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2020年3月17日火曜日

フィリピン戦跡巡り 十三日目(帰国、若干の感想)

2月26日。

関空行きのエアアジア便は8時35分にマニラ空港のターミナル3を発つ。5時半にホテルをチェックアウトして、Victoria Linerのバス・ターミナルに向かう。6時にこのターミナルから空港行きのシャトル・バスが出る。

時間には余裕があるはずだったが、6時過ぎのマニラはすでに渋滞気味で、しかもターミナル3は最後の停留所だったため、少し焦った。ターミナル3でバスから降りたときには、7時を過ぎていた。

しかしエアアジアのチェックイン・カウンターにはほとんど誰も並んでおらず、ほっとする。行きの関空のカウンターが長い行列だったのといい対照だ。これもコロナウィルスの影響だろうか。

ペソがいくらか残っていたので、土産物を購入し、ホットドッグで朝食をとる。

機内は半分も埋まっていなかった(行きはほぼ満席だった)。関空には13時過ぎに到着。この時間帯にもかかわらず、空港の中は閑散としていた。

フィリピン戦跡巡りの旅はこのようにしてコロナ騒ぎがパニックの様相を呈する直前に終わった。

この旅で感じたこと、思ったことをいくつか挙げておこう。

戦跡巡りとは銘打ってみたものの、訪れたのはレイテ島、マニラ、バギオだけであり、しかもそれぞれ2、3箇所を見たにとどまる。文字通り「見た」だけであり、「足を踏み入れた」だけだ。もちろんこれは私の準備不足の結果であり、宿題をせずに出かけたツケと言えよう。

マッカーサー・レイテ上陸の像(タクロバン)

サンチャゴ要塞の門(マニラ)

といってもフィリピンの戦跡をくまなく巡るのはそう簡単ではない。沖縄に比べれば、空間的にはるかに広く、時間的にも倍以上に長く戦闘が展開された。しかもルソン島の戦いは山の中で戦われた。今でもアクセスが容易でない。タクシーをチャーターするしかないケースも多々あるだろう。事前勉強に加え、時間とお金をたっぷり用意しなければならない。

不十分とはいえ、今回の戦跡巡りが無意味だったわけではない。これまでフィリピン戦についてはほとんど何も知らなかった。100万人のフィリピン人が犠牲になり、日本軍の死者も中国大陸のそれを上回る50万近くだったという基本的な知識すらなかった。今回の旅は少しは調べてみようというきっかけをつくってくれた。おかげでフィリピン戦のおおよその流れを知ることができた。

戦跡から離れ、フィリピンについて感じたことをランダムに挙げてみる。

まずショッピングモールの多さ。大型のショッピングモールがマニラのいたるところにあり、バギオにもあった。タクロバンでもかなり大きなスーパーマーケットを見かけた。それぞれ立派なフードコートを備え、どれも賑わっていた。

フィリピン人の平均月収は3万円程度とどこかで読んだ。フードコードで食べれば1食200ペソ(420円くらい)はする。ショッピングモールを訪れるフィリピン人は一部の富裕層というわけではない。バギオで会った日本人女性は「フィリピンでも中間層が増えた」と言っていた。他方、貧富の差か拡大する一方という報道もある。フィリピンにはバナナやマンゴーなどの農産物を除き輸出産業が見当たらない。中東などで働くフィリピン人の送金があれだけの規模、あれだけの数のショッピングモールを支えているとは思えない。このへんの事情は謎のまま残った。

フィリピンの人たちが親切でフレンドリーであることは旅のブログや動画で多くの人が報告している。今回の旅ではこの点もみずからの体験を通じて確かめることができた。フィリピンはぜひまた訪問したい国のひとつになった。

その一方で、フィリピンといえば「危ない」というイメージもつきまとっている。スリや置き引き、睡眠薬強盗、両替のごまかし等々。銃社会という一面もある。

10日程度の旅行で軽々の判断はできないが、こと今回の旅行に関する限り、治安上の不安を感じたことはない。夜中にひとりで人気のない場所に出かけたりはしていないという条件付きだが。

一度だけ欺されそうになったことがある。マニラに滞在して2日目か3日目のこと、あるショッピングモール(SM Mall of Asiaだったかもしれない)をぶらぶらしていたとき、40歳くらいの男が日本語で話しかけてきた。ホテルの警備員をしており、私を知っていると言う。そのときはSogo Hotelに滞在していたので、「Sogo Hotelか」と訊くと、そうだとの答え。日本語は日本で働いていたときに覚えたと言う。

相手の言うことになんの疑いももたなかった私は、奇遇を喜び握手を求める。男は「今日は非番だ。妻と子供は向こうにいる」と遠くを指すが、誰が妻で誰が子供かは判別つかない。そのまま別れようとしたが、男は私に付いてきて「今日は子供の誕生日だ。ケーキを買ってやりたいが、給料が少なくて買ってやれない。子供のために100ペソくれないか」と言う。

この段になっても私はまだ男を疑っていなかった。「100ペソくらいなら都合してやってもいいか」とチラッと考えたくらいだ。しかし男に金を渡すことはしなかった。男を信用しなかったというより、お金を恵むという行為そのものが心にひっかかったからだ。

この話のうさんくささに気が付いたのは宿に戻ってからだ。お金を与えていたところで被害は100ペソ(210円ほど)だけだから、どうということはないが、気分は悪くなっていただろう。

ホテルの警備員を自称していたこの男、翌日もまたその翌日もSogo Hotelで顔を合わせることはなかった。あとで読んだ本によると、フィリピンでは「誕生日」という言葉に注意が必要とのことだった。

警備員といえば、その数が多いことも今回気付いたことのひとつだ。ホテル、ショッピングモール、レストラン、駅の入口、バス・ターミナルと、ちょっとしたした公共の場には必ず警備員が配置されている。大多数は男性だが、女性の警備員もいる。

警備員はフィリピンの雇用にかなり大きな割合を占めているようだ。長い労働時間に低賃金で、労働条件は劣悪と言われている。生産的な仕事ではないが、フィリピンの治安の安定化には貢献しているのかもしれない。

最後に今回の12泊の旅行に要した費用をまとめておこう。

まずエアアジアの関空・マニラ往復便航空券が3万2千円。空港到着日に5万円を両替し、さらにマニラの街中で100ドルを替えた。両替総額は約61000円になる。両替したペソはほぼ使い切った。これらに加え、マニラ・タクロバンの往復航空券(11000円)、コレヒドール島ツアーの代金(約6000円)、Grabの代金(約900円)をクレジットカードで支払った。すべて合計すると、11万900円になる。10泊のサウジアラビア旅行の約半額だ。妥当なところか。ちょっと後悔しているのは、食事を節約しすぎたこと。大半の食事をファーストフードやセブンイレブンで済ませてしまった。お金はかかっても、もう少しちゃんとしたものを食べるべきだった。


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