バーミヤン最後の日。この日はまずBuddhist Cavesを訪れ、続いて車で10分ほどかかるDragon Valleyに向かった。Dragon Valleyは広大な岩山が2つに裂けたような谷間となっている景勝地だ。5、6人の子供を含む家族が遊びに来ている以外、風の音しか聞こえない静かな地で、さまざまな形の岩が果てしなく広がっている。この家族からは昼食をごちそうになった。顔立ちからからしてたぶんハザーラだろう。
午後2時近くにバーミヤンに戻り、初日、二日目とは別のチャイハナに寄る。すでにアフガンの家族から昼食をごちそうになっているので腹はいっぱい。ナンは抜きにしてケバブの肉だけを食べる。隣の席からターバンに髭、するどい目つきの男がじっと私のほうを見ている。典型的なタリバンにも見えなくはない男からじっと見つめられるのはあまり気持ちのよいものではない。やがてその男とガイドのKausarが会話。あとでKausarに聞くと、私が目立ったのは英語で話していたからで、外国人と思われたからではないという。「5歳のときにアフガンを離れて欧州に移ったため、現地の言葉をしゃべれないのだ」というKausarの虚偽の説明に男は納得したという。しかし、街を歩いていたとき、突然「ありがとう」と声をかけられたこともあり、私には見かけからしてもアフガニスタン人ではない何かがあったのだろう。
午後は特にすることもなく、インターネットカフェに立ち寄ったあと(宿ではWifiにはつながったのだが、おそらくプロバイダの側の不調でネットにはつながらなかった)、若干のCDとDVDを購入して宿に戻った。
宿の中庭でお茶を飲みながらガイドのKausarと話す。毎回の食事どきをはじめ、彼とはずいぶん話した。アフガニスタンに関する私の情報はもっぱらBBCやEconomistの西側の報道によるもので、Kausarとの食い違いが少なからずあった。たとえば、前回の大統領選。「本来ならアブドラ・アブドラが勝っていた選挙だが、ガニーが勝利したことになったため、混乱を防ぐうえでやむなく二頭体制になった」という私の認識に対して、Kausarは「勝ったのはガニーだが、アブドラが武力衝突で脅かしために二頭体制になった」という見方だった。Kausarの強い反米レトリックには驚いたが、こうした反米感情がアフガニスタン人の間でどれほど一般的は確かでない。
タリバンによるハザーラの迫害についても、Kausarは「確かにタリバンはハザーラを迫害して、子供や老人、女性までも殺した。しかし同じような迫害はマスードも行っている。タリバンだけを取り上げ、マスードによるハザーラの迫害に言及しないのはおかしい。それにバーミヤンではハザーラのミリシャがパシュトゥンやタジクを追い出すという過去もあった」と言う。
マスードによるハザーラの迫害、ハザーラによるパシュトゥンやタジクの迫害は事実かもしれないが、規模や広がり、残酷さにおいてタリバンによるハザーラの迫害とは比較できないのではないだろうか。これはちゃんと調べてみないとわからない。
Kausarはパシュトゥンだから、そのバイアスもあるのかもしれない。
アフガン政府とタリバンとの交渉の行く末に「a glimmer of hope」が見られるかと聞いたところ、Kausarは即座に「見られない」と答えた。「タリバンは交渉のテーブルにつく前提条件として米軍をはじめとする外国軍の完全な撤退を要求している。しかし外国軍が完全に撤退してしまえば、タリバンは交渉などしなくてもやすやすとアフガン全土を制圧できるから交渉の意味はない」というのが彼の見解だ。
午後2時近くにバーミヤンに戻り、初日、二日目とは別のチャイハナに寄る。すでにアフガンの家族から昼食をごちそうになっているので腹はいっぱい。ナンは抜きにしてケバブの肉だけを食べる。隣の席からターバンに髭、するどい目つきの男がじっと私のほうを見ている。典型的なタリバンにも見えなくはない男からじっと見つめられるのはあまり気持ちのよいものではない。やがてその男とガイドのKausarが会話。あとでKausarに聞くと、私が目立ったのは英語で話していたからで、外国人と思われたからではないという。「5歳のときにアフガンを離れて欧州に移ったため、現地の言葉をしゃべれないのだ」というKausarの虚偽の説明に男は納得したという。しかし、街を歩いていたとき、突然「ありがとう」と声をかけられたこともあり、私には見かけからしてもアフガニスタン人ではない何かがあったのだろう。
午後は特にすることもなく、インターネットカフェに立ち寄ったあと(宿ではWifiにはつながったのだが、おそらくプロバイダの側の不調でネットにはつながらなかった)、若干のCDとDVDを購入して宿に戻った。
宿の中庭でお茶を飲みながらガイドのKausarと話す。毎回の食事どきをはじめ、彼とはずいぶん話した。アフガニスタンに関する私の情報はもっぱらBBCやEconomistの西側の報道によるもので、Kausarとの食い違いが少なからずあった。たとえば、前回の大統領選。「本来ならアブドラ・アブドラが勝っていた選挙だが、ガニーが勝利したことになったため、混乱を防ぐうえでやむなく二頭体制になった」という私の認識に対して、Kausarは「勝ったのはガニーだが、アブドラが武力衝突で脅かしために二頭体制になった」という見方だった。Kausarの強い反米レトリックには驚いたが、こうした反米感情がアフガニスタン人の間でどれほど一般的は確かでない。
タリバンによるハザーラの迫害についても、Kausarは「確かにタリバンはハザーラを迫害して、子供や老人、女性までも殺した。しかし同じような迫害はマスードも行っている。タリバンだけを取り上げ、マスードによるハザーラの迫害に言及しないのはおかしい。それにバーミヤンではハザーラのミリシャがパシュトゥンやタジクを追い出すという過去もあった」と言う。
マスードによるハザーラの迫害、ハザーラによるパシュトゥンやタジクの迫害は事実かもしれないが、規模や広がり、残酷さにおいてタリバンによるハザーラの迫害とは比較できないのではないだろうか。これはちゃんと調べてみないとわからない。
Kausarはパシュトゥンだから、そのバイアスもあるのかもしれない。
アフガン政府とタリバンとの交渉の行く末に「a glimmer of hope」が見られるかと聞いたところ、Kausarは即座に「見られない」と答えた。「タリバンは交渉のテーブルにつく前提条件として米軍をはじめとする外国軍の完全な撤退を要求している。しかし外国軍が完全に撤退してしまえば、タリバンは交渉などしなくてもやすやすとアフガン全土を制圧できるから交渉の意味はない」というのが彼の見解だ。
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