ここでちょっと一休み。
昨年のツアーと同様、今回のツアーも北朝鮮を知ると同時にツアー同行者を知る旅でもあった。
旅も終盤になってイギリス人のNickが言う。「グループ旅行となるとたいてい1人や2人はイヤな人物がいるものだが、今回は1人もそういったメンバーがいない」と。私は「いやいや、まだ最後になるまでわからないぞ」と応じたが、終始和気あいあいと旅を続けることができた。同じくNickが言っていたように、これには「(我々のグループには)極右も極左もおらず、誰もがバランスのとれた見方をしていた」ことも大きかったかもしれない。
添乗員も含めれば15人の団体だから、全員と均等に接することは不可能だ。ここでは特に親しくなったメンバー、興味深かった人物を何人か紹介しておこう。
「インテリゲンチャ」の家系の母親と「シンプル」な軍人である父親のもとにサンクトペテルブルク(当時はレニングラード)に育ったMarkは15歳ごろからBBCやVoice of Americaのロシア語放送を聞き、共産主義体制への疑問を持つようになった。彼が反政府活動を理由に国外追放されたのは、ソ連が崩壊する直前の1988年。しばらくイタリアに滞在したのち、アメリカに渡り、市民権を得る。在米は25年に及ぶ。
Markはアメリカ人に門戸が開かれた2005年に初めて訪朝し、以後今回で5回目の訪朝となる。どういう経緯でそうなったのかは聞き逃したが、彼はいわば北朝鮮オタクで、本業のプログラマーのかたわら、北朝鮮旅行の斡旋も手がけている。脱走して北朝鮮に渡った米兵の情報については特に詳しく、ジェンキンス氏の本も読んでいた(「おもしろくなかった」という感想だった)。日本にも何回か来たことがある(彼と最初に交わした会話は安部公房についてだった)。
Markには自分のソ連時代の経験から北朝鮮の生活の機微を類推しがちなところがあった。誰かから「お前は反政府活動で国外追放になったが、北朝鮮なら国の外には出してもらえないのでは」と指摘されていた。
抗日ゲリラから共産党の役人となった父親と外交官の母親を持つLloydは中国の典型的なエリートだ。小学校時代の4、5年をイギリスで過ごしたのち、北京の大学を卒業して、外務省に入る。外務省時代にはニューヨークの国連に10年間勤務し、同時通訳も務めていた。
外務省を退職したあと、ビジネスの世界に飛び込み、上海をベースとしてドイツ車の輸入などを手がけている。細かいところにまで気を配り、人当たりもよいLloydはビジネスの世界でもうまくやっているようだ。
「中国はもっと未来を見なければならないが、日本も過去を否定してはならない」という意見のLloydに尖閣諸島について聞くと、「ridiculousだ」と即答した。あんな小さな問題で争うのはどちらの得にもならない。日中の協力にこそ未来はあるというわけだ。ただし、「日本が尖閣諸島を国有化したのはまずかった。国有化となれば中国政府としては反応せざるをえない」と言う。「いや、あれは石原知事の動きを封じるためのpreemttive measureで、やむを得なかった」と反論しておいた。Lloydはそこらへんの事情もよく知っているようだった。
彼は「私の息子は日本が好きで、日本人の友達も多い。韓国の友人もいるようだ。若い世代の時代になれば、東アジアも変わるのではないか」との希望的観測を述べていた。日本での嫌中国、嫌韓国のムードがむしろ若い世代のほうに強いと感じている私はそこまで楽観的にはなれない。
毛沢東の評価についてはどうだろうか。Lloydによれば「(毛沢東の)70%はright、30%はwrong」というのがofficial lineらしい。彼自身も、「中国を諸外国の干渉から解放し、統一したのは毛沢東の功績であり、全否定すべきではない」という見方だった。
Jonathanはイギリス人、Oksanaはラトビア人(リガ出身)だが、現在はベルリンに住んでいる。2人のなれそめは10年前、Oksanaがまだ17歳のときにラトビアの教会の前でJonathanから声をかけられたことから始まったらしい。
Jonathanの仕事はドイツへの投資の斡旋らしいが、詳しい話は聞いていない。Oksanaはフェラガモのショップで店員として働いていた。どちらも非常に気さくで、ツアー中もよく私に声をかけてくれた。
Jonathanは「ほぼ完璧な」(Oksanaの弁)ドイツ語に加え、ロシア語、フランス語もしゃべる。ネイティブの英語話者にしてはめずらしい。旅行歴も相当ありそうだ。私が日帰りしただけの沿ドニエストル共和国には仕事で1週間ほど滞在したことがあるという。南米のガイアナでは身ぐるみはがされたとか(Oksanaもベルリンの自宅前で強盗に襲われ、無我夢中で抵抗した経験を持つ)。
彼らはこのツアーのあとで、北京と上海を経由して、最後の目的地である日本に来た。私は彼らと大阪で再会し、飛田新地を案内することになる。
このほか、中国雲南省からミャンマーに密入国してカレン族の村に行ったソウル在住のGeoff、8月6日に広島、9日に長崎を訪れたJeremyとMonishaのカップル、セガの欧州総支配人を勤めていたNickなど、紹介したい人物は多いが、今後のブログの中でおいおいふれていこう。
昨年のツアーと同様、今回のツアーも北朝鮮を知ると同時にツアー同行者を知る旅でもあった。
旅も終盤になってイギリス人のNickが言う。「グループ旅行となるとたいてい1人や2人はイヤな人物がいるものだが、今回は1人もそういったメンバーがいない」と。私は「いやいや、まだ最後になるまでわからないぞ」と応じたが、終始和気あいあいと旅を続けることができた。同じくNickが言っていたように、これには「(我々のグループには)極右も極左もおらず、誰もがバランスのとれた見方をしていた」ことも大きかったかもしれない。
添乗員も含めれば15人の団体だから、全員と均等に接することは不可能だ。ここでは特に親しくなったメンバー、興味深かった人物を何人か紹介しておこう。
Mark
まずロシア系アメリカ人のMark。彼がいなければ、このツアーも重要な薬味を欠いたことになっただろう。これは私以外の多くの同行者も認めるところ。まずその太った体型とロシア語訛りの英語からして異彩を放つ。二重あごに浮かべる笑みが実にチャーミングだった。「インテリゲンチャ」の家系の母親と「シンプル」な軍人である父親のもとにサンクトペテルブルク(当時はレニングラード)に育ったMarkは15歳ごろからBBCやVoice of Americaのロシア語放送を聞き、共産主義体制への疑問を持つようになった。彼が反政府活動を理由に国外追放されたのは、ソ連が崩壊する直前の1988年。しばらくイタリアに滞在したのち、アメリカに渡り、市民権を得る。在米は25年に及ぶ。
Markはアメリカ人に門戸が開かれた2005年に初めて訪朝し、以後今回で5回目の訪朝となる。どういう経緯でそうなったのかは聞き逃したが、彼はいわば北朝鮮オタクで、本業のプログラマーのかたわら、北朝鮮旅行の斡旋も手がけている。脱走して北朝鮮に渡った米兵の情報については特に詳しく、ジェンキンス氏の本も読んでいた(「おもしろくなかった」という感想だった)。日本にも何回か来たことがある(彼と最初に交わした会話は安部公房についてだった)。
Markには自分のソ連時代の経験から北朝鮮の生活の機微を類推しがちなところがあった。誰かから「お前は反政府活動で国外追放になったが、北朝鮮なら国の外には出してもらえないのでは」と指摘されていた。
Mark(見習いガイドの深と一緒に)
Lloyd
続いて中国人のLloyd。生まれも育ちも北京で、現在は上海に住んでいるが、パスポートは香港。香港に7年間住んでいたことから取得できたらしい。若く見えるがすでに50代で、23歳の息子がいる。北京のインターナショナル・スクールを出た息子は日本が好きで何回も来日しているらしい。Lloyd自身も日本に何回か来ている。抗日ゲリラから共産党の役人となった父親と外交官の母親を持つLloydは中国の典型的なエリートだ。小学校時代の4、5年をイギリスで過ごしたのち、北京の大学を卒業して、外務省に入る。外務省時代にはニューヨークの国連に10年間勤務し、同時通訳も務めていた。
外務省を退職したあと、ビジネスの世界に飛び込み、上海をベースとしてドイツ車の輸入などを手がけている。細かいところにまで気を配り、人当たりもよいLloydはビジネスの世界でもうまくやっているようだ。
「中国はもっと未来を見なければならないが、日本も過去を否定してはならない」という意見のLloydに尖閣諸島について聞くと、「ridiculousだ」と即答した。あんな小さな問題で争うのはどちらの得にもならない。日中の協力にこそ未来はあるというわけだ。ただし、「日本が尖閣諸島を国有化したのはまずかった。国有化となれば中国政府としては反応せざるをえない」と言う。「いや、あれは石原知事の動きを封じるためのpreemttive measureで、やむを得なかった」と反論しておいた。Lloydはそこらへんの事情もよく知っているようだった。
彼は「私の息子は日本が好きで、日本人の友達も多い。韓国の友人もいるようだ。若い世代の時代になれば、東アジアも変わるのではないか」との希望的観測を述べていた。日本での嫌中国、嫌韓国のムードがむしろ若い世代のほうに強いと感じている私はそこまで楽観的にはなれない。
毛沢東の評価についてはどうだろうか。Lloydによれば「(毛沢東の)70%はright、30%はwrong」というのがofficial lineらしい。彼自身も、「中国を諸外国の干渉から解放し、統一したのは毛沢東の功績であり、全否定すべきではない」という見方だった。
Lloyd(中央)
JonathanとOksana
Jonathan(Johnny)とOksanaは新婚旅行の一環としてこのツアーに参加した。9月18日にトルコのイスタンブールから始まった彼らの新婚旅行は、ジョージア(グルジア)、中国と続き、このツアーに至る。Jonathanはイギリス人、Oksanaはラトビア人(リガ出身)だが、現在はベルリンに住んでいる。2人のなれそめは10年前、Oksanaがまだ17歳のときにラトビアの教会の前でJonathanから声をかけられたことから始まったらしい。
Jonathanの仕事はドイツへの投資の斡旋らしいが、詳しい話は聞いていない。Oksanaはフェラガモのショップで店員として働いていた。どちらも非常に気さくで、ツアー中もよく私に声をかけてくれた。
Jonathanは「ほぼ完璧な」(Oksanaの弁)ドイツ語に加え、ロシア語、フランス語もしゃべる。ネイティブの英語話者にしてはめずらしい。旅行歴も相当ありそうだ。私が日帰りしただけの沿ドニエストル共和国には仕事で1週間ほど滞在したことがあるという。南米のガイアナでは身ぐるみはがされたとか(Oksanaもベルリンの自宅前で強盗に襲われ、無我夢中で抵抗した経験を持つ)。
彼らはこのツアーのあとで、北京と上海を経由して、最後の目的地である日本に来た。私は彼らと大阪で再会し、飛田新地を案内することになる。
このほか、中国雲南省からミャンマーに密入国してカレン族の村に行ったソウル在住のGeoff、8月6日に広島、9日に長崎を訪れたJeremyとMonishaのカップル、セガの欧州総支配人を勤めていたNickなど、紹介したい人物は多いが、今後のブログの中でおいおいふれていこう。
全員の集合写真(平壌で)
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