早朝5時45分に羊角島ホテルをチェックアウト、6時に平壌駅に着いた。駅前でしばらく写真撮影したあと、列車に乗り込む。列車の座席は特に決められているわけではなく、どのコンパートメントのどの席に座っても自由なのだが、旅が進むにつれて同じコンパートメントに集まるメンバーが固定化されてくる。私は、ボストンから来たBob、ロシア系アメリカ人のMark、香港のパスポートを持つLloydと同じコンパートメントになることが多かったが、この日はJames、Jane、Nickというイギリス人グループと一緒のコンパートメントに入った。
Janeは現在はシドニーに住んでいるが、もともとはイギリス出身で、パスポートもオーストラリアとイギリスの両方を持っている。2児の母。子供たちは普段はオーストラリア訛りの英語をしゃべるが、母親に対してはイギリス訛りの英語をしゃべる「バイリンガル」だとか。Jamesはイングランドのチェッカハム(ネットでサーチしたが出てこないので聞き間違えかもしれない)、Nickはロンドンに住む。英国系の3人が話すローカルな話題についていくのはむずかしいが、ときどき彼らが私に地名などを解説してくれる。
これから向かう咸興(함흥=ハムン)は北朝鮮第2の都市。私にとってははじめての訪問で、いやがおうでも期待が高まる。
朝食と昼食は食堂車でとる。朝食もまずまず充実していた。ふわふわの薄いパンが思いのほかおいしく、何枚も食べた。
車窓からの風景が興味深い。写真撮影については「景色はいいが、人は撮るな」というのが一応のガイドラインらしいが、どこまで適用されるのかあいまいだった。少し遠慮しながら、かなり自由に撮ったというのが真相だ。
朝6時過ぎに平壌を出た列車は午後3時半ごろに咸興に着く。平壌と異なり、咸興では写真撮影は厳しく制限される。基本的にガイドが「撮ってよい」と明示的に指示した場所でしか撮れないらしい。平壌と並んで以前から外国人に開放されていた開城、妙香山、元山などでは比較的自由に写真を撮れるのだが、開かれてからあまり間がない咸興や清津では当局もかなり神経をとがらせているようだ。
神経をとがらせるには理由がある。咸興や清津は、平壌はもちろん開城や元山に比べてもはっきりと貧しいからだ。いいところを宣伝し、遅れたところ、貧しいところを隠したいのはどこの国でも同じだが、北朝鮮ではこれが極端な形で現れる。しかし、貧しい風景、つまり古くからの朝鮮が残っている風景のほうに惹かれるのは私だけではないだろう。平壌の高層アパートやしゃれたレストランよりも、清津の崩れかかったような家、舗装していない道、人々の質素な身なりのほうが被写体としてずっとおもしろい。これはなにも北朝鮮に限ったことではない。
ズームを利用して咸興の人々の生の姿をとらえようと試みたが、私の安物のカメラではおのずから限界がある。
咸興では訪問場所も限られていた。到着した当日に大劇場の前、金親子の銅像、そして肥料工場を訪れただけで、明朝には清津に向けて発つことになる。Youtubeには咸興の街の様子や子供たちの出会いの動画もかなりアップされているのだが、そうした偶然の出会いや交流もなかった。
宿泊したのは麻田(マジョン)ゲストハウス。私を含め数人は少し離れている別棟の部屋を割り当てられた。麻田ゲストハウスは新しく立派な建物だが、お湯は出なかった。夕食はゲストハウスでとった。
Janeは現在はシドニーに住んでいるが、もともとはイギリス出身で、パスポートもオーストラリアとイギリスの両方を持っている。2児の母。子供たちは普段はオーストラリア訛りの英語をしゃべるが、母親に対してはイギリス訛りの英語をしゃべる「バイリンガル」だとか。Jamesはイングランドのチェッカハム(ネットでサーチしたが出てこないので聞き間違えかもしれない)、Nickはロンドンに住む。英国系の3人が話すローカルな話題についていくのはむずかしいが、ときどき彼らが私に地名などを解説してくれる。
これから向かう咸興(함흥=ハムン)は北朝鮮第2の都市。私にとってははじめての訪問で、いやがおうでも期待が高まる。
朝食と昼食は食堂車でとる。朝食もまずまず充実していた。ふわふわの薄いパンが思いのほかおいしく、何枚も食べた。
食堂車での朝食
車窓からの風景が興味深い。写真撮影については「景色はいいが、人は撮るな」というのが一応のガイドラインらしいが、どこまで適用されるのかあいまいだった。少し遠慮しながら、かなり自由に撮ったというのが真相だ。
沿線の風景 1
沿線の風景 2
沿線の風景 3
沿線の風景 4
沿線の風景 5
沿線の風景 6
沿線の風景 7
沿線の風景 8
朝6時過ぎに平壌を出た列車は午後3時半ごろに咸興に着く。平壌と異なり、咸興では写真撮影は厳しく制限される。基本的にガイドが「撮ってよい」と明示的に指示した場所でしか撮れないらしい。平壌と並んで以前から外国人に開放されていた開城、妙香山、元山などでは比較的自由に写真を撮れるのだが、開かれてからあまり間がない咸興や清津では当局もかなり神経をとがらせているようだ。
神経をとがらせるには理由がある。咸興や清津は、平壌はもちろん開城や元山に比べてもはっきりと貧しいからだ。いいところを宣伝し、遅れたところ、貧しいところを隠したいのはどこの国でも同じだが、北朝鮮ではこれが極端な形で現れる。しかし、貧しい風景、つまり古くからの朝鮮が残っている風景のほうに惹かれるのは私だけではないだろう。平壌の高層アパートやしゃれたレストランよりも、清津の崩れかかったような家、舗装していない道、人々の質素な身なりのほうが被写体としてずっとおもしろい。これはなにも北朝鮮に限ったことではない。
ズームを利用して咸興の人々の生の姿をとらえようと試みたが、私の安物のカメラではおのずから限界がある。
咸興市内
咸興では訪問場所も限られていた。到着した当日に大劇場の前、金親子の銅像、そして肥料工場を訪れただけで、明朝には清津に向けて発つことになる。Youtubeには咸興の街の様子や子供たちの出会いの動画もかなりアップされているのだが、そうした偶然の出会いや交流もなかった。
肥料工場 1
肥料工場 2
宿泊したのは麻田(マジョン)ゲストハウス。私を含め数人は少し離れている別棟の部屋を割り当てられた。麻田ゲストハウスは新しく立派な建物だが、お湯は出なかった。夕食はゲストハウスでとった。
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