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2020年3月3日火曜日

フィリピン戦跡巡り 一日目(マニラ到着)

沖縄戦跡巡りに次いで、フィリピン戦跡巡りを計画した。沖縄より圧倒的に広い面積を有するフィリピン。沖縄での戦闘が1945年4月から8月中旬までの4か月に集中しているのに対し、フィリピンでは1941年12月の日本軍の侵攻から翌年3月末まで、さらに1944年10月の米軍の巻き返しから終戦までと、実質1年以上、2度に渡って日米の死闘が繰り広げられた。

沖縄の戦跡ですらほんの一端にしかふれることができなかったのに、フィリピンをどれだけ探索できるだろうか。自信はまったくないが、この旅がフィリピン戦の経緯や実情をほんの少しでも知るきっかけとなれば幸いだ。

例によって泥縄式だが、フィリピン戦について事前に少し調べた。まずWikipediaなどでおおよその経緯を頭に入れたうえで、下記の書籍に目を通した。

物語フィリピンの歴史 鈴木静夫 中央公論新社
フィリピン戦跡ガイド 小西誠 社会評論社
フィリピン敗走記 石長真華 光人社

大岡昇平の「レイテ戦記」も重要だが、図書館から借りだしたのが渡航直前で、第一巻を100ページほど読むにとどまった。

2月14日に関空からマニラに飛び、2月26日に帰国という行程で、訪問先はマニラ(コレヒドール島を含む)、レイテ島、バギオに絞った。

フィリピンは今回が3回目だが、過去2回はいずれも10年以上前にごく短期間マニラに滞在しただけ。したがってフィリピン旅行という名に値するような旅は今回がはじめてになる。できればフィリピンの少数民族も探訪したいところだが、欲張りすぎるだろう。

日本で事前に用意したのは次のとおり。
  1. 関空・マニラ間の往復航空券(エアアジア便で32000円)。
  2. マニラ到着の翌日(15日)にレイテ島のタクロバンに飛び、17日にマニラに帰ってくるエアアジアの航空券(11000円)。
  3. 14日のマニラでのホテルの予約。15日のタクロバン行きが9時50分発と早かったので、空港に近いOYO 181 Manila Airport Hotelを予約しておいた。
  4. Simカード2枚。日本、フィリピンをはじめ16カ国で使用できるFlyのSimカード。1枚の使用期間が8日であるため、2枚購入した。2480円。
  5. フィリピンで使われている配車アプリGrabのスマホへのインストール。
2月14日。

14時15分に関空を飛び立ったエアアジア機は17時半ごろにマニラのニノイ・アキノ空港に到着した。

まず空港の両替所で5万円をペソに両替する。このあと、日本での事前準備のつめの甘さがいくつか露呈する。

まずSimカードが使えない。スマホの画面上ではアンテナはちゃんと立っているのだが、ネットにつながらない。この日の朝日本でセットアップしたときには問題なくネット接続が可能だった。フィリピンでも使えるはずなのだが。

Simカードなしに旅を続けるのはなにかと不便だ。しかたなく、到着ロビーにあるカウンターでSimカードを購入した。25GMのカードで30日間使用可能。電話番号も付いている。2000ペソ(4200円ほど)と高価だ。12日間の旅で消費するのはおそらく2GBにもならないだろうから、25GBは宝の持ち腐れだ。しかし、10日以上の使用期間ではこれが最安値だった。

空港とホテルの位置をちゃんと確かめていなかったのも失敗。空港まで歩いていけるということで選んだOYO 181 Manila Airport Hotelだが、このホテルに近いのはターミナル1だ。エアアジア機が到着したのはターミナル3。ターミナル1と3の間にはかなりの距離があるらしい。やむなくGrabを立ち上げ、クレジット情報を入力して(クレジットカードの登録は現地でしかできない)、車を手配する。

OYO 181 Manila Airport Hotelまでは15分以上かかり、料金も300ペソ(630円ほど)になった。

ホテルにチェックインしたときにはすでに暗くなっていた。1泊2163ペソだが、デポジットとしてさらに1000ペソを預ける必要がある。値段の割には質素な部屋だ。

OYO 181 Manila Airport Hotelの室内

ホテルの周りは閑散としているが、幸いレストランはいくつかある。KFCでチキンとライスのセット、コーラをテイクアウトし、夕食とした。

マニラの暑さに加え、空港でジタバタしたことから、ドッと疲れが出る。明日はレイテ島のタクロバンへ向かう。国内線はターミナル4だ。またGrabのお世話になる必要がありそうだ。

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