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2024年6月29日土曜日

メキシコ2024 メキシコシティへ戻る、帰国

 4月16日

トゥクストラ・グテイエーレスの空港を午後1時半に飛び立ったアエロメヒコ機は3時過ぎにメキシコシティに到着した。Uberタクシーで日本人宿のペンション・アミーゴまで行く。個室は空いておらず、ドミトリーに宿泊することになる。朝食付きで1泊180ペソ(約1800円)。5つのベッドがある部屋だが、22日(正確には23日の0時25分)の帰国日まで合計6泊したうち、後半の3日は私ひとりで使っていた。

夜中にトイレに起きることもあり、しかも下痢状態だから、個室を希望していた。だが、あまり同宿者を気にせずに過ごすことができ、しかも後半は私以外のベッドは空いていた。結果的には個室がフルだったことが幸いした。

ペンション・アミーゴに着いたこの日は日本人旅行者2人と夕食をともにした。2人とも30歳代(1人はひょっとすると20歳代)で私よりずっと若いが、こと中南米にかけては私より経験も知識も豊富だった。宿からかなり歩いた食堂に落ち着き、私は豚肉料理とビールを注文した。腹の調子もあり、料理もビールも少し残してしまった。しかし、この時点では、こうした料理を注文するだけの食欲はあり、夜中に吐くこともなかった。

豚肉とビール


4月17日~22日

これ以降、下痢と食欲不振に悩まされ、思うように観光できない日が続いた。宿の朝食はなんと受け入れるものの、昼食や夕食は食べる気にもなれず、食べても吐いてしまう日が4日くらいあった。このため、長い間歩くと極端に疲労した。

この期間を日時を追って記述してもあまり意味がないので、いくつかのエピソードと感想を挙げておくのにとどめたい。

(1)ペンション・アミーゴを選んだのは幸いだった。通常のホテルなら、部屋にこもってYouTubeでも見ながら過ごすしかなかったところ、この日本人宿では中南米を旅行する数々の旅行者に出会え、それなりに楽しい時を過ごすことができた。特に印象に残っているのは、同じ部屋で3日間を共有したO君だった。30代中半の彼は帰国子女だ。といっても米国や欧州からの帰国子女ではなく、トルコ生まれでトルコ育ちという珍しい経歴の持ち主。両親ともに日本人で、文化人類学者である父親の関係でトルコに住むことになったという。中学校まではアンカラの日本人学校に通い、高校と大学は現地の学校。アンカラ大学で考古学を専攻し、現在は考古学関係の職に就いている。

O君からはトルコに関して学ぶことが多かった。トルコ語は現在ではアルファベットで表記されるが、かつてはアラビア文字を使っていたとのこと。したがってトルコの歴史文献を解読するにはアラビア文字の習得が必須になる。ヒジャブを着用するかどうか、着用するにしてもどのように着用するか、男性の場合ならどのような髭をたくわえているかによって、その人の思想的政治的な傾向を推測できるという。

このほかカナダでワーキングホリディを終えて中南米を旅行しているカップルなど、毎日なんらかの刺激があった。

ペンション・アミーゴの壁画


(2)メキシコの人たちは総じて親切だった。宿の近くにある革命塔の展望台に登ったとき、街の眺望を背景に私の写真を撮ってくれたのは鼻の両脇にピアスをした若い女性だった。キューバへの便のチェックアウト時にオンライン申請を助けてくれたのも若い女性だった。どちらもこちから依頼したわけではない。

サンクリストバルはともかく、メキシコシティでも必ずしも英語が通じるわけではないのは意外だった。これまで海外で遭遇したメキシコ人はほぼ全員が流暢な英語をしゃべっていただけに。

メキシコのWork cultureは日本よりずっとリラックスしている。リラックスし過ぎの感もある。街の中では警官の姿をよく見かけたが、彼らがスマホをいじっている場面に何回も遭遇した。仕事上必要なスマホとはとうてい思えない。レストランの店員なども同じ。スマホの浸透の功罪を考えさせられる一幕だ。

(3)辛めのメキシコ料理に対する食欲がどうしても出てこないことから、和食を食べたくなった。メキシコシティは和食レストランに事欠かない。ふっくらとした白米と温かい味噌汁なら胃に優しく、力もつくのではないかと思い、ネットで評判のいいWanWanという和食レストランまでUberタクシーを飛ばした。で、注文したのがトンカツ定食とアサヒビールの小瓶。ところが期待とは逆に、トンカツの肉もご飯も固い。普通なのは味噌汁だけ。なんとか完食したが、宿へ帰ってすべて吐いてしまった。帰りのUberタクシーの中で吐かなかったのは幸いか。

トンカツ定食(約3000円)

(4)観光をまったくしなかったわけではない。21日にはUberタクシーで「トロツキーの家」を訪れた。かなり広い敷地の中、トロツキーが実際に使っていた書斎や寝室を見ることができる。入場料は70ペソ(約700円)。こんなところを訪れる人などほとんどいないだろうという予想に反し、かなりの数の訪問者を見かけた。子供の姿もちらほら。

トロツキーの家の入口

トロツキーの家の書斎

(6)最終日の22日になっても下痢は続いていたが、やっと何かを食べようという気になってきた。メトロポリタン・カテドラルへ行く途中のカフェでトマト・スープとビールを注文。このトマト・スープはほんとうにおいしいと感じた。そのあとで食べた屋台料理(名前は不明)もしっかりと胃の中に収まった。

トマト・スープとビール

(7)成田への帰国便は23日の0時25分発。14時間半に及ぶ長距離飛行だ。下痢が完治しておらず不安だったが、無事持ちこたえ、なんとか旅を終えることができた。ただし、下痢は帰国後も1週間くらい続き、旅行前に比べて体重は5キロほど減った。

メキシコ旅行のつもりが、後半の9日間の体調不良のために、キューバのほうが印象に残る結果となってしまった。まあこれも運だし、ひとつの経験として思い出に残しておこう。

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