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2016年4月5日火曜日

ミャンマー2016 九日目 その2 (ヤンゴン)

2月16日(続き)。

午後2時過ぎ、宿に帰り、ベッドに寝転びながら、ガイドブックやネットを頼りにこれからどこへ行くか検討する。部屋の中でもネットにつながるのがありがたい。Wifiの信号はそれほど強くないが、メールのチェックやWebの検索には十分だ。

環状線でヤンゴンの郊外を一周するのがおもしろそうだ。ヤンゴン中央駅から出発し、郊外をぐるっと回って中央駅に戻ってくる。一周にかかる時間は約3時間。

さっそく歩いて10分ほどのヤンゴン中央駅に向かう。駅員に尋ねると、環状線の次の出発は4時40分発とのこと。今はちょうど4時。まだだいぶ間があるが、これが幸いした。デジカメのSDカードを宿に置いてきたことに気がついたからだ。宿に引き返してまた駅に戻ってくると、4時30分になっていた。環状線(英語ではloop lineではなくcircular lineという呼称らしい)の切符売り場は7番ホームにあった。一周の切符はたったの200チャット(20円)。列車が出発するのは7番ホームではなく4番ホームだ。私が乗り込んだときにはまだ座席がかなり空いていたが、徐々に人が増えていき、出発するころには立っている乗客も少なくなかった。

この環状線では時計回りの列車と反時計回りの列車がほぼ1時間ごとに交互に出発する。私の乗った列車は反時計回りだった。4時40分発だから、夕方のラッシュアワーにはひっかかっていないはずだが、相当の混みようだ。列車の中で展開されるヤンゴンの普通の人たちの普通の生活の様子が興味深い。私の前にはスカーフをかぶった若い女性が幼児を抱えて座っている。イスラム教徒だろう。ビルマ人でないことは確かだが、ベンガル人といった感じでもない。ミャンマーのまか不思議な民族的多様性。

環状線列車の中

環状線には38の駅がある。3つ目の駅、4つ目の駅を過ぎるあたりから、乗車する客よりも降車する乗客のほうが多くなる。立っている人はいなくなり、座席にも空席が目立つ。途中、プラットフォーム上でちょっとしたマーケットが開かれている駅もあった。

ヤンゴン環状線

7時近くになるともう外は暗い。乗客も4人掛けの席を一人で占領できるほどに減っていた。列車は7時30分過ぎにヤンゴン中央駅に着いた。時刻表どおりほぼ3時間かかったわけだ。列車を降りるとき、これが日本の中古車両であることに気がついた。「ワンマン列車の乗降案内」というプレートがそのまま貼ってあったのだ。列車の先頭には「ワンマン」という表示もある。

環状線列車の中の日本語表示

「ワンマン」という表示がある環状線の列車
駅を出て、暗くなった中を宿に向かって歩く。昨日と同様、宿の近くのRuby Martに立ち寄り、夜のおやつ用に昨日と同じお菓子を購入する。お菓子を入れたプラスチック袋を手に近くの中華食堂に入り、焼きそばと缶のミャンマー・ビールを注文した。すると、私の向かいの席に30代くらいのミャンマー人の男性が座り、英語で話しかけてきた。

男性は韓国で11年、中国で4年働いていたと言う。そこで「じゃあ韓国語はしゃべれますか」と韓国語で尋ねてみた。しゃべれるとの答え。11年も韓国にいたのだから当然だろう。それ以降、英語を韓国語に切り替えて会話を進めた。といっても、万年入門者レベルの私の韓国語だから、ところどころで英語の助けを借りざるを得ない。男性の母親が近くで路上カフェを経営しているのでそこでお茶を飲もうということになった。焼きそばと缶ビールの代金は男性が払ってくれた。

男性の母親の路上カフェはヤンゴンのランドマークともなっている高層のサクラタワーのすぐ近く、大通りに面した一等地にあった。ここでお茶を飲みながら、韓国語と英語のちゃんぽんで男性と小一時間しゃべる。

男性はミャンマーの首都ネピドーで韓国語の通訳として働いている。息子が生まれたばかりで、スマートフォンの写真を見せてくれる。母親のやっているこの路上カフェは違法で、警察がくるとそのつど店をたたむ必要があるとのことだった。我々がこうして知り合ったことも인연(イニョン)だと言う。私はこの単語を知らなかったが、発音からしてたぶん「因縁」つまり「縁」だと推測した。あとで調べると、確かに인연は縁という意味だった。

ミャンマー人が日本で働くにはかなりハードルが高く、男性まだ日本に来たことがない。

男性に「今幸せか」と聞いてみた。即座に「幸せではない」との答え。なぜか。お金が足りないからだと言う。今の給料は月520ドルとのこと。日本円にすれば6万円近くか。このうち100ドルを母親に、100ドルを父親に、さらに100ドルを妻の両親に与えなければならない。残りの220ドルでは独身ならともかく、妻子持ちの身では苦しい。ここらへんの事情がよくわからなかった。母親の路上カフェは立地もよく結構はやっていそうなのに、どうして支援する必要があるのか。ミャンマーの平均月収はどれくらいかよくわからないが、あるネット情報によると5000~8000円、外国語スキルがあれば2~4万円という。男性は最近日本車を購入したばかりだし、ミャンマーの中ではかなり恵まれているほうではなかろうか。

ミャンマー人男性とその母親

お茶代は払う必要がなかった。歩いて5分ほどの私のホテルまで男性が送ってくれる。ミッチーナーのトゥクトゥク運転手と同様、男性も私の手を握り、腕を組む。サクラタワーの前を通るとき、私が韓国語で「このビルには日本の会社がたくさん入っていると」と言うと、男性が「韓国の会社も多い」と韓国語で答える。ヤンゴンの真ん中で日本人とミャンマー人が腕を組み、韓国語で話しながら歩いている。なんともシュールな光景だ。

男性とはホテルの前でハグをして別れた。名前すら聞いていないが、今度またヤンゴンに来る機会でもあれば、母親の路上カフェに行って消息を知ることができるだろう。

ホテルの部屋に入ったのは夜の10時近く。スーパーで買ったお菓子を食べながら、ミャンマー最後の夜を過ごした。明日はいよいよ帰国だ。

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