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2020年3月16日月曜日

フィリピン戦跡巡り 十一、二日目(マニラ)

2月24日。

Victoria LinerのFirst Classバスは11時10分にバギオのターミナルを出発し、4時過ぎにマニラに着いた(マニラからバギオへの代金は800ペソだったが、バギオからマニラまではなぜか680ペソだった)。

バギオを出る

帰国日の26日までの2泊はOYO 501 Yuj Inn Pasayを予約していた。Victoria Linerのターミナルから歩いて10分もかからないこと、空港までも相対的に近いこと、そしてなによりシャワー・トイレ付きの個室が1080ペソ(2200円ほど)と安いことが決め手になった。

先日宿泊したSogo Hotelとも近い。部屋は狭いが、Sogo Hotelより安く、Sogo Hotelより快適だった。

OYO 501 Yuj Inn Pasayの狭い部屋

チェックイン後にホテルのまわりをぶらぶらして1日を終えた。夕食はちょっと大きめのトロトロ(ローカル食堂)で済ませた。

2月25日。

フィリピン最後の日。今日1日は特に目的を決めず、マニラをゆっくりと見て回るつもりだ。

Edsa駅に向かう途中、大通りにつながる裏道に足を踏み入れてみた。雑然とした細い路地が長く続いている。細い路地の一方の側には小さな「店」がいくつも出ており、衣服を並べたり、食べ物を売ったりしている。もう一方の側はトライシクル(3輪タクシー)の列だ。客を待っているトライシクルではなく、ただ置いてある。おそらくここのここの住民の多くがトライシクルの運転手なのだろう。

路地に入る

スラムではないが、豊かではない。「豊かではない」などという遠回しな言い方はやめよう。かなり貧しいエリアだ。マニラの貧しい人たちの日常生活に興味を惹かれ、動画に収めながら歩く。

生活がそのまま表に出ているこんな風景を撮影してひんしゅくを買うのでないか。罵倒されるのではないか、石を投げられるのではないかと、遠慮しながら撮影を開始したが、反応は逆だった。「ハロー」と声をかけてくる子供たち。ピースサインをしたり、手を振ってくれるおばさんたち。

パサイの裏通り

路上で遊んでいる子供たちの中を通ったとき、背後から「コロナウィルス」という言葉が聞こえた。明らかに私に投げかけられたものだ。ちょっと説教してやろうと、振りかえったが誰が発したのか見当がつかなかった。まあそれほど悪意があったとも思われない。

ギターと歌声が聞こえる。上半身裸の中年の男性3、4人、ビールを飲みながらギターをかき鳴らし、放吟しているのだ。。私にもビールを勧めてくる。プラスチックのコップに一杯、ぐっと飲み干した。

うちの1人が日本語をしゃべる。日本で働いていたとこのこと。日本語に切り替え、どこで働いていたのか尋ねる。名古屋や群馬など、いろいろ回っていたらしい。「どんな仕事をしていたのか」との問いには「ゲンバ」との答え。「現場」のことだ。この言葉が妙なリアリティを持っていた。それこそ日本の現場でしか学べない語彙だ。

今日は平日の火曜日。元気で陽気なのはいいが、朝の10時半から路上で宴会はどうなのか。

裏通りの子供

路上の宴会

Edsa駅近くの裏道を歩いていたつもりだったが、いつのまにかEdsa駅の隣のBaclaran駅に出ていた。

Baclaran駅界隈

Baclaran駅から高架鉄道に乗り、Pedro Gil駅で下車。近くのPaco Park & Cemetry(パコ公園・墓地)に立ち寄ってから、北に向かって半時間ほど歩き、SMショッピングモールに着く。

時刻は1時半を過ぎている。フードコートのTokyoというレストランに入り、Tonkatsu Bentoを注文する。スタンダードとアップグレードの2種類があり、アップグレードを選択。どこがアップグレードなのかよくわからなかったが、おそらくみそ汁とデザートが付いていたことがそれだろう。値段は250ペソ(520円ほど)。味は値段相応。弁当ボックスに入ってはいたが、あくまでフィリピン風の豚カツだった。

豚カツ弁当

昼食後、エルミタに向かい、マビニ通りを歩く。この界隈はマニラ随一の歓楽街のはずだが、昼間はその面影はなく、ひっそりしている。日本語の看板もちらほら。カラオケバーだろうか、「おんな」という大きな看板があるのには笑ってしまった。

「おんな」の看板

Robinsonsショッピングモールに立ち寄ってからPerdo Gil駅に向かい、宿に戻る。夕食はセブンイレブンで調達。明日のフライトは8時35分。早朝にチェックアウトしなければならない。

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