5月5日
朝食後、ホテル近くのショッピング・モールへ行く。ここで手持ちのインド・ルピーを使い切りたいところだ。広いモールの中を見て回る。食品や雑貨、衣服などを売っている。シャツを購入して1000円余りを使う。まだ5000円分くらいのルピーが残っているが、買うべきものが見当たらない。デリー空港で3時間ほどの待ち時間があるから、そのときに免税品でも買おう。
一行、ショッピング・モールへ入る
モールの中
自然の美に心がふるえるには雑すぎる。教会や寺院を鑑賞するような知識も教養もない。したがって世界遺産などには無縁だ。ただひたすら、めずらしい場所、人があまり行かないような場所、off the beaten trackをめざす
5月5日
朝食後、ホテル近くのショッピング・モールへ行く。ここで手持ちのインド・ルピーを使い切りたいところだ。広いモールの中を見て回る。食品や雑貨、衣服などを売っている。シャツを購入して1000円余りを使う。まだ5000円分くらいのルピーが残っているが、買うべきものが見当たらない。デリー空港で3時間ほどの待ち時間があるから、そのときに免税品でも買おう。
一行、ショッピング・モールへ入る
モールの中
5月4日
今日はブータンを離れる日。インドの国境の町ジャイガオンでの入国窓口が午後1時半に閉まることから、ホテルでの朝食を早々に終え、7時に国境へ向けて出発した。ブータン入国時とは逆のコースをたどり、入国時と同じカフェで休憩、11時半ごろにブータンの国境の町プンツォリンに到着した。レストランで昼食を済ませ、近くのスーパーへ買い物へ。これは余っているブータン・ルピーを使いきるためだ。
デリーの空港で1万円をインド・ルピーに両替していた。インド・ルピーはそのままブータンでも使用できる(1インド・ルピー=1ブータン・ルピー)。ブータンでは若干のインド・ルピーを使った(食事時のビールや野菜市場での山羊バターなど)。このため、お釣りとして受け取ったブータン・ルピーが少し手元にある。ブータン・ルピーはインドでは使えない。つまりブータン・ルピーをここで使い切ってしまう必要がある。事情は他のツアー・メンバーの場合も同じ。
私の場合はブータン・ルピーをほとんど使い切っており、スーパーでまとまったものを買うことはなかった。
レストランの窓から見たプンツォリン
プンツォリンのスーパー
5月3日
8時ごろにホテルをチェックアウトし、パロに向かう。2時間ほどでパロに到着。パロには国際空港があり、ときおり上空に飛行機が見える。
パロに入る
パロの近くにはタクツァン僧院(別称「虎の巣」)がある。この僧院は標高3000mの岩壁に垂直に建てられており、ブータン観光の目玉、アイコンとなっている。5~6時間のハイキングでたどり着けるが、途中の第一展望台まで登るだけという選択肢もある。最後まで登るのはあきらめ、展望台からの眺めで満足するつもりだ。
我が日本人グループはラジオ体操で体をほぐしたあと、それぞれ杖を借りて、まずは展望台を目指す。舗装していない坂道を歩くのはつらい。日頃の鍛錬のなさを露呈して、私は自ずと最後尾になってしまった。疲労困憊した私のめんどうを見るかのように、添乗員が私のあとに続く。私より3歳年上の女性がしっかりした足取りではるか前を行く。さすが登山経験豊富な女性だけある。
第一展望台までの道
5月2日
朝食後、8時ごろにホテルを出る。目指すのはティンプーから70kmほど離れた「冬の首都」プナカ。プナカはティンプーよりも標高が1000mほど低く比較的温暖なため、かつて冬の間だけ首都となっていた。
ティンプーの近郊(バスの車窓から)
プナカに至る途中に、ブータン最古のシムトカ・ゾンを遠くに望み、標高3090mのドチュ・ラ(ドチュ峠)を越える。天気がよければドチュ・ラからヒマラヤを望めるとのことだったが、私の目では確かめることができなかった。たまたまスイス人観光客とフランス語で言葉を交わすことになった。彼は息子と一緒にバリでホテルを経営しており、インドネシア人のグループに交じってブータンを訪れたとのことだった。フランス語をほめられ、ちょっといい気分。
シムトカ・ゾンを望む
ドチュ・ラ
プナカ近郊の丘陵上に建つチミ・ラカンというお寺まで、ゆるやかな坂を上る。30分くらいはかかっただろうか。なんとか到達できたが、かなり疲れた。
チミ・ラカンまでの道
5月1日
朝食に先立ち、ホテルの周りを散策する。ブータン特有の建物が目に付く。早朝だから人通りは多くない。ところどころで作業している人たちの肌は黒く、顔つきもブータン人と異なる。ネパール人かインド人だろう。
ブータン特有の建物(その1)
ブータン特有の建物(その2)
4月30日
4時半に添乗員からのモーニングコールがあり、5時にホテルを出て、デリー空港に向かった。朝食はホテルでとる時間的余裕がなかったので、ホテルが用意した弁当をバスの中で食べる形になった。
ホテルが用意した朝食弁当
デリー空港を8時に離陸したAir India便は2時間ほどの飛行でバグドグラに到着した。短い飛行にもかかわらす、比較的充実した機内食が出された。「これだったらあの朝食弁当は必要なかった」というのは私だけでなく、ツアー同行者の多くの感想。
しっかりした機内食
バグドグラ到着
バグドグラから2台の専用バスに分乗して国境の町ジャイガオンに向かう。4、5時間の道のり。途中レストランに立ち寄り、ビュッフェ式の昼食をとる。ここで全員の簡単な自己紹介があった。
14年ぶりのインド。はじめて見る西ベンガル州...ではない。14年前に西ベンガル州の首都コルカタを訪れている。バグドグラの街のインド特有の混沌を通り抜けると、ダージリンの茶畑が広がる。コルカタでは見なかった風景だ。
国境での出入国の手続きを終え、夕方6時ごろにブータンに足を踏み入れる。
国境を挟んで、インド側
ブータン側
4月29日
4月29日から5月6日まで、ゴールデンウィークの間、西遊旅行社の「幸せの王国ブータン」ツアーに参加した。西遊旅行社のツアーに参加するのは、2016年の貴州省ツアーに次いで2回目、9年ぶりだ。
個人旅行ではなく、グループツアーを選んだのは、ブータン特有の事情からだ。北朝鮮やトルクメニスタンと同様、ブータン旅行には現地ガイドが必須となっていた。昨年以来、現地ガイドは必須でなくなったとの情報もあったが、どうもはっきりしない。個人でガイドを付けるよりグループでガイドを雇ったほうが当然安くなる。そこで、多少なじみのある西遊旅行のツアーを選んだ。西遊旅行ならブータン旅行の取り扱いにも慣れているはずだ。
今回のツアーはまずインドのデリーに飛び、1泊する。翌日デリーから国内便で西ベンガル州のバグドブラまで行き、そこから陸路でブータンに向かう。ブータンにはパロ国際空港があるから、バンコク経由で空路で直接に訪れるほが便利だが、陸路に比べて料金が15万円もアップするとのこと。
私としては西ベンガルを垣間見ることのできる陸路のほうがありがたい。
8時50分に羽田空港に集合(このため東京の品川に前泊した)、11時50分羽田発のAir Indiaの便でデリーに向かった。デリーには夜の7時前に到着、交通渋滞もあり、ホテル(Deventure Sarovar Portico)でビュッフェ式の夕食にありついたときには8時を過ぎていた。
Deventure Sarovar Porticoホテル
ホテルの室内
デリーで宿泊したホテルは私にとっては高級ホテル。インドでこうしたホテルを選ぶのは、個人旅行では考えられない。
明日は朝8時発の国内便に乗るため、5時にホテルを出る。朝4時半にモーニングコールがあるから安心だ。
まとめ
96日間に渡る南半球一周のクルーズは3月16日の神戸港への帰港をもって終了した。ナミビアでの転倒と怪我、眼鏡の損傷、あるいは前歯一本の抜け落ちなど、いくつかのアクシデントにも見舞われたが、いずれも旅の続行を妨げるほどのものではなく、無事に神戸まで帰ってくることができた。
さて振り返ってみて、私にとってはじめてのクルーズ旅はどのような体験だったのだろうか。プラスのポイントとマイナスのポイントをいくつかランダムに挙げてみよう。
プラスのポイント