教会

試食タイム

軽食のあと、旧市庁舎を経て、夜明けの門に至り、ツアーは解散となった。時刻は12時を過ぎていた。

いろいろ見て回ったが、残念ながらほとんど記憶に残っていない。というより、そもそもガイドの説明をよく聞いていなかった。

それよりも興味深かったはガイドの女性との質疑応答だ。ガイドの女性によればビリニュスのロシア人比率は10%以下とか。ロシア人が人口の半分を占めるタリンやリガとの大きな違いといえよう。ただ、ビリニュスの街を歩いた私の印象では、ロシア人の割合は10%にとどまらない感じがした(かなり頻繁にロシア語が耳に入ってきたような気がする)。ロシア語の学校が閉鎖されているのはタリンやリガと同じ。

「バルト3国のロシア人比率は10~20%」という私の先入観は、昨年のトルコ旅行の帰国便で隣席だったリトアニア人カップルからの情報によるもの。この情報をバルト3国全体へ敷衍したのが間違いのもとだった。

ロマ集落についても質問した。ロマ集落はビリニュスの近郊にあるらしい。「(行くのは)危険だ」とのことだが、これが偏見かどうかはわからない。

夜明けの門は、昨日は外から眺めただけのハレス市場に近い。今日は中へ入ってみる。

ハレス市場(1)


市場は建物の外にも広がっている。

ハレス市場(2)

ハレス市場を出て、城壁に沿って歩く。私にとっては、教会よりもこちらの景観のほうがぴったりくる。

城壁(1)

城壁(2)

さらに公園を横切り、静かな裏通りに足をすすめる。

ビリニュスの裏通りを歩く

そうこうしているうちに、ウォーキング・ツアーでも立ち寄った「ウジュビス共和国」の「領内」に足を踏み入れてしまった。もちろんこれは正式な国ではなく、芸術家や学生が勝手に自称しているだけの「共和国」だ。

ウジュビス共和国

この共和国は39か条からなる憲法も定め、border controlも設置している。しかし、私のようなツーリストの目には「ただのビリニュスの一角」としか映らなかった。

大統領官邸辺りを通りかかったとき、結婚式らしき一群に遭遇する。ぽかんと眺めていると、参加者のひとりが私に手いっぱいのお菓子を渡してくれた。全員ロシア語をしゃべっている。

結婚式(?)


これだけのお菓子をもらった

いったんホテルに戻り、6時過ぎに再度外出。ぶらぶらと散策しながら、スーパー(MAXAM)に入り、夕食用のサラダやビールを購入した。

2025年8月2日土曜日

バルト3国+ヘルシンキ 十日目(ビリニュス)

 7月11日

8時に朝食会場に行く。大きな会場で、人もたくさんいる。スペインあたりの団体客が多いようだ。韓国人の若いカップルもいた。

朝食

まずSimカードの問題を解決したい。昨夜ネットで調べたところ、Holiday Innから徒歩で10分たらずの場所にTelia Global Support Serviceがある。ここを訪れてみよう。

Telia Global Support Serviceは大きなビルの中にあった。受付には女性がひとり。カウンターを介して男性が受付と話している。

ここはITセンターで、カスタマー向けのサービス・センターではなかった。受付と話している男性に事情を話し、スマホを見せる。SimカードのActivation(有効化)は完了しているがネットにはつながらない。

男性は私のスマホを見て「ニホンゴ」とつぶやき、”I like Japanese music”と言う。私は即座に”I don't like Japanes music”と切り返した。受付の女性がクスリと笑う。

いずれにしてもここでは解決できず、Telia shopに行くしかないようだ。歩いて10分ほどのパノラマというショッピング・センター内のショップに行けばという男性の助言を得る。

ビルの1階の守衛にパノラマの所在地を尋ねると、英語をまったくしゃべらない守衛はパソコンの画面を見せながら行き方をていねいに指示してくれた。

だが、パノラマは旧市街とは逆方向にある。結局、旧市街のショッピング・モール内のショップに行くことにし、30分ほど歩く。

Teliaショップでのやりとりで問題は解決した。ネットにつながらなかったは私のスマホのせいだ。おそらく私のスマホがサポートしている周波数帯がリトアニアのモバイルの周波数と重ならなかったのだろう。

幸い、予備のために古いスマホを持ってきていた。こちらのスマホにSimカードを挿すと、問題なくネットにつながった。

モバイル通信が可能になったところで、いったんホテルに戻る。時刻は2時を過ぎていた。スマホとネットの問題だけで午前中いっぱいを使ってしまったわけだが、悔いはない。こうしたトラブルとその解決を通じてリトアニアを垣間見ることができる。貴重なリトアニア体験だった。

3時過ぎに古いスマホのグーグル・マップを頼りに再び旧市街に向かう。まずは旧市街の中心にある大聖堂。ここは中まで入って見学した。

大聖堂とその手前の鐘楼


大聖堂の中


足の赴くまま旧市街を歩く。タリンやリガと同様、石畳の通りが続くが、規模はタリンやリガより大きい。

ビリニュスの旧市街を歩く

目に付くのは黄色とブルーのウクライナの国旗だ。タリンやリガでも見かけたかもしれないが(記憶が確かでない)、これほど多くはなかった。

リトアニアとウクライナの国旗

ウクライナ支援

市庁舎広場で楽団の演奏にしばらく足をとめ、さらに歩いて「夜明けの門(Gate of Dawn
)」に達する。これは元来9つあった城壁門のうち唯一現存する門だ。

楽団の演奏

夜明けの門

夜明けの門の近くにはハレス市場がある。この屋内市場はビリニュス最古の市場だ。だが、すでに6時を過ぎていたため、店じまいがはじまっていた。別の日にまた訪れよう。

ハレス市場の隣にあるスーパーに立ち寄り今日の夕食を買い込む。

スーパーを出たところで、"Japanese?"と呼びかけられた。60がらみの男性だ。男性は近くの建物のガラス窓を指差し、「あの窓のフレームはメタルでできている」と説明する。男性の説明は続くが、英語がどうも聞き取りにくい。ポーランド人ということはわかった。

そこで思わずロシア語で「ロシア語はしゃべりますか」と尋ねてみた。「まったく問題ない」とのこと。それからロシア語での説明が始まる。私のロシア語の力では固有名くらいしかわからない。ロシア語は重要な言語で忌み嫌うのは間違いだ、アルメニアやウズベキスタンにも行ったことがある、Fujiのカメラを持っていることなどを断片的に聞き取った。

男性と握手して別れ、ホテルへの帰路についた。途中、Cat cafeを見かける。かなり凝った大道芸にも遭遇した。興味深かったが、最後までは見なかった。

凝った大道芸

明日の天気予報は晴れ。英語ガイド付きのビリニュス・ウォーキング・ツアーをオンラインで申し込んでおく。

2025年8月1日金曜日

バルト3国+ヘルシンキ 九日目(ビリニュスへ)

 7月10日

8時に朝食をとる。このホテルの朝食もすばらしかった。あまり大きなホテルでないにもかかわらず、メニューは多彩で、結構凝ったデザートまで用意されていた。

朝食のデザート

今日はリトアニアのビリニュスへ移動する日。バスのチケットはオンラインで予約済み。11時10分にリガを発ち、15時45分にビリニュスに着くバスで、料金は3119円。

9時40分にホテルをチェックアウトし、歩いてバス・ターミナルへ向かう。バスは定刻通りに出発した。リトアニアに入ったころから雨が降り出してきた。

ビリニュスには予定より少し早く着いた。まずSimカードを買いたい。バス・ターミナル内のキオスクやスマホ店をあたるが売っていない。2階のスーパーマーケットでやっと2GBのSimカードを2ユーロで入手できた。スマホへのカードの挿入や設定はあとにして、ともかく予約してあるホテルまで急ごう。

ホテルはHoliday Innを3泊予約していた。3泊で353ユーロ。もちろん朝食付き。円安のなか1泊2万円ほどになる。高額だが、ヘルシンキのホテル(1泊26000円)ほどではない。

バス・ターミナルからHoliday Innまでは歩けば30分以上かかる。雨は止みそうにない。雨脚はむしろ強くなっている。ネットにつながっていないからBoltタクシーは使えない。

通常のタクシーで行くしかない。渋滞気味ということもあり、タクシーでも結構な時間がかかった。チップを含めて35ユーロを支払う。

Holiday Inn


Holiday Innは中級ホテルといったところだが、私にとっては高級だ。バスタブがあるのがうれしい。

部屋で一休みしてから、7時ごろに外に出る。朝食をとってから何も食べていないから、おなかがすいている。小雨ではあるが、雨はまだ続いている。

Holiday Innは旧市街から少し離れた場所(旧市街まで歩いて7、8分)に位置している。レストランやショップが密集しているエリアではない。

しばらくうろついて、やっと見つけたのが香港飯店。中に入り、エビ入りのEgg fried riceとビールを注文する。Fried riceは想定していた炒飯とは異なり、あまりおいしくない。ひとりいたウェイトレスはリトアニア人の女性だし、厨房の中も中国人ではないのかもしれない。料金は10ユーロ。

香港飯店(後日撮影)

Egg fried rice with shrimpとビール

ホテルに戻ってから、Simカードをスマホに挿入しactivate(有効化)する作業にとりかかる。これまでの国とは異なり、リトアニアではSimカードの使用に際して本人確認が必要になる。本人確認はオンラインでも可能。通信会社(Telia)のサイトにアクセスし、身分証明書(私の場合はパスポート)の写真と本人の顔写真を送信すればよい。

なんとか送信を完了し、スマホの画面には「Successful」と表示される。しかしネットにはつながらない(Holiday InnのWifiをオフにするとネットにつながらない)。明日Teliaのストアまで出向く必要があるようだ。

2025年7月31日木曜日

バルト3国+ヘルシンキ2025 八日目(リガ最終日)

 7月9日

リガ最終日に予約していたのは大聖堂のすぐ近くにある4つ星のHotel Gutenbergs。1泊102ユーロだから、Hotel Justus(2泊で147ユーロ)よりかなり高い。

Hotel Gutenbergs


室内

Hotel Justusを11時過ぎにチェックアウトし、歩いて5分ほどのHotel Gutenbergsに直行する。幸いにアーリー・チェックインが可能だったので、部屋に入って少し休む。

ホテルを出て、運河まで歩く。目的は遊覧船による運河クルーズだ。20ドル払い、しばらく待ってから、7、8人の乗客を乗せた遊覧船が出発する。スピーカーからは英語でのガイダンスが流れる。

船は運河から川へ入り、海を垣間見て、50分ほどで再び運河に帰ってきた。

運河クルーズ


川へ出る

昨日のTourist Carとは異なり、歩いては見ることができない光景を目にしたわけだが、20ドルという価格に値するかどうかは微妙なところだ。

運河の近くにある自由記念碑(ラトビアの独立を記念して1935年に建造された塔)を写真に収め、新市街のほうへ行こうとしたのが、方向を完全に間違え、中央市場に向かって歩いていた。

自由記念碑

もともと方向感覚がないうえ、今日の朝からモバイルでネットに接続できなくなり(おそらくヘルシンキで買ったSimカードの容量を使い切ったためだろう)、グーグル・マップを使えないのが痛かった。

しかし中央市場に向かう途中に大きなショッピング・モールを見つけたのは幸いだった。このモールの中にLidoというセルフ・サービスのレストランがある。ここでかなり遅め(午後4時過ぎ)の昼食をとった。ポーク、肉じゃが(もどき)、カボチャのパイ、コーラで併せて10ユーロちょっと。安くはないが、これぐらいならaffordableだ。

Lidoで遅めの昼食

Lidoの店内(4時という時間帯にもかかわらず結構混んでいた)

食事後、旧市街をこれといった目的もなく散策してから、リガ大聖堂のすぐ近くのホテルに戻った。

モーバイル通信が不可という状況は厳しい。しかし明日はリトアニアのビリニュスに移動する。Simカードを買うならリトアニアに着いてからのほうがいいかもしれない。念のために、ホテルの受付の女性に「ラトビアでもリトアニアで使用できるSimカードを入手できないだろうか」と尋ねてみた。女性は電話を使っていろいろ探ってみてくれた。購入できないこともないらしいが、ちょっと面倒な様子だったので、Simカードの購入は明日に延ばした。

今から考えると、Simカードは必ずしも必要ではなかった。モバイル通信が必要なのは歩いているときだけ、グーグル・マップのためだけだ。予約や検索はホテルやレストランのWifiを利用すればOK。グーグル・マップがなくても、オフラインで使用できるMaps.meなどのアプリがある(実際、バルト3国のデータはMaps.meにダウンロード済みだった)。グーグル・マップそのものも、あらじめデータをダウンロードしておけばオフラインで使用できる。このことに気がついたのは帰国後だった。

夕食は昼間にスーパーで購入していた寿司とニシンの酢漬け、コーラで済ませた。

2025年7月30日水曜日

バルト3国+ヘルシンキ2025 七日目(リガ)

7月8日

8時前に 朝食をとる。これまでのホテルと同様、満足できる内容。ニシンの酢漬けを多めに皿に盛ったのもいつものとおり。

朝食


このホテルに留まるのは今日まで。明日はどうするか。選択肢は2つある。ひとつはリガにもう1泊すること。もうひとつは次の国リトアニアのシャウレイに行くこと。シャウレイには「十字架の丘」という観光スポットがあるうえ、リガとビリニュス(リトアニアの首都)のちょうど中間点という便利さもある。

だが、いろいろ動き回るのはおっくうだという怠け心のほうがまさり、このままリガでもう一日を過ごすほうを選んだ。このホテルで延泊するのもよいが、気分を変えるために、すぐ近くの一段格上のホテルをBooking.comを通じて予約しておいた。

これで2日間たっぷりとリガを観光できる。今日は曇天ながら雨は降っていない。まずホテル近くのリガ大聖堂に行く。大聖堂の前の広場(Dome Square)にはTourist Carが数台停まっている。10ユーロ払ってこれに乗り、30分かけて旧市街を回ってみた。これは失敗だった。歩いて回ったほうがよっぽどいい。日本語での説明をイヤホンで聞くこともできるが、まったく頭に入ってこない。

Tourist Car

気を取り直し、昨日外観だけ眺めた中央市場まで歩く。

リガの旧市街を歩く(1)

リガの旧市街を歩く(2)

中央市場は5つのドームとその周りの野外市場からなる。

中央市場(野外の野菜と果物の市場)

スイカ

もちろんちょっとした食堂やカフェもあれば、フードコードもある。

中央市場のフードコード

フードコードでクワス(Kvas)を飲む。20年前にロシアで飲んだことがあるかないか、記憶が曖昧だ。

フードコードは混んでいた。7、8人の大家族と相席になる。私の隣になったおばあさんがロシア語で何か話しかけてくる。よく理解できない。理解できないのも無理はない。「私はユダヤ人だ」と言っていたのだ。「ユダヤ人」なるロシア語の単語を知らない私に理解できるはずがない。おばあさんが「jewish」と言い換えてくれたことでやっと合点がいった。

おばあさんは78歳。ラトビアに生まれたが、1976年に米国に移住したとのこと。おばあさんが「私はトランプを支持する」と言ったことから、政治論議がはじまる。意見は違ったが、終始友好的に話すことができた。「息子は医師、娘は弁護士になった」と自慢するおばあさん。

その息子や孫たちも話しに加わる。息子がラトビアを離れたのは7歳のとき(漠然とした記憶が残っているという)。彼とは移民の問題などについて話した。排外主義の広がりを嘆く私に対し、移民の側でも受け入れ国に溶け込もう(integrate)とする努力が必要と主張する彼。

楽しい時間だった。この一家との対話は今回の旅行のハイライトとなった。

フードコートを出て、すぐ近くのバス・ターミナルに行く。日本人らしい高齢のカップルを見かける。困っている様子なので、つい声をかける。案の定、予約してあるホテルにどう行くか迷っているところだった。スマホでそのホテルの位置を確かめて助言する。バス・ターミナルにほど近い旧市街の入口にあるホテルだが、地下道を通って向こう側に渡る必要があるから、ちょっとやっかいだ。

タリンやヘルシンキ、そしてリガでもときどき団体や個人の日本人旅行者を見かけたが、言葉を交わしたのはこれがはじめてだった。

4時ごろにホテルに戻り、6時に再度外出。続けて街を散策し、「3人兄弟」なる建物を見たあと、旧市街を離れて橋を渡ろうとしたものの、途中であきらめて引き返した。遠すぎる。昨日と同様、スーパー(Rimi)でポテト・サラダやパンを購入して夕食とする。

橋を渡ろうとするが...

2025年7月29日火曜日

バルト3国+ヘルシンキ2025 六日目(リガへ)

 7月7日

7時半に朝食をとる。旧市街にしては安いホテルだが、朝食の内容に不満はない。もちろんニシンの酢漬けも用意されている。

Three Crowns Residentsの朝食


予約しているリガ行きのバスは10時35分にフェリー・ターミナルDを出発する。9時過ぎにホテルをチェックアウトし、ターミナルDまで歩く。バスには3人組の台湾人が乗り合わせており、いい旅の道連れとなった。「日本に行ったことがあるか」と尋ねると、「30回くらい行った」、「毎年行っている」という答えが返ってくる。隣席となった背の高い男性は台中在住の外省人。中国語と台湾語、イーラン(宜蘭)で話されている日本語クレオーレのことなど、かなりつっこんだ話しをした。

この台湾人男性はタリンのゲストハウスで盗難に遭っている。ガラス越しに外から見える部屋に宿泊していたところ、部屋を留守にしていた際にガラスを破られてiphoneとiPadを盗まれたという。治安がいいといわれるタリンでもこうした事態が発生しうる。注意しておけばいいといっても、四六時中そうそう気を張ってばかりはいられない。運が悪かったとしか言いようがない。

台湾の3人組


リガのバス・ターミナルに着いたのは午後4時近く。バス・ターミナルの向かい側にはドーム型の建物がいくつか並んでいる。中央市場だ。

ホテルは予約していなかったが、Booking.comで旧市街にあるBoutique Hotel Justusに目星を付けていた。ヘルシンキで購入したSimカードはローミングをオンにすればここでも有効だった。地下道をくぐって旧市街に入り、Boutique Hotel Justusまで20分余りの距離を歩く。

とりあえず2泊したかったが、1泊分はLuxiaryの部屋しか空いていなく、値段が少し高くなっていた。

他のホテルもあたってみよう。グーグル・マップをたよりに近くのホテルに入る。受付はなく、1階はカフェ・レストランだった。レストランのウェイトレスによると、このホテルはオンラインで予約し、オンラインの指示に従ってチェックインするらしい。

ウェイトレスは親切だった。ホテルを探している私を助け、私のスマホからBooking.comに入力して、別のホテルを紹介してくれた。

だが、いずれも値段が高すぎることから、Boutique Hotel Justusに引き返した。都合よくシングル・ルームのキャンセルが出たらしく、合計147ユーロで朝食付きの2泊を確保できた。

Boutique Hotel Justus


受付の中年の女性にロシア語で「ロシア語をしゃべるか」と尋ねてみた。彼女もロシア人だった。エストニアと同じく、ラトビアのロシア人比率も50%程度らしい。これまたエストニアと同様、ラトビアでもロシア語の学校はすべて閉鎖されているという。受付にはもうひとり男性もいた。彼はラトビア人だが、ロシア語の学校の閉鎖については強く反対していた。

部屋でしばらく休んでから、6時過ぎにホテルに出る。受付のロシア人女性に「このあたりでミネラル・ウォーターを購入できるところはないか」と聞くと、「水はこのホテルでも売っているが、高いから、この店に行くといい」と地図付きでていねいに教えてくれた。

ホテルはリガの観光スポット「ブラックヘッド」(リガ創設800年を記念して1999年に再建された会館)のすぐ近くだ。水を売る店はブラックヘッドの向かいにあった。

ホテルからブラックヘッドへ向かう

水を購入し、小雨が降っているなか、リガの旧市街を探索する。気のせいか、タリンの旧市街より雑然としている印象を持った。しかし雰囲気は似ており、それなりの風情がある。

雨に濡れる旧市街(1)

雨に濡れる旧市街(2)

先ほど水を購入した店はRimi Express。Rimiはタリンでも見かけたチェーンのスーパーで、Rimi Expressはそのコンビニ版といったところか。しばらく歩いていると、ちゃんとしたRimiが見つかった。ここで、夕食用のパンとニシンの酢漬け、マンゴー・ジュースを購入し、ホテルに戻った。

夕食(ちょっと食べ過ぎか)