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2015年11月25日水曜日

ソマリランド2011 ハルゲイサ2

1月28日。ソマリランド二日目。

ソマリランドでは首都のハルゲイサに加えて、アデン湾に面する港町のベルベラをも訪れるつもりだった。当時、外国人がハルゲイサからベルベラへ向かうときにはAK47で武装したボディガードを雇う規則になっていた(現在ではベルベラに関する限りこの規則はなくなったと聞く)。ボディガードを付けるのだから、車も専用車になる。ベルベラに宿泊するとすれば、ボディガードの宿泊費まで出さなければならないだろう。これでは費用がかさんでしまう。しかし抜け道はある。警察でletter of permissionをもらえば、ボディガードなしで移動できるのだ。

明日はベルベラへ行く予定なので、まずはそのletter of permissionを手に入れなければならない。ホテルの近くに警察署があるが、letterは郊外の警察署本部でしか取得できない。ホテル近くの警察署で本部の所在場所などを聞いていると、運良くこれから本部へ行くという車があり、同乗させてもらうことができた。タクシーで行けば5ドルかかるうえ、外国人が本部に入るのは容易でないと聞いていたので、これはありがたかった。letterの作成には小一時間かかった。

バスでハルゲイサ市街に戻り、レストランで昼食をとる。肉とライス。肉は山羊だろうか。500シリング札を数十枚出して支払いを済まし、外へ出る。するとレストランの店員が追いかけてくる。札が1枚多かったというのだ。その正直さにちょっと驚く。さて、明日のベルベラ行きの準備もできたところで、ぶらぶらとハルゲイサの街を見て回ろう。


ハルゲイサのストリート・マーケット

ハルゲイサを歩いていると、よく声をかけられる。アフリカの他の国と同様、中国人と間違われることが多い。「ジャーナリスト」かと聞かれることも1度ならずあった。声をかけてきた1人、Mと知り合いになり、一緒にお茶を飲む。彼はソマリア人だが、国籍はエチオピア。アジスアベバの大学を卒業している。ただし、エチオピアの公用語であるアムハラ語はまったくできない。エチオピア国民であることを示す身分証明書を見せ、「何が書いてあるか自分でもわからない」と言っていた。大学の授業はすべて英語だったらしい。Mはハルゲイサをいろいろ案内してくれた。

エチオピア国籍のソマリア人M

私がソマリランドを訪れた理由の1つは音楽だ。ソマリランドとソマリアの音楽に興味を持ったのはいつごろだろうか。Ubax Dahir、Nimco Yaasin、Maryan Mursalといった女性歌手をよく聞いていた。

したがってMにCDショップに案内してもらったのは自然の成り行きだった。小さな店舗で販売されているのはもっぱらテープとCD-Rだった。CDやDVDを商業ベースで制作・販売するほどに音楽産業が発展していないのだろう。若い店主は私にUSBメモリを持っているかと聞く。ちょうど持ち合わせていた。容量は忘れたが、5年前のことだから1GB未満だっただろう。店主は私とMをショップの奥の事務所に案内し、パソコンでCD-Rを再生して、私の好みを曲をUSBメモリにコピーした。USBメモリがいっぱいになったところで、10ドルを支払った。他の国なら完全に違法だが、そもそもちゃんとした製品のCDやDVDがないソマリランドでは致し方がない。

ここでのやりとりは最初Mがソマリア語から英語に通訳してくれた。しかし、途中で店主が私に「フランス語はしゃべれるか」と問う。「Oui」と答え、以降店主と私の間で直接にやりとりした。あとでMに聞くと、「たぶんジブチから来たのだろう」とのこと。フランスの旧植民地であるジブチの人口の半数はソマリア人だ。ちなみに歌手のNimco Yaasinもジブチ出身らしい。

私がアップしたものではないが、Nimco Yaasiinの動画を1つ紹介しておこう。


Mとは夕食の前に別れた。彼とは今もときたまメールを交換している。帰国後まもなくして発生した東日本大震災時には、私の身の安全を尋ねるメールが来た。

宿に戻ると、テラスでデンマーク人を見かけた。物書きらしい。ハルゲイサにはすでに1週間以上滞在しているという。

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