10月8、9日
フライトまでたっぷり時間がある。食事は機内で出るはずだ。それに空港のレストランは高い。カフェでトルコのBaklavaというお菓子とAyranを注文した。これだけで15ユーロ。市内ならせいぜい5、6ユーロだろう。
BaklavaとAyran
自然の美に心がふるえるには雑すぎる。教会や寺院を鑑賞するような知識も教養もない。したがって世界遺産などには無縁だ。ただひたすら、めずらしい場所、人があまり行かないような場所、off the beaten trackをめざす
10月8、9日
フライトまでたっぷり時間がある。食事は機内で出るはずだ。それに空港のレストランは高い。カフェでトルコのBaklavaというお菓子とAyranを注文した。これだけで15ユーロ。市内ならせいぜい5、6ユーロだろう。
BaklavaとAyran
10月7日
今日はボスポラス海峡クルーズの日。12時過ぎにホステルまで小型バスが迎えに来て、船乗り場まで連れて行ってくれる。クルーズが出発したのは午後1時半。英語とロシア語での説明が始まる。
ツアーという形ではないが、このクルーズは2009年にも経験している。ガイドもなく食事も付かないただの周航だから、値段はずっと安かったはずだ。もちろんこうした単純な周航は今でも運航されているのだろう。
ボスポラス海峡を巡る
余分のお金を出してわざわざツアーにしたのは、こうした交流が期待できたからだ。
ホステルで休憩してから、再び夜の街に出る。中規模のレストランに入り、キョフテ、スープ、それにAyranを注文。315リラ(1300円ほど)。観光客で賑わう旧市街中心部では安いほうだ。
夕食
関空行きの帰国便は10月9日の午前2時にイスタンブール空港を発つ。実質的には8日の深夜だ。今日一日たっぷり時間がある。荷物をホステルに預けて空港へ行くまでの時間を外で過ごす選択肢もあるが、ベッドの上で休む時間をほしいことから、ドーミトリーに1泊する形をとることにした。料金は300リラ(1200円ほど)。
というわけで、11時にチェックアウトしたあと、直ちにドーミトリーにチェックインし、荷物をロッカーに保管したうえで外に出た。
ホステルの入口に黒いヒジャブとアバヤの中年女性3人と男性1人がいた。服装からしてトルコ人かと思ったが、ボスニア人だった(正確にはボスニアに住んでいるアルバニア人)。男性がドイツ語もしゃべると言うので、ドイツ語でも少し会話した。
今日行こうと思っていたのは、カラフルな建物が並ぶBalatという地区だ。グーグル・マップで経路を調べ、トラムでいったん新市街へ出てから、Balatへ行くバスの乗り場を探す。それらしきバス乗り場を見つけ、マップに示されている番号のバスを待つが、いっこうにやって来ない。30分ほど待ったところで、Balat行きをあきらめた。もともとそれほど興味があったわけではない。
Balatの代わりに、今いる新市街を歩いて探索することにした。長い石段を上ってガラタ塔まで行き、そのふもとのレストラン通りを通過して、新市街の中心部にあるタクシム広場を目指す。
途中、ラップしたケバブとAyranのセットで75リラ(300円強)という安いレストランを見つけたので、昼食をとった。
ガラタ塔
10月5日
いよいよ旅も終盤、今日はイスタンブールへ戻る日。カッパドキア(Nevsehir空港)からイスタンブールへの航空券はTrip.comを通じて購入してある。15時50発17時到着のターキッシュ・エアラインズの便で代金は17,630円。
11時にチェックアウトする際に、ホステルで空港行きのシャトルバスを予約しておく(300リラ)。バスは午後1時に迎えに来るとのことなので、いったん荷物を預けてギョレメを散策し、レストランで昼食をとった。
カッパドキアの見納め
来るかどうか迷っていたカッパドキアだが、来てよかったという結論だ。宿のテラスからの眺めはすばらしかった。だが景観に特に感動したというわけではない。カッパドキアの景色は今までに写真や動画で何回となく見ていたから、いわばdesensitizeされていた。体験として残ったのは、多くの観光客やそれを目当てとしたツアーやレストラン、土産物などの全体、その有りようだ。これもまたトルコの現実。
午後5時過ぎにイスタンブール空港へ着く。トルコ国内では制限されていたBooking.comだが、VPNを通じて接続すれば、検索も予約も可能になることを知った。だがあえて予約はしなかった。気に入った宿をいつでも自由に選ぶほうがベターと思ったからだ。ただBooking.comを通じて目星は付けていた。
目星を付けていた安宿に行こうと経路を調べ、空港から出ている地下鉄で終点のGayrettepe駅まで行くが、そのあとのバスの停留所がよくわからない。周りが暗くなっていくなか、この周辺で適当に宿を見つけようと決めた。グーグル・マップを頼りに地下鉄駅から10分くらい離れたホテルにたどり着く。朝食付きで1泊2650リラ。日本円にすれば12,000円弱。少々高いが、バックパックを背負って暗闇のなかを歩くのはもういい。このホテル(Milport Hotel)に1泊することにした。
MilPort Hotelの室内
10月4日
朝早く目が覚めたこともあり、5時過ぎにホステルの屋上のテラスに行く。カッパドキアの早朝の空を覆う気球の群れを見るためだ。しかし外はまだ暗く、気球はまだ上がっていない。気球を目にしたのは、再度テラスに上った午前6時半ごろだった。
テラスから眺めた気球
気球に乗る気はまったくなかった。最低でも100ドルくらいというその値段がネックだった。それに加え、何年も前にイスタンブールに滞在していた際に、気球の事故で死者が出たというニュースを耳にしたことがあり、若干の恐怖心もあった。
今日はグリーン・ツアーの日。9時半にホステルまで迎えの車がきた。他のホテルからも何人かのツアー客をピックアップし、ツアーの出発点である「ギョレメのパノラマ」まで連れ行く。迎えの車の運転手の中年男性は私に日本語で話しかけてきた。「コンニチハ、ゲンキデスカ」のレベルの日本語ではなく、まがりなりにもコミュニケーションが可能なレベルだ。東京と静岡に数か月暮らしたことがあるという。
パノラマ
グリーン・ツアーはこの「ギョレメのパノラマ」から始まる。小型バスに乗り込んだ一行は女性ガイドを含めて15名。バスの中でまず各自簡単な自己紹介をする。インド人のカップルが2組、中国人の若い女性二人組、中国在住のオーストラリア人と中国人のカップル、テキサスのオースティンから来たカップル(新婚旅行中とのこと)、カザフスタン人のカップル、一人参加の米国人男性(ニューハンプシャー州在住)、それに私。
最初にThe Church of Virgin Mary(聖母マリア教会)に立ち寄り、12時過ぎにUnderground Town(地下都市)に到着。これがこのツアーの目玉らしい。
地下都市は迫害を逃れるキリスト教徒たちの避難地として建造され、万を超える人たちが暮らせるようにつくられている。
地下都市の入口
10月3日
7時に朝食をとり、早めにバスターミナル(ASTi)へ向かう。カッパドキア(ギョレメ)行きのバスはを予定どおり9時に出発した。私の席の前列に座っていたカップルと話す。「ドイツから来た」とのことだったが、顔つきがドイツ人らしくない。2人ともアフガニスタン人だった。男性のほうはハザーラ。バーミヤンに行ったときのこと、ダリ語とパシュトー語の違いなどについて話した。男性によるとダリ語とパシュトー語はまったく違う言語だとのこと。ほんとうだろうか。どちらもペルシャ語系の言語のはずだが。
バスは特徴のある岩が見えるカッパドキアに入り、アンカラを出発してから4時間ほどで目的地のギョレメに到着した。カッパドキアといっても広い。ギョレメはカッパドキア観光の中心であり、世界各地からの観光客で賑わっている。
カッパドキアに入る
宿は予約はもちろん、目星も付けていなかった。ざっと調べたところ、ギョレメの宿はどれも高そうだ。目に付く宿を適当にあたってみよう。バス停からほど近いところに、Terra Vista Hostelというホステルがあった。ホステルという名前だが個室もあるとのこと。個室は朝食なしで1泊1500リラ(6300円)。カッパドキアにしては安い。ここに2泊することにした。
Terra Vista Hostel
このホステルでは各種のツアーも取り扱っていた。カッパドキアの一日ツアーにはレッド・ツアーとグリーン・ツアーの2種類がある。レッド・ツアーはギョレメを含むカッパドキア北部を一周するツアー、グリーン・ツアーは南部を一周する。料金はどちらも45ユーロ。標準的なレッド・ツアーを申し込もうとしたが、宿のスタッフの勧めるのはグリーン・ツアーだった。「レッド・ツアーで訪れる場所ならここから個人で行くことが可能」との理由からだ。勧めに従って、明日のグリーン・ツアーを申し込んだ。
ホステルの外へ出ると、尖った岩がにょきにょきと頭をもたげているカッパドキアの風景が目に入る。数多い観光客のなかでも特に目立つのが東洋人だ。大半は中国人で、韓国人がそれに続く。日本語も何回か耳にした。
ギョレメのメインストリート
スープとフムスで早めの夕食
カッパドキアのほぼすべてのホテルやホステルは屋上にテラスを設けており、外の風景を一望できる。Terra Vista Hostelも例外ではない。こうした安ホステルでも眺めはすばらしい。
テラスから見た夜景
10月1日
アンカラ行きのAjetの便は13時45分にマルディンの空港を発つ。空港行きのシャトルバスは11時半の予定。空港までは1時間もかからないから、これで間に合うはずだが、ことのほか慎重な私は10時半にタクシーで空港に向かった(500リラ)。
宿泊費の6000リラはチェックアウトの直前にオーナーの父親にキャッシュで支払った。
約1時間半のフライトでアンカラ空港に到着した。リラのキャッシュを補強しておくために40ユーロと10ドルを両替する。アンカラは少し寒く、用意していた軽い上着を着込む。
アゴダやTrip.comでマークしていたEnerji Otelを目指し、バスでバスターミナル(アンカラではASTiと呼ばれている)まで行き、そこから地下鉄に乗り換えて最寄りの駅で下車した。バスと地下鉄の支払いはどちらもクレジットカードのタッチで済ませた。地下鉄に乗ろうとしていたとき、トルコ人の男性がスマホの翻訳アプリを使って助けてくれた。一緒に車内に乗り込むので(ASTiは最終駅で行き先は一方向しかないからこれは当然)、「ひょっとするとチップをせがんでくるのではないか」とあらぬ疑いをかけてしまう。まったく余計な心配で、私の下車駅で気持ちよく別れた。詐欺とはほど遠い穏やかな表情の男性にまでそんな嫌疑をかける私の猜疑心こそ病的といえよう。
Enerji Otelは朝食付きで1泊約1500リラ(6500円弱)。とりあえず2泊することにした。
Trip.comなどの情報によればEnerji Otelは街の中心から1キロ以上離れているとのことだったが、周りにはレストラン、バー、カフェなどが数多くあり、賑わっていた。官庁などが存在するという意味では「中心」ではないが、商業的にはこのあたりが「中心」のように思えた。
Enerji Otel
9月29日
8時40分にテラスに出て朝食をとる。オーナー兄弟の母親が次から次へと皿を運んでくる。その数に圧倒された。
豪勢な朝食
10時半にホテルを出て、マルディンを探索する。山のふもとに広がる景観はなかなかのものだ。
マルディンの景観(1)
ケバブのサンドイッチとファンタを持ち帰り、夕食とした。合計120リラ(500円ほど)。ホテルのPOSマシンはまだ修復しておらず、宿代は未払いのまま。
9月30日
POSマシンは今朝になっても直っていない。明日修復されるという補償もないので、いざとうときのためにATMから現金を引き出す必要がある。これはできれば避けたかった。カードがATMマシンに吸い込まれることを恐れていたからだ。そのうえ、マルディンのATMには英語を表示する選択肢がない。
そこで目を付けたのが銀行に隣接するATMだ。銀行に入り、「ATMを使いたいが、英語の表示がないので手助けしてほしい」とお願いする。この願いは聞き入れられ、問題なく3泊の代金6000リラを引き出すことができた。これでPOSマシンの好不調にかかわらず支払いが可能になり一安心。
ここ数年「旅行先で散髪する」が恒例になっているが、物価が予想以上に高いトルコでは躊躇していた。しかし、たっぷり時間もあるところから、小さな理髪店に入り、値段を尋ねる。300リラ(1300円弱)とのこと。日本の千円カットとほぼ同じだ。髪を切って貰うことにした。英語をしゃべる先客の男性(トルコとクルドの混血とのことだった)が値段やカットのやり方を通訳してくれた。散髪の途中で紅茶で小休憩したのがトルコらしい。
理髪店で店主と一緒に
メインストリートの夜
Pide