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2015年8月25日火曜日

アフガニスタン2015 六日目(8月3日)

この日はカブールへ戻る日。KausarはUntamed Bordersの別の旅行者を迎えるためにバーミヤンに残り、私は1人でカブールに飛ぶ。カブールでは別のガイドが待っているはずだ。

バーミヤンとカブールの間では週に二便、月曜日と木曜日にEast Horizonの飛行機が往復している。

朝8時ごろ、バーミヤン空港でKausarはカブールから飛んできたイギリス人のセバスチャンを迎える。飛行機を降り立ったセバスチャン、私が日本から来たと告げると「日本人の婦人が3人同じ飛行機に乗っていた」と言うではないか。慌てて周りを見渡す。日本人女性らしき3人が見える。ホテルシルクロードのオーナーのHさんとその妹さん、妹さんの友人の3人連れだ。Kausarも交え、ここで短い会話をする。ホテルで和食を食べたこと、日本の外務省の意向でアフガニスタンへのビザがとりにくくなっていることなど。
バーミヤン空港

単独でのカブール行きとはいえ、同宿だったAliも同じ便でカブールへ帰るので心強い。Aliは10年ほど前、オーストラリアに難民申請をした経歴の持ち主。パキスタンから空路でインドネシアに飛び、そこの難民センターで1か月ほど過ごしたあと、ナウル共和国に送られた。ナウルの難民センター(detention center)で1年半もの間オーストラリア政府の審査を待ったが、結果はNo。オーストラリア亡命を許されたのは20%くらいだったという。難民センター全体のうちの20%なのかアフガニスタン人の亡命希望者のうちの20%なのかは聞きそびれた。

1時間足らずの飛行のあと、カブール空港の外ではガイドのGullが待っていた。Aliとは知り合いらしく、挨拶を交わしていた。Gullはハザーラだが、生まれも育ちもカブールという。
初日と同じゲストハウスに再度チェックイン。しばらく休んでからカブールの観光に出る。まず地雷博物館。地雷だけではなくさまざまな武器が展示してある。博物館を出るときに記帳を求められたので、日本語で「日本製の地雷がなかったのは幸い」と書いておく。
続いて国立博物館(ナショナル・ミュージアム)。内戦で破壊されたあとで再建された博物館だ。

昼食はレストランで。このとき、かつて私がYoutubeで見たBBCのアフガン関係の番組に登場していたのがGullであることに気がついた。カナダ人の女性ジャーナリストのインタビューを受け、Gullは「ツーリスト・カンパニーを立ち上げるのが夢」と語っていた。GullはUntamed Bordersに雇用されているのではなく、自分のオフィスを持っていること、Untamed Bordersとは協力関係にあることを知った。ツーリスト・カンパニーを立ち上げるという夢を実現しているわけだ。実現の途上にあると言ったほうが正確かもしれないが。


カブールを一望できる丘や廃墟となった宮殿を訪れたあと、私の腹具合が悪くなり、宿に戻る。宿で一休みしたおかげで、カブールを見て回る時間はもうあまりない。チキン・ストリートやフラワー・ストリートをGullと散策し、カフェでマンゴ・ジュース(おいしかった)を飲みながら、雑談。これでカブールの全日程、つまりアフガン旅行の全日程は終了だ。ゲストハウスでビュフェ式の夕食をとったあと、外出し、近くのスーパーで日本への土産物を物色。アフガニスタンでつくられたお菓子を探したが、どうもないようだ。代わりにイラン製の砂糖菓子を購入した。宿に戻って明日のフライトの準備。
 

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