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2016年1月8日金曜日

ブルキナファソ2015 12月18日(ボボ・ディウラッソ)

Ententeホテルは朝食付きになっている。バゲットとインスタントコーピーの朝食をとったあと、部屋で今後の行程を検討する。帰国便は23日21時05分にワガドゥグを発つ。日程に関してきわめて慎重な私だから、21日にはワガドゥグに帰っていたい。今日は18日。19日と20日の2日間が空く。首都のワガドゥグ、第2の都市のボボのあとはどこか田舎に行きたいところだが、適当な目的地が見つからない。結局、交通の便や宿を考慮し、Koudougou(クドゥグゥ)を訪れることにした。クドゥグゥはブルキナファソ第3の都市であり、ボボとワガドゥグをつなぐ道路から少し外れたところに位置している。第1、第2、第3の街を訪れるのは能のない話であり、おもしろみに欠けるが、無難ではある。

そうと決まれば、バスの切符を確保しておきたい。というわけでTCVのバスターミナルに向かう。だがTCVの窓口ではクドゥグゥ行きの切符は扱っていないという。別のバス会社に行く必要がある。

このやりとりはフランス語だったが、窓口の女性の言っていることがなんとも聞き取りにくい。ブルキナファソに来てから、こうしたことが頻繁に起こる。"Je ne comprends pas"(I don't understand)を何回口にしたことやら。フランスをはじめ、マリやモロッコではこうしたことはなかった。もちろん相手の言うことを100%理解していたわけではないが、旅行レベルのフランス語でコミュニケーションに支障が生じる経験は初めてだ。自分のフランス語能力に自信を失う一方、これはブルキナファソのフランス語のなまりのせいだという思いもあった。

これはちょっと自分に甘い見方だったかもしれない。ブルキナ最後の日に空港へ向かうタクシーの中から撮影した動画に私とタクシー運転手のフランス語の会話も録音されていた。帰国してからこの動画を再生して判明したのは私のフランス語の発音のひどさ。タクシー運転手のフランス語のほうがよっぽどフランス語らしい。私の言うことのほぼすべてが通じていたことのほうが不思議だ。

ともあれ、周囲の人に道を聞きながら、別のバス会社(名前は失念した)に向かう。それらしき場所に着いたが、見つからない。歯の抜けた老人に案内してもらってやっと"Guichet"(窓口)と書かれた切符売り場らしい場所を見つける。教えられたバス会社ではなさそうだが、ともかく問い合わせてみる。クドゥグゥへのバスは朝の7時と夕方の5時とのことだった。朝の7時では早すぎるし、夕方の5時では遅すぎる。迷っていると、Guichetの男は午前10時もあるという。10時を選んで、代金の6000CFAを渡す。渡された切符は切符というより領収書みたいな様式で、時刻も座席番号も書いてない。まあ常設のGuichetだし、インチキということはないだろう。

昼食はEntenteホテルでとった。ビュッフェ式の昼食で、3000CFA(600円)とちょっと高め。クスクスやライスなどが用意され、まずまずだった。昼食をとっていると、昨夜私にCDを売りつけた男が現れた。私をターゲットとしてやって来たのか、たまたま立ち寄ったのかはわからない。ボボやその近郊のガイドをするという。昨夜のことがあるから、もちろん断った。

午後は、まずグランド・モスクを見物したあと、ボボの裏通りの探索にあてた。裏通りに行くとさすがにのんびりしている。表通りやマーケットの活気もいいが、生活の臭いがする裏通りや路地も好きだ。

グランド・モスク

ボボの裏通り1
ボボの裏通り2
子供たち

写真を撮りながら、ボボの街をさらに散策する。陽が暮れてきたころ、若い男が英語で話しかけてくる。自称アーチストのその男はコンサートのチラシをもっており、私を誘う。コンサートの日付は明日の19日だが、今日もやっているという。日本人の友達もいると言い、くしゃくしゃになった「大槻」という名入りの名刺を見せる。いかにもあやしいが、ついていくことにした。ライブの音楽を楽しみたいという、私の「つぼ」をつかれたからだ。

男が向かった先は市の中心から少し外れたKokoと呼ばれるエリア。ここにはInstitut Francaisがあり、そのバーでは確かに数人の男が演奏をしていた。しかし、男はバーにとどまるでもなく、さらに私を連れ回す。演奏は西アフリカの音楽ではなく、私も執着はなかった。男の意図がまるでわからない。だが、陽もとっぷりと暮れてきたころ、男は「コーラ代をおごってほしい」と言う。これが目的だったのだが、その対価として男が提供したサービスは実体がなかった。「コーラ代」は断ったが、男は怒るわけでもなく、がっかりした表情をしていたけだった。

この「コーラ代」は自称ガイドなどが「サービス」の対価を要求するときによく使う表現だ。マリでも何回か同じ要求に遭遇した。

男を別れて街の散策を続けていると、またこの男と遭遇した。今度はフランス人の老夫婦と一緒に歩いている。私を見つけると、まるで友達であるかのように「日本から来ている」と私を老夫婦に紹介する。あまり害もなさそうなので、老夫婦に警告することは控えておいた。

夕食のための食堂を探していたが、こぎれいなベーカリーがあったので、サンドイッチで済ますことにした。サンドイッチだけで十分だが、ホイップクリームを挟んだ菓子パンもおいしそうで抵抗できず購入した。コーラを追加して、代金を払おうとしていると、3歳くらいの男の子が私のほうに手を差し出す。一瞬物乞いかと思ったが、それにしては身なりがちきんとしている。握手を求めていたのだ。少し離れた場所から父親らしき男性がニコニコと笑いながら見守っている。

親子とバイバイして、宿に戻り、サンドイッチと菓子パンを食べた。どちらもおいしかったが、ちょっと食べ過ぎだ。

昨夜CDを売りつけてきた男や私を数十分連れ回した男などで、いくぶんくさくさしていたが、最後の親子の笑顔に救われた。「ブルキナファソも捨てたものじゃないぞ」という気分になった。

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