11月11日。
昨日買ったお菓子の残りを朝食代わりとし、8時過ぎにホテルをチェックアウトする。バス・ステーションはホテルから歩いて5分ほどだ。
ラワルピンディ行きのミニバスはすぐに見つかった。ミニバスの代金は乗車してから車掌(ないし運転手)に手渡すのが普通だが、ここではデスクを構えた男からあらかじめチケットを購入する仕組みになっていた。ラワルピンディまで280ルピー(250円ほど)。
ベシャムからマンセラまでとマンセラからラワルピンディまでは、後者のほうが距離にすれば少し長いが、道路の状態はすっとよかった。
ミニバスの最後部に座った私の隣は2人の若者だった。パキスタン軍の兵士とその従兄弟とのこと。私の話相手になったのはもっぱら兵士のほうであり、彼の従兄弟はあまり英語がしゃべれないようだった。
パキスタン軍についてはタリバンとの関係をはじめ知りたいことは多々あるのだが、その種の微妙な話題は避け、たわいない話に終始した。兵士は今から軍に戻るところだった。「そうでなかったらラワルピンディを案内したいのだが」と何回も言っていた。これまで経験してきたパキスタン人のホスピタリティからして、単なるリップサービスとは言い切れない。
8時半ごろに出発したミニバスは12時半ごろにラワルピンディのバス・ステーションに着いた。
市内まで行くためのタクシーは兵士とその従兄弟が捕まえてくれた。300ルピー(260円ほど)。マンセラからラワルピンディまでのバス代より高いが、あとで調べた限りそう法外な値段ではない。
とりあえず向かったのはParadise Innというホテル。タクシーはかなりの年代物でボロボロだったが、運転手の中年男性ははわかりやすい英語を話した。私が日本人であることを知ると、「日本人はhonestでhard workingだ。パキスタン人はhonestでもなくhard workingでもない」とかなり自虐的。
冒涜(blasphemy)罪で死刑判決を受けたものの、最高裁で一転無罪となったクリスチャンの女性の話題をふってみた。この無罪判決に対してイスラム強硬派による抗議行動がパキスタン各地で勃発していた。
運転手はこうした抗議を一蹴した。抗議行動活動を行っているのはごく一部であり、当のクリスチャン女性(アーシア・ビビさん)はちゃんとした人物であるように見えると言う。まっとうな意見だ。イスラム勢力の過剰な影響力が目立つパキスタンでこうした(私にとっては)常識的な見解を聞けたのはうれしい。
ラワルピンディは安宿を探すのが難しいと言われている。安宿が少ないわけではないが、その多くが外国人を受け入れないのだ。外国人を宿泊させるには特別な許可が必要なのだろう。中国の宿事情と少し似ている。
私が目指すPradise Innは安宿ではない。「地球の歩き方」にも中級ホテルとして紹介されている。しかしなにぶんにも10年前の情報だ。ネットで探ると、2015年までの宿泊体験記はあるが、それ以降はない。Booking.comなどにも登録されていない。
案の定、なかなか見つからない。運転手は通行人などに尋ねてくれる。教えられた場所に行くが、それでも見つからない。結局、Paradise Innはしばらく前に解体(demolish)されたことが判明した。
ある程度予想していたことではあるが、困った。同じく昔の「地球の歩き方」に載っているFlashman's Hotelに向かうことにした。Paradise Innより少し高いホテルだ。
Flashman's Hotelはすぐに見つかった。しかし最安値の部屋で6000ルピー(5400円ほそ)とのこと。高すぎる。いずれにしてもこのホテルへの宿泊は無理だった。受付の女性によれば、ホテルの正面にGHQ(General Headquarters)があるので外国人を泊めるわけにはいかないとのことだった。GHQとはパキスタン軍の本部のことだ。
目当てのホテルもなくなったので、宿探しを運転手に任せる。しばらくしてあるホテルに到着し、運転手ともども2階の受付に上がっていく。
3500ルピーの部屋と2500ルピーの部屋があった。2500ルピー(2200円ほど)の部屋は受付のすぐうしろで狭い。運転手と受付の男が何か話している。ウルドゥー語(またはパンジャブ語)なので私には内容はわからない。だが、その結果3500ルピーの部屋も2500ルピーまでディスカウントされた。ありがたい。この部屋に泊まることにした。
Paradise Innまで300ルピーということで乗ったタクシーだが、すでにParadise Innまで走る倍近くの時間を費やしている。チップの形での上乗せが必要だろう。100ルピー札がなかったこともあり、500ルピーを渡した。運転手は喜んでいた。「やはり日本人はhonestだ」と言いながら。私も満足だった。またひとつ、パキスタンのいい思い出ができた。
このホテルの名前はKhursneed Palace。もう2時を過ぎている。ホテルの近くに中華料理店があるとのことで、ホテルのスタッフが案内してくれた。中華料理店はホテルから歩いて2、3分のところにあった。メニューを見せてもらったが、いずれも1000円近くするようだ。また別の機会にしよう。
すぐ近くにあるカレー店で昼食をとる。キーマ・カレーとナンで160ルピー(140円くらい)。
Hotel Khursneed Palaceはメインストリートの南端にある。ラワルピンディの街を知るために、メインストリートを北上してみる。ペシャワルやミンゴーラ、ベシャムとは異なり、ブルカ姿の女性はまったく見かけない。目に付いたのは、低く垂れ下がった電線、そして路上の古本屋と駕籠に入った数多くの小鳥。小鳥は食用か、それとも...。
歩き疲れてホテルに戻る。体を休めていると、ホテルのスタッフがドアをノックする。トイレの便座が外れているため、配管屋を連れてやって来たのだ。こちらから頼んだわけではない。
配管屋が便座を直している10分間ほど、ホテルのスタッフと話す。4、50歳代とおぼしき労働者風のこの男性、カシミール出身だという。カシミール人と話すのははじめてだ。
男性はサウジアラビアのホテルで6年間働いていたとのことだった。サウジアラビアでもっと長く働きたかったのだが、ビザが下りなかったらしい。
暗くなってきたので、夕食を求めて外へ出る。夜のラワルピンディは人通りも多く、大きな店がまばゆいばかりに輝いている。予想外の光景だ。
路上レストランでチキンの串焼きとピンク・ドリンク(紅茶の一種だろうか、正体不明の飲み物)を注文し、夕食とした。チキンは柔らかくておいしかったが、辛すぎた。代金は240ルピー(210円ほど)と高め。
これだけでは足りないので、路上でポテトフライを購入し(50ルピー)、ホテルに持ち帰った。
明日は1日ラワルピンディで過ごす。
昨日買ったお菓子の残りを朝食代わりとし、8時過ぎにホテルをチェックアウトする。バス・ステーションはホテルから歩いて5分ほどだ。
ラワルピンディ行きのミニバスはすぐに見つかった。ミニバスの代金は乗車してから車掌(ないし運転手)に手渡すのが普通だが、ここではデスクを構えた男からあらかじめチケットを購入する仕組みになっていた。ラワルピンディまで280ルピー(250円ほど)。
ベシャムからマンセラまでとマンセラからラワルピンディまでは、後者のほうが距離にすれば少し長いが、道路の状態はすっとよかった。
ミニバスの最後部に座った私の隣は2人の若者だった。パキスタン軍の兵士とその従兄弟とのこと。私の話相手になったのはもっぱら兵士のほうであり、彼の従兄弟はあまり英語がしゃべれないようだった。
パキスタン軍についてはタリバンとの関係をはじめ知りたいことは多々あるのだが、その種の微妙な話題は避け、たわいない話に終始した。兵士は今から軍に戻るところだった。「そうでなかったらラワルピンディを案内したいのだが」と何回も言っていた。これまで経験してきたパキスタン人のホスピタリティからして、単なるリップサービスとは言い切れない。
ミニバスの中で一緒だった兵士とその従兄弟
8時半ごろに出発したミニバスは12時半ごろにラワルピンディのバス・ステーションに着いた。
市内まで行くためのタクシーは兵士とその従兄弟が捕まえてくれた。300ルピー(260円ほど)。マンセラからラワルピンディまでのバス代より高いが、あとで調べた限りそう法外な値段ではない。
とりあえず向かったのはParadise Innというホテル。タクシーはかなりの年代物でボロボロだったが、運転手の中年男性ははわかりやすい英語を話した。私が日本人であることを知ると、「日本人はhonestでhard workingだ。パキスタン人はhonestでもなくhard workingでもない」とかなり自虐的。
冒涜(blasphemy)罪で死刑判決を受けたものの、最高裁で一転無罪となったクリスチャンの女性の話題をふってみた。この無罪判決に対してイスラム強硬派による抗議行動がパキスタン各地で勃発していた。
運転手はこうした抗議を一蹴した。抗議行動活動を行っているのはごく一部であり、当のクリスチャン女性(アーシア・ビビさん)はちゃんとした人物であるように見えると言う。まっとうな意見だ。イスラム勢力の過剰な影響力が目立つパキスタンでこうした(私にとっては)常識的な見解を聞けたのはうれしい。
ラワルピンディは安宿を探すのが難しいと言われている。安宿が少ないわけではないが、その多くが外国人を受け入れないのだ。外国人を宿泊させるには特別な許可が必要なのだろう。中国の宿事情と少し似ている。
私が目指すPradise Innは安宿ではない。「地球の歩き方」にも中級ホテルとして紹介されている。しかしなにぶんにも10年前の情報だ。ネットで探ると、2015年までの宿泊体験記はあるが、それ以降はない。Booking.comなどにも登録されていない。
案の定、なかなか見つからない。運転手は通行人などに尋ねてくれる。教えられた場所に行くが、それでも見つからない。結局、Paradise Innはしばらく前に解体(demolish)されたことが判明した。
ある程度予想していたことではあるが、困った。同じく昔の「地球の歩き方」に載っているFlashman's Hotelに向かうことにした。Paradise Innより少し高いホテルだ。
Flashman's Hotelはすぐに見つかった。しかし最安値の部屋で6000ルピー(5400円ほそ)とのこと。高すぎる。いずれにしてもこのホテルへの宿泊は無理だった。受付の女性によれば、ホテルの正面にGHQ(General Headquarters)があるので外国人を泊めるわけにはいかないとのことだった。GHQとはパキスタン軍の本部のことだ。
目当てのホテルもなくなったので、宿探しを運転手に任せる。しばらくしてあるホテルに到着し、運転手ともども2階の受付に上がっていく。
3500ルピーの部屋と2500ルピーの部屋があった。2500ルピー(2200円ほど)の部屋は受付のすぐうしろで狭い。運転手と受付の男が何か話している。ウルドゥー語(またはパンジャブ語)なので私には内容はわからない。だが、その結果3500ルピーの部屋も2500ルピーまでディスカウントされた。ありがたい。この部屋に泊まることにした。
Paradise Innまで300ルピーということで乗ったタクシーだが、すでにParadise Innまで走る倍近くの時間を費やしている。チップの形での上乗せが必要だろう。100ルピー札がなかったこともあり、500ルピーを渡した。運転手は喜んでいた。「やはり日本人はhonestだ」と言いながら。私も満足だった。またひとつ、パキスタンのいい思い出ができた。
このホテルの名前はKhursneed Palace。もう2時を過ぎている。ホテルの近くに中華料理店があるとのことで、ホテルのスタッフが案内してくれた。中華料理店はホテルから歩いて2、3分のところにあった。メニューを見せてもらったが、いずれも1000円近くするようだ。また別の機会にしよう。
すぐ近くにあるカレー店で昼食をとる。キーマ・カレーとナンで160ルピー(140円くらい)。
遅めの昼食
Hotel Khursneed Palaceはメインストリートの南端にある。ラワルピンディの街を知るために、メインストリートを北上してみる。ペシャワルやミンゴーラ、ベシャムとは異なり、ブルカ姿の女性はまったく見かけない。目に付いたのは、低く垂れ下がった電線、そして路上の古本屋と駕籠に入った数多くの小鳥。小鳥は食用か、それとも...。
低い電線と変圧器
路上の古本屋
駕籠に入った小鳥(スズメ?)
歩き疲れてホテルに戻る。体を休めていると、ホテルのスタッフがドアをノックする。トイレの便座が外れているため、配管屋を連れてやって来たのだ。こちらから頼んだわけではない。
配管屋が便座を直している10分間ほど、ホテルのスタッフと話す。4、50歳代とおぼしき労働者風のこの男性、カシミール出身だという。カシミール人と話すのははじめてだ。
男性はサウジアラビアのホテルで6年間働いていたとのことだった。サウジアラビアでもっと長く働きたかったのだが、ビザが下りなかったらしい。
暗くなってきたので、夕食を求めて外へ出る。夜のラワルピンディは人通りも多く、大きな店がまばゆいばかりに輝いている。予想外の光景だ。
夜のメインストリート(1)
夜のメインストリート(2)
路上レストランでチキンの串焼きとピンク・ドリンク(紅茶の一種だろうか、正体不明の飲み物)を注文し、夕食とした。チキンは柔らかくておいしかったが、辛すぎた。代金は240ルピー(210円ほど)と高め。
これだけでは足りないので、路上でポテトフライを購入し(50ルピー)、ホテルに持ち帰った。
明日は1日ラワルピンディで過ごす。
おはようございます
返信削除私は韓国のJTBCという放送局に所属した作家です
今回,北朝鮮の鉄道に対する放送を準備しています。
ユーチューブに載せてくれた映像を見ると,北朝鮮をしばしば訪問していたようですが,助けを求めてもいいですか。
ありがとうございます
yeahjji@naver.com
メールアドレスです。
コメントありがとうございます。
返信削除できる範囲内でよろこんで協力します。