8月7日。
今日はイスラエル北部ガリリー地域にあるドゥルーズやアラブの村を訪れる。"The Galiean Mosaic: Pluralities and Minorities in the Galilee"という名目の現地ツアーだ。
ナザレのホテルから30分余りでドゥルーズ村のショップに到着。ドゥルーズとはイスラエル、レバノン、シリアに住む宗教グループだ。私は2010年にシリア南部のドゥルーズの町シャハバを訪れたことがある。これまでドゥルーズはイスラムの分派だと思っていたが、どうもそうではないらしい。
ショップの前では今日のツアーをガイドする男性が待っていた。ユダヤ人で、元軍人ということだった。
ショップに入りガイドの話を聞く。テーブルの上には、セサミなどのパイ、オリーブの実、トマト、キュウリ、お菓子が出される。おいしい。ホテルでの朝食をもっと控えておけばよかった。
オリーブ油の味見、サボンという石鹸の製造実演に続きショッピング・タイム。石鹸などの小物に人気があるようだったが、私は何も買わなかった。オリーブ油でも1本ほしいところだが、手荷物だけで飛行機に乗る身としては購入はかなわない。
ショップをあとにして、ドゥルーズの宗教指導者の家へ行く。ドゥルーズには教会やモスクに相当するものはなく、一般の家が礼拝の場となる。指導者も帽子や上着で区別されるだけで、カトリックの司祭やイスラム教のイマームとはそのあり方が大きく異なる。
丸く輪になって指導者の話を聞く。ドゥルーズはイスラム教には属していないとのことだったが、その出自はイスラム・シーア派からの破門にあること、コーランを聖典としていることなど、イスラムの1セクトと解されても不思議ではない。
ドゥルーズはそれぞれの国の支配者に忠誠を誓っている。たとえば、イスラエルのドゥルーズはイスラエル政府に従う。他のアラブ人とは異なりドゥルーズがイスラエルの兵役につくのもこのためだ。
モスレムの場合、父親がモスレムならその子もモスレムになる。ユダヤ教の母親から生まれた子はユダヤ教徒だ。ドゥルーズの場合は両親ともにドゥルーズでなければドゥルーズとして認められない。しかもドゥルーズは他の宗教からの改宗を受け入れない。つまり非ドゥルーズがドゥルーズになる道は閉ざされている。
こうしたいわば閉ざされたドゥルーズのコミュニティを維持していくのは容易ではない。近親結婚といった問題も発生するだろう。
「ドゥルーズはミリシャ(民兵)を抱えているのか」と尋ねたところ、ドゥルーズは平和的なコミュニティでミリシャは持っていないとの返事だった。しかし、レバノン内戦ではドゥルーズ派のジュンブラート率いる民兵がキリスト教マロン派と対立していたはずだ。このツアー時にはジュンブラートという名前がどうしても思い出せず、深く追求することはやめた。
ドゥルーズの村をあとにし、レバノンとの国境付近まで行く。小高い丘からはレバノンの美しい光景が広がる。景色は美しいが、ときおり砲音が聞こえる。
次に訪れたのはアラブ人のコミュニティ。アラブ人といってもキリスト教徒(カトリック)とのこと。つまりマイノリティの中のそのまたマイノリティだ(イスラエル内のアラブ人の中でキリスト教徒は0.5%らしい)。
小さな礼拝堂を見学してから、2時過ぎに昼食となる。アラブ料理。サラダ、豆料理、チキンの入ったライスなど。まずはおいしかった。
このコミュニティでは羊や鶏などの家畜を飼育し、ハーブやオレンジ、オリーブなどを育てている。外に出て、石のテーブルでお茶とアラブ菓子をいただく。
木陰に腰掛けてガイドの話を聞く。元軍人ということもあり、イスラエル寄りの説明が続く。イランを完全に敵視しているようなので、少し異論らしきものを出した。「ロウハニ大統領に実権はない。すべては最高指導者のカメネイ(Khamenei)の手にある」とガイドは言うが、ことはそう簡単ではないだろう。大統領と最高指導者の関係も絶対的・固定的なものではない。それにイラン社会は大きな変貌のまっただ中にある。「我々のなすべきことはロウハニ政権を奨励(encourage)することだ」と述べておいた。イランを孤立させることはイランの保守層をencourageすることでしかない。無用な軋轢は避けたいので、議論はここまでにしておいた。
ドゥルーズの村、ユダヤ人の村、クリスチャンの村を眺望できる丘を通過しながらナザレのホテルへの帰路についた。
ホテルに到着し、夕食をとったあと、19時から1時間近く、Galilee International Management Instituteの所長であるDr. I. Shevelによる"Palestinian-Israeli Cooperation: Galilee Institute's Experience"と題する話があった。
Galilee Instutiteのこれまでの活動を紹介するこの話のなかで印象に残っているのは、今年7月に成立したエチオピアとエリトリアの和解の下準備にGalilee Instituteがかかわっていることだった。エチオピアにもエリトリアにも関心がある私としてはうれしいニュースだ。どの程度のかかわりであったのかはわからないが、ほんの少しでもうれしい。
質問の時間になったので、「私はこの研修プログラムに約2000米国ドルを支払った。宿泊費、食費、移動費すべて込みだから、これでGalilee Instituteが利益をあげているとは思えない。Galilee Instituteはどこからか補助金ないし寄付金を受け取っているのか」と尋ねてみた。
「補助金はひも付きになるので受け取っていない。寄付金もない」との回答だった。
ホテル内に缶詰にされた昨日とは対照的に1日の大半を外で過ごした研修5日目はこうして終わった。
今日はイスラエル北部ガリリー地域にあるドゥルーズやアラブの村を訪れる。"The Galiean Mosaic: Pluralities and Minorities in the Galilee"という名目の現地ツアーだ。
ナザレのホテルから30分余りでドゥルーズ村のショップに到着。ドゥルーズとはイスラエル、レバノン、シリアに住む宗教グループだ。私は2010年にシリア南部のドゥルーズの町シャハバを訪れたことがある。これまでドゥルーズはイスラムの分派だと思っていたが、どうもそうではないらしい。
ショップの前では今日のツアーをガイドする男性が待っていた。ユダヤ人で、元軍人ということだった。
ショップに入りガイドの話を聞く。テーブルの上には、セサミなどのパイ、オリーブの実、トマト、キュウリ、お菓子が出される。おいしい。ホテルでの朝食をもっと控えておけばよかった。
パイや野菜
オリーブ油の味見、サボンという石鹸の製造実演に続きショッピング・タイム。石鹸などの小物に人気があるようだったが、私は何も買わなかった。オリーブ油でも1本ほしいところだが、手荷物だけで飛行機に乗る身としては購入はかなわない。
ショップをあとにして、ドゥルーズの宗教指導者の家へ行く。ドゥルーズには教会やモスクに相当するものはなく、一般の家が礼拝の場となる。指導者も帽子や上着で区別されるだけで、カトリックの司祭やイスラム教のイマームとはそのあり方が大きく異なる。
丸く輪になって指導者の話を聞く。ドゥルーズはイスラム教には属していないとのことだったが、その出自はイスラム・シーア派からの破門にあること、コーランを聖典としていることなど、イスラムの1セクトと解されても不思議ではない。
ドゥルーズ宗教指導者の話を聞く
ドゥルーズはそれぞれの国の支配者に忠誠を誓っている。たとえば、イスラエルのドゥルーズはイスラエル政府に従う。他のアラブ人とは異なりドゥルーズがイスラエルの兵役につくのもこのためだ。
モスレムの場合、父親がモスレムならその子もモスレムになる。ユダヤ教の母親から生まれた子はユダヤ教徒だ。ドゥルーズの場合は両親ともにドゥルーズでなければドゥルーズとして認められない。しかもドゥルーズは他の宗教からの改宗を受け入れない。つまり非ドゥルーズがドゥルーズになる道は閉ざされている。
こうしたいわば閉ざされたドゥルーズのコミュニティを維持していくのは容易ではない。近親結婚といった問題も発生するだろう。
「ドゥルーズはミリシャ(民兵)を抱えているのか」と尋ねたところ、ドゥルーズは平和的なコミュニティでミリシャは持っていないとの返事だった。しかし、レバノン内戦ではドゥルーズ派のジュンブラート率いる民兵がキリスト教マロン派と対立していたはずだ。このツアー時にはジュンブラートという名前がどうしても思い出せず、深く追求することはやめた。
ドゥルーズの村をあとにし、レバノンとの国境付近まで行く。小高い丘からはレバノンの美しい光景が広がる。景色は美しいが、ときおり砲音が聞こえる。
レバノンを望む
次に訪れたのはアラブ人のコミュニティ。アラブ人といってもキリスト教徒(カトリック)とのこと。つまりマイノリティの中のそのまたマイノリティだ(イスラエル内のアラブ人の中でキリスト教徒は0.5%らしい)。
小さな礼拝堂を見学してから、2時過ぎに昼食となる。アラブ料理。サラダ、豆料理、チキンの入ったライスなど。まずはおいしかった。
アラブ料理で昼食
このコミュニティでは羊や鶏などの家畜を飼育し、ハーブやオレンジ、オリーブなどを育てている。外に出て、石のテーブルでお茶とアラブ菓子をいただく。
木陰に腰掛けてガイドの話を聞く。元軍人ということもあり、イスラエル寄りの説明が続く。イランを完全に敵視しているようなので、少し異論らしきものを出した。「ロウハニ大統領に実権はない。すべては最高指導者のカメネイ(Khamenei)の手にある」とガイドは言うが、ことはそう簡単ではないだろう。大統領と最高指導者の関係も絶対的・固定的なものではない。それにイラン社会は大きな変貌のまっただ中にある。「我々のなすべきことはロウハニ政権を奨励(encourage)することだ」と述べておいた。イランを孤立させることはイランの保守層をencourageすることでしかない。無用な軋轢は避けたいので、議論はここまでにしておいた。
木陰でガイドの話を聞く
ドゥルーズの村、ユダヤ人の村、クリスチャンの村を眺望できる丘を通過しながらナザレのホテルへの帰路についた。
ホテルに到着し、夕食をとったあと、19時から1時間近く、Galilee International Management Instituteの所長であるDr. I. Shevelによる"Palestinian-Israeli Cooperation: Galilee Institute's Experience"と題する話があった。
Galilee Instutiteのこれまでの活動を紹介するこの話のなかで印象に残っているのは、今年7月に成立したエチオピアとエリトリアの和解の下準備にGalilee Instituteがかかわっていることだった。エチオピアにもエリトリアにも関心がある私としてはうれしいニュースだ。どの程度のかかわりであったのかはわからないが、ほんの少しでもうれしい。
質問の時間になったので、「私はこの研修プログラムに約2000米国ドルを支払った。宿泊費、食費、移動費すべて込みだから、これでGalilee Instituteが利益をあげているとは思えない。Galilee Instituteはどこからか補助金ないし寄付金を受け取っているのか」と尋ねてみた。
「補助金はひも付きになるので受け取っていない。寄付金もない」との回答だった。
ホテル内に缶詰にされた昨日とは対照的に1日の大半を外で過ごした研修5日目はこうして終わった。
0 件のコメント:
コメントを投稿