11月10日。
朝食抜きで7時半ごろにホテルを出て、ラワルピンディ行きのミニバスを探す。「あれがラワルピンディ行きだ」と教えられたミニバスはメインストリートに停まっていた。私が乗り込んでしばらくし、バスは8時前に出発した。
ラワルピンディ行きのはずだが、車掌は「マンセラ、マンセラ」と呼びかけて客を集めている。ひょっとしてラワルピンディ行きではなく、マンセラという町に行くバスではないだろうか。
10年前の「地球の歩き方」を調べると、案の定、マンセラはベシャムとラワルピンディの中間にある町だ。交通の要地だが、観光地ではないらしい。
ミニバスはカラコルム・ハイウェイを走り、12時半ごろにマンセラのバス・ステーションに着いた。交通の要地らしく、バス・ステーションは数多くのミニバスで埋め尽くされていた。ここで乗客はすべて降りる。やはりマンセラが終点だった。車掌はラワルピンディ行きのバスはあちらと指し示す。マンセラまでのバス代は340ルピー(300円ほど)だった。おそらくベシャムからラワルピンディまで直行するバスはなく、すべてここで乗り継ぐのだろう。
ここで考えた。このままラワルピンディまで行くか、それともここマンセラで1泊するか。今日ラワルピンディに着けば、そこで3泊することになる。ラワルピンディに3泊はちょっと長すぎる。私にとっては観光地でないというのは逆にマンセラの魅力のように思えた。できるだけ「普通」のパキスタンを見たかったからだ。
そこで予定を変更し、ここで1泊することにした。朝食を抜いたこともあり、まずは腹ごしらえ。バス・ステーションにはいくつかの食堂が並んでいる。そのうちのひとつに入る。ハンバーグのような肉とナンで100ルピー(90円ほど)。食堂のスタッフはやけにフレンドリーだった。
腹もふくれたので、次は宿探し。「Hotel」という看板を探すが、なかなか見つからない(実際はバス・ステーションの並びにひとつあったのだが、気付かなかった)。
人に尋ねながら探し続ける。ホテルは存在するが、看板はすべてウルドゥー語だ。最初に連れて行かれたホテルでは「ホットウォーターが出ないから別のところのほうがいい」と、親切にも近くの別のホテルを紹介してくれた。結局この別のホテルに落ち着いた。このホテルも英語の看板はなかったが、Wifiのサイト名がcontinentalとなっていたから、おそらくコンチネンタルというホテルだろう。奇しくも昨日のベシャムのホテルと同じ名前だ。昨日のホテルより規模は小さく、部屋代も1泊1000ルピー(900円ほど)だった。
部屋で少し体を休めてから外に出る。ホテルからそれほど離れていないところに20ばかりのテントの集落がある。遠くから見ても貧しさが際立っている。近くの井戸から汲んだ水を運んでいる3人の子供たちに遭遇した。兄弟だろうか。カメラを構えると、一番下の子が泣き出した。兄らしき子はそれを見て笑っている。私は特に怖い顔の持ち主ではない(と思いたい)。はじめて見る東洋人にカメラを向けられてびっくりしたのだろう。申し訳ないことをした。このときの出会いがこの幼い子のトラウマとならないことを願うのみ。
このテントの小集落はどういう経緯で出現し、誰が住んでいるのだろう。2005年にはパキスタン北部に大地震が発生し、その後多くの人がテント暮らしとなったと聞いているが、地震からすでに13年経つ。アフガニスタン難民の可能性もゼロではないが、マンセラはアフガニスタンからかなり遠い。後日2、3人に尋ねてみたが、はっきりした回答は得られなかった。
メインストリートに出る。声を掛けられ、写真を撮ってくれとリクエストされるのはこれまでと同様。日本語ロゴが残ったままの中古車やデコレーション・トラック(デコトラ)もお馴染みの風景だ。
路上でおいしそうなお菓子を売っていたので、つい購入してしまった。
歩き疲れたので宿へ戻り、買ってきたお菓子をつまみながら休む。暗くなってきたころ、夕食を求めて外へ出る。バス・ステーションの裏手、メインストリート沿いの建物の2階にある食堂に入る。テーブルが10前後ある大きな食堂だ。チキン・フライドライスを注文。ここでもチキン・フライドライスではあまりにも変わりばえがしないが、どうしても既知の料理に頼ってしまう。紅茶と併せて170ルピー(150円ほど)だった。
ホテルへ帰る途中、ナンを焼いて販売している店があったので、動画を撮らせてもらう。ナンをつくる手順はアフガニスタンと同じだ。撮り終わると、Thank youの声が返ってくる。お礼を言うのはこちらの側なのに。
明日はラワルピンディ。旅も終盤に入る。
朝食抜きで7時半ごろにホテルを出て、ラワルピンディ行きのミニバスを探す。「あれがラワルピンディ行きだ」と教えられたミニバスはメインストリートに停まっていた。私が乗り込んでしばらくし、バスは8時前に出発した。
ラワルピンディ行きのはずだが、車掌は「マンセラ、マンセラ」と呼びかけて客を集めている。ひょっとしてラワルピンディ行きではなく、マンセラという町に行くバスではないだろうか。
10年前の「地球の歩き方」を調べると、案の定、マンセラはベシャムとラワルピンディの中間にある町だ。交通の要地だが、観光地ではないらしい。
ミニバスはカラコルム・ハイウェイを走り、12時半ごろにマンセラのバス・ステーションに着いた。交通の要地らしく、バス・ステーションは数多くのミニバスで埋め尽くされていた。ここで乗客はすべて降りる。やはりマンセラが終点だった。車掌はラワルピンディ行きのバスはあちらと指し示す。マンセラまでのバス代は340ルピー(300円ほど)だった。おそらくベシャムからラワルピンディまで直行するバスはなく、すべてここで乗り継ぐのだろう。
マンセラのバス・ステーション
ここで考えた。このままラワルピンディまで行くか、それともここマンセラで1泊するか。今日ラワルピンディに着けば、そこで3泊することになる。ラワルピンディに3泊はちょっと長すぎる。私にとっては観光地でないというのは逆にマンセラの魅力のように思えた。できるだけ「普通」のパキスタンを見たかったからだ。
そこで予定を変更し、ここで1泊することにした。朝食を抜いたこともあり、まずは腹ごしらえ。バス・ステーションにはいくつかの食堂が並んでいる。そのうちのひとつに入る。ハンバーグのような肉とナンで100ルピー(90円ほど)。食堂のスタッフはやけにフレンドリーだった。
肉とナンで昼食
腹もふくれたので、次は宿探し。「Hotel」という看板を探すが、なかなか見つからない(実際はバス・ステーションの並びにひとつあったのだが、気付かなかった)。
人に尋ねながら探し続ける。ホテルは存在するが、看板はすべてウルドゥー語だ。最初に連れて行かれたホテルでは「ホットウォーターが出ないから別のところのほうがいい」と、親切にも近くの別のホテルを紹介してくれた。結局この別のホテルに落ち着いた。このホテルも英語の看板はなかったが、Wifiのサイト名がcontinentalとなっていたから、おそらくコンチネンタルというホテルだろう。奇しくも昨日のベシャムのホテルと同じ名前だ。昨日のホテルより規模は小さく、部屋代も1泊1000ルピー(900円ほど)だった。
部屋で少し体を休めてから外に出る。ホテルからそれほど離れていないところに20ばかりのテントの集落がある。遠くから見ても貧しさが際立っている。近くの井戸から汲んだ水を運んでいる3人の子供たちに遭遇した。兄弟だろうか。カメラを構えると、一番下の子が泣き出した。兄らしき子はそれを見て笑っている。私は特に怖い顔の持ち主ではない(と思いたい)。はじめて見る東洋人にカメラを向けられてびっくりしたのだろう。申し訳ないことをした。このときの出会いがこの幼い子のトラウマとならないことを願うのみ。
水を運ぶ子供たち
私を見て泣き出す子供
このテントの小集落はどういう経緯で出現し、誰が住んでいるのだろう。2005年にはパキスタン北部に大地震が発生し、その後多くの人がテント暮らしとなったと聞いているが、地震からすでに13年経つ。アフガニスタン難民の可能性もゼロではないが、マンセラはアフガニスタンからかなり遠い。後日2、3人に尋ねてみたが、はっきりした回答は得られなかった。
メインストリートに出る。声を掛けられ、写真を撮ってくれとリクエストされるのはこれまでと同様。日本語ロゴが残ったままの中古車やデコレーション・トラック(デコトラ)もお馴染みの風景だ。
マンセラを歩く
路上でおいしそうなお菓子を売っていたので、つい購入してしまった。
歩き疲れたので宿へ戻り、買ってきたお菓子をつまみながら休む。暗くなってきたころ、夕食を求めて外へ出る。バス・ステーションの裏手、メインストリート沿いの建物の2階にある食堂に入る。テーブルが10前後ある大きな食堂だ。チキン・フライドライスを注文。ここでもチキン・フライドライスではあまりにも変わりばえがしないが、どうしても既知の料理に頼ってしまう。紅茶と併せて170ルピー(150円ほど)だった。
ホテルへ帰る途中、ナンを焼いて販売している店があったので、動画を撮らせてもらう。ナンをつくる手順はアフガニスタンと同じだ。撮り終わると、Thank youの声が返ってくる。お礼を言うのはこちらの側なのに。
マンセラのパン(ナン)屋
明日はラワルピンディ。旅も終盤に入る。
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