「ブルキナファソはマリの田舎」という思い込みから出発したブルキナファソへの旅。どちらも西アフリカの旧フランス植民地だから、マリとブルキナファソが似ているのは当然といえよう。だが、ブルキナファソは田舎という思い込みは外れた。マリに都会と田舎があるように、ブルキナファソにも都会と田舎がある。ブルキナファソにないのはジェンネやモプティのような観光地だ。だからといってブルキナファソががマリよりも静かでのんびりしているというわけではない。ワガドゥグやボボ・ディウラッソの喧噪はバマコに勝るとも劣らなかった。
評判の「人のよさ」はどうだろうか。見知らぬ私に対して「Bon jour」挨拶してくる人が少なくない。道を尋ねれば親切に教えてくれる。タクシーや食堂、路上の物売りなどもまずまず信頼できそうだ。おおむね評判どおりの「人のよさ」といえよう。もちろんみんなが「いい人」というわけではない。欺そうとする手合いもいれば、無愛想な人もいる。幸いにして出会うことがなかったが、泥棒やスリの被害も報告されている。そもそも「いい人」というのは静的な固定した属性ではないように思う。誰もが状況次第でいい人にもなれば、悪い人にもなりうる。ある人にとってのよい人は、別の人にとっては悪い人かもしれない。
旅が終わったあとで、あれをやればよかった、あそこへ行けばよかった、あのときああ言えばよかったと、ちょっぴり後悔をするのはいつものことだ。ブルキナファソで悔やまれるのは、地元の人の中にもう一歩深く踏み込まなかったこと。確かにバスの切符売り場などでのフランス語は聞き取りにくかった。だが、普通に落ち着いて話していれば十分にコミュニケーションは可能だった。今から思えば、会話を発展させ、ふくらませるチャンスは少なからずあった。こうしたチャンスをみすみす逃してしまったのが残念だ。
ライブ音楽を聞く機会が1度しかなかったことも悔やまれる。時差ぼけもあり、ブルキナファソに滞在中はほぼ毎日夜9時すぎに就寝した。ライブが始まるのは夜の8時か9時。聞きに行きたいのは山々だが、体が言うことを聞かなかった。
私がブルキナファソへ向けて出発する数週間前、マリのバマコでアルカイダ系のテロリストによってホテルが襲撃され、20数人の死者が出ていた。クーデター騒ぎやデモこそあったものの、ブルキナファソではこれまでテロ事件は発生していなかった。しかし隣国マリでのこの事件は気になっていた。
こうした心配にもかかわらず、ブルキナファソ滞在中、身の危険はまったく感じなかった。夜歩いていても不安はなかった。テロよりもずっと確率の高いのは交通事故だ。ワガドゥグとボボでそれぞれ1回、交通事故を目撃した。ワガドゥグでは十代の少年が身動きもせずに倒れているのを人々が囲んでいた。意識を失っていただけなのか、息がすでになかったのかはかわらない。ボボではオートバイが車の下敷きになっていた。
「身の危険を感じなかった」と書いたが、こうしたレポートはあまりあてにならない。身の危険を感じるのは、すでに何かが発生したときだ。どこへ行こうと、たいていの旅人は危険を実感することなく帰国する。そのときたまたま安全だったからといって、今後何も起こらないという保証にはならない。
実際、私が帰国してから1か月も経たない2016年1月16日に、ワガドゥグの高級ホテルが襲撃され、少なくとも29人が死んだ。マリの事件と同様、アルカイダ系の組織の仕業らしい。
出発前にこの事件が発生していたら、ブルキナファソ旅行を敢行したかどうか、難しいところだ。私がワガドゥグで宿泊したミッション・カトリックはカテドラルの敷地にあり、イスラム過激派のターゲットになっていたとしても不思議ではない。航空券購入前だったらキャンセルしていたかもしれない。
最後に今回の旅行の支出を報告しておこう。伊丹からワガドゥグまでの往復の飛行機代が全部ひっくるめて18万ちょっと。現地で両替したのが300ユーロ。余ったCFAを再度ユーロに両替して38ユーロ返ってきた。つまり現地で262ユーロ使ったことになる。日本円にすれば34000円ほどか。9日で割ると、1日3800円弱の出費になる。
都会もあれば
田舎もある
評判の「人のよさ」はどうだろうか。見知らぬ私に対して「Bon jour」挨拶してくる人が少なくない。道を尋ねれば親切に教えてくれる。タクシーや食堂、路上の物売りなどもまずまず信頼できそうだ。おおむね評判どおりの「人のよさ」といえよう。もちろんみんなが「いい人」というわけではない。欺そうとする手合いもいれば、無愛想な人もいる。幸いにして出会うことがなかったが、泥棒やスリの被害も報告されている。そもそも「いい人」というのは静的な固定した属性ではないように思う。誰もが状況次第でいい人にもなれば、悪い人にもなりうる。ある人にとってのよい人は、別の人にとっては悪い人かもしれない。
ブルキナファソの旅
旅が終わったあとで、あれをやればよかった、あそこへ行けばよかった、あのときああ言えばよかったと、ちょっぴり後悔をするのはいつものことだ。ブルキナファソで悔やまれるのは、地元の人の中にもう一歩深く踏み込まなかったこと。確かにバスの切符売り場などでのフランス語は聞き取りにくかった。だが、普通に落ち着いて話していれば十分にコミュニケーションは可能だった。今から思えば、会話を発展させ、ふくらませるチャンスは少なからずあった。こうしたチャンスをみすみす逃してしまったのが残念だ。
ライブ音楽を聞く機会が1度しかなかったことも悔やまれる。時差ぼけもあり、ブルキナファソに滞在中はほぼ毎日夜9時すぎに就寝した。ライブが始まるのは夜の8時か9時。聞きに行きたいのは山々だが、体が言うことを聞かなかった。
私がブルキナファソへ向けて出発する数週間前、マリのバマコでアルカイダ系のテロリストによってホテルが襲撃され、20数人の死者が出ていた。クーデター騒ぎやデモこそあったものの、ブルキナファソではこれまでテロ事件は発生していなかった。しかし隣国マリでのこの事件は気になっていた。
こうした心配にもかかわらず、ブルキナファソ滞在中、身の危険はまったく感じなかった。夜歩いていても不安はなかった。テロよりもずっと確率の高いのは交通事故だ。ワガドゥグとボボでそれぞれ1回、交通事故を目撃した。ワガドゥグでは十代の少年が身動きもせずに倒れているのを人々が囲んでいた。意識を失っていただけなのか、息がすでになかったのかはかわらない。ボボではオートバイが車の下敷きになっていた。
下敷きになったオートバイ
「身の危険を感じなかった」と書いたが、こうしたレポートはあまりあてにならない。身の危険を感じるのは、すでに何かが発生したときだ。どこへ行こうと、たいていの旅人は危険を実感することなく帰国する。そのときたまたま安全だったからといって、今後何も起こらないという保証にはならない。
実際、私が帰国してから1か月も経たない2016年1月16日に、ワガドゥグの高級ホテルが襲撃され、少なくとも29人が死んだ。マリの事件と同様、アルカイダ系の組織の仕業らしい。
出発前にこの事件が発生していたら、ブルキナファソ旅行を敢行したかどうか、難しいところだ。私がワガドゥグで宿泊したミッション・カトリックはカテドラルの敷地にあり、イスラム過激派のターゲットになっていたとしても不思議ではない。航空券購入前だったらキャンセルしていたかもしれない。
最後に今回の旅行の支出を報告しておこう。伊丹からワガドゥグまでの往復の飛行機代が全部ひっくるめて18万ちょっと。現地で両替したのが300ユーロ。余ったCFAを再度ユーロに両替して38ユーロ返ってきた。つまり現地で262ユーロ使ったことになる。日本円にすれば34000円ほどか。9日で割ると、1日3800円弱の出費になる。
こんにちは。ブルキナファソの投稿を拝見しました。
返信削除勉強になりました。