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2015年10月27日火曜日

北朝鮮鉄道の旅2015 五日目(10月6日)

早朝、麻田ゲストハウスのベランダから日本海(東海)に昇る太陽を見る。そういえば咸興は海に面していた。
咸興の日の出

今日、列車は日本海に沿って咸興から清津に向けて走る。北朝鮮鉄道の旅のハイライトともいえよう。ゲストハウスで朝食をとり、駅に向かう。我々を駅まで運ぶのは朴運転手。平壌からはるばるここまで空のバスを運転してきたのだ。ただし、朴運転手は清津には行かず、その次の目的地である元山に向かう。清津では地元のガイドと運転手が我々を迎えることになっている。


列車の車窓からは海辺の村々の興味深い風景が展開される。昨年会寧(ヘリョン)から清津に車で移動したときに見た貧しい家並みとは異なり、それなりにきちんとした家々が続く。予想した「貧しさ」が見られない。この地方が実際に会寧・清津より豊かなのか、それとも私の感じ方の変化なのかよくわからない。つまりどこまでが客観で、どこからか主観か、自分でも区別できない。平壌の高層アパートで北朝鮮を判断するのが危険であるのと同様、「北朝鮮は貧しい、貧しいはずだ」という思い込みにも注意しなければならない。「ありのままに見る」とはことほどさように難しい。

沿線の風景 1

沿線の風景 2

沿線の風景 3

沿線の風景 4

沿線の風景 5

沿線の風景 6

沿線の風景 7

沿線の風景 8

沿線の風景 9

沿線の風景 10

沿線の風景 11

咸興と清津の間にはトンネルがやたらと多く、動画を撮り始めるとすぐにトンネルといった場面が少なからずあった。昼食と夕食を食堂車でとり、列車は夜の9時すぎに清津(청진=チョンジン)の駅に到着する。我々を迎えたのは清津・七宝山エリアの現地ガイドである徐(ソ)氏。昨年の北朝鮮東北部のツアーでお馴染みのガイドだ。向こうも私の名前を覚えていた。

ホテルは清津観光旅館。これも昨年と同じ。この旅館のオーナーは日本からの帰国者である姜(カン)氏だと聞いていた。旅館の入口にいた70過ぎの陽に焼けた老人に朝鮮語で「姜さんはいるか」と尋ねてみる。今中国に行っていて留守だとのこと。以下おおよそ次のような短い会話を交わした。

私「姜氏はここの社長(サジャンニム)か」
老人「いや支配人(チベイン)です」
私「姜氏は日本からの帰国者か」
老人「そうです。私も日本からの帰国者です」
ここで朝鮮語から日本語に切り替える。
私「日本のどこですか」
老人「東京です。62年前に帰国しました」
私「私はXXX県の出身です」
老人「雪の多いところですね」(これは最初朝鮮語で言って、続いて日本語に言い換えた)

もっと詳しい話を聞きたかったが、残念ながら時間がなかった。咸興同様、清津でも写真撮影は厳しく制限され、旅館の窓から外部を撮ることも禁止された。

清津観光旅館

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