8月4日。
朝食後、8時半にバスでベツレヘムに向かう。キリストが生まれたとされる聖誕教会(Nativity Church)を訪れるためだ。ベツレヘムには9時過ぎに到着したが、聖誕教会ではカトリック、ギリシャ正教、アルメニア正教のミサが順番に行われており、そのあとに掃除もあるとのことでかなり待った。最初は土産物店の中で待ち、さらに教会に入って待つ。教会の中、私たちの前にフランス語をしゃべる団体がいたので、フランス語で声をかける。パリのカトリック信者の団体ということだった。「私たちのなかに日本語をしゃべる女性がいる」とのことで、その女性を私に引き合わせてくれた。女性は「靴下の会社の仕事で大阪へ行っています」と日本語で言っていた。日本人とフランス人に加え、ロシア人や中国人の団体で狭い教会はごった返してした。
前日の聖墳墓教会同様、キリスト教に思い入れのない私には特に感慨はなかった。イエスなる人物が実在していたとして、そもそも彼はナザレで生まれたのか、それともベツレヘムで生まれたのか、あるいはどこか別の場所で生まれたのか。私にはわからないし、わかろうという気もしない。
11時からはHoly Land TrustというNGOとのミーティングということで、その事務所に赴いた。ミーティングとはいうものの、Holy Land Trustの代表がしゃべり、それに私たちが2、3質問をするだけの内容だった。イスラエル人とパレスチナ人の交流促進を趣旨とするNGOだが、その活動実態がいまひとつはっきりしない。私も「活動の具体例を挙げてほしい」と質問したが、それでもよくわからなかった。
ホテルに引き返して2時ごろに遅めの昼食をとったあと、死海に向かう。30分余りで死海に到着したが、私は海に入らないと決めており、水着も持ってきていなかった。わざわざ死海のために水着を購入するまでもないし、若者たちの中で老いた体をさらしたくもない。
海水アレルギーということで海に入らなかったもう1人の女性とテントの下でみんなの荷物を見張りながら、強い日差しを浴びて輝く海を眺める。
海に入った男性陣はすぐにテントに戻ってくる。「痛い、痛い」、「苦い」などと言いながら。濃い塩水だから、皮膚に少しでも傷があると沁みるらしい。スロバキア人女性だけは「Amazing」と感動していたが、総じて快適な体験ではなかったようだ。
7時ごろにホテルに戻って夕食。大きなビュッフェ式のレストランにはユダヤ教の団体が多かった、あとで私たちに付き添っているGalileeのBorisに聞くと、Rimonimホテルの料理はKosher(ユダヤ教の規則に則って調理された料理)らしい。阪急のツアーで来ている日本人の団体も見かけた。
この日も灯りをつけたまま寝入ってしまい、夜中に目が覚めてそのあとよく眠れなかった。イスラエルに着いてから3泊目。そろそろ時差に慣れてもよさそうなものだが。
朝食後、8時半にバスでベツレヘムに向かう。キリストが生まれたとされる聖誕教会(Nativity Church)を訪れるためだ。ベツレヘムには9時過ぎに到着したが、聖誕教会ではカトリック、ギリシャ正教、アルメニア正教のミサが順番に行われており、そのあとに掃除もあるとのことでかなり待った。最初は土産物店の中で待ち、さらに教会に入って待つ。教会の中、私たちの前にフランス語をしゃべる団体がいたので、フランス語で声をかける。パリのカトリック信者の団体ということだった。「私たちのなかに日本語をしゃべる女性がいる」とのことで、その女性を私に引き合わせてくれた。女性は「靴下の会社の仕事で大阪へ行っています」と日本語で言っていた。日本人とフランス人に加え、ロシア人や中国人の団体で狭い教会はごった返してした。
ベツレヘム到着
前日の聖墳墓教会同様、キリスト教に思い入れのない私には特に感慨はなかった。イエスなる人物が実在していたとして、そもそも彼はナザレで生まれたのか、それともベツレヘムで生まれたのか、あるいはどこか別の場所で生まれたのか。私にはわからないし、わかろうという気もしない。
混み合う聖誕教会
祈っている一団もいる
11時からはHoly Land TrustというNGOとのミーティングということで、その事務所に赴いた。ミーティングとはいうものの、Holy Land Trustの代表がしゃべり、それに私たちが2、3質問をするだけの内容だった。イスラエル人とパレスチナ人の交流促進を趣旨とするNGOだが、その活動実態がいまひとつはっきりしない。私も「活動の具体例を挙げてほしい」と質問したが、それでもよくわからなかった。
ホテルに引き返して2時ごろに遅めの昼食をとったあと、死海に向かう。30分余りで死海に到着したが、私は海に入らないと決めており、水着も持ってきていなかった。わざわざ死海のために水着を購入するまでもないし、若者たちの中で老いた体をさらしたくもない。
海水アレルギーということで海に入らなかったもう1人の女性とテントの下でみんなの荷物を見張りながら、強い日差しを浴びて輝く海を眺める。
海に入った男性陣はすぐにテントに戻ってくる。「痛い、痛い」、「苦い」などと言いながら。濃い塩水だから、皮膚に少しでも傷があると沁みるらしい。スロバキア人女性だけは「Amazing」と感動していたが、総じて快適な体験ではなかったようだ。
死海
7時ごろにホテルに戻って夕食。大きなビュッフェ式のレストランにはユダヤ教の団体が多かった、あとで私たちに付き添っているGalileeのBorisに聞くと、Rimonimホテルの料理はKosher(ユダヤ教の規則に則って調理された料理)らしい。阪急のツアーで来ている日本人の団体も見かけた。
この日も灯りをつけたまま寝入ってしまい、夜中に目が覚めてそのあとよく眠れなかった。イスラエルに着いてから3泊目。そろそろ時差に慣れてもよさそうなものだが。
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