12月26日。
宿泊している「さくら」で8時すぎに朝食をとる。「さくら」はその名前が示すとおり、日本人旅行者をターゲットとするいわゆる「日本人宿」で、日本語を話すエジプト人男性が経営している。ここに2泊し、最後にベニス細川家で1泊してから帰国の途につく。3泊ともベニス細川家にしたかったのだが、最後の日を除いて個室はすべて予約で埋まっていた。
日本人宿を選んだのは旅の情報を得られると思ったからだ。しかし「さくら」の宿泊客は2日とも私ひとりだった。これは誤算。個室が1泊15ドル、ドーミトリーが10ドル(いずれも朝食付き)ということだったが、ひとりなら個室もドーミトリーも同じこと、当然安いドーミトリーを選択した。
この宿がこれほど閑散としてるのは、部屋が汚いからでもなく、オーナーがやっかいな人だからでもなく、立地が悪いからでもない(タフリール広場から歩いて10分ほど)。サービスが劣悪ということもない。主な原因は、booking.comなどのホテル予約サイトに登録していないことにある。加えて、自前のWebサイトを持っておらず、積極的に情報を発信していないことも大きい。要するに、ネット時代に乗り遅れてしまったのだ。
日本人宿の魅力は、日本語の通じる大勢の旅行者が集まることにある。したがって、いったん客が少なくなると、不人気が加速化する。悪循環だ。実際、いくら親切なオーナーであっても、他に客がおらず、二人きりというのはなんとなく気まずいものだ。女性だったら、泊まるのを躊躇するだろう。
昨日のピラミッドでの不愉快な体験がまだ跡を引きずっていたが、起こってしまったをいつまでも悔やんでいても仕方がない。残された2日間、カイロをもう少し探訪しよう。
午前中はオールドカイロ、午後はエジプト考古学博物館とねらいを定めて9時過ぎに宿を出る。
地下鉄のマル・ギルギス駅を降りれば、もうそこはオールドカイロだ。オールドカイロはカイロ発祥の地ということだが、現在ではコプト教の教会や修道院が密集していることで知られている。それだけにイスラム過激派のターゲットになりやすいし、実際襲われたことも一度や二度ではない。
当然警備は厳しい。教会に入るには手荷物の検査がある。といってもピリピリとしているわけではない。のんびりした雰囲気の中、いくつかの教会を訪れる。ユダヤ教のシナゴーグもある。観光客もそこそこいるようだ。スークもあったが、ほとんどの店は空っぽで、閑散としていた。
オールドカイロをあとにし、ラムセス駅に立ち寄る。駅で昼食でもと思ったのだが、適当な食堂がなく、腹もあまり空いていなかったので、駅の2階にあるカフェでマンゴージュースを注文するにとどめた。
昼食をとらずにそのままタフリール広場の近くにあるエジプト考古学博物館に向かうことにした。日本のガイドブックではエジプト考古学博物館となっているが、英語名はEgyptian Museum、つまりただの「エジプト博物館」だ。
入場料の120ポンドを払って中へ入る。1階と2階からなる大きな博物館だ。1階は古王国、中王国、新王国と時代と、ぐるっと回って見るように構成されている。今から3000年以上前にこれだけの文明が存在し、これだけの遺物が残されていることは確かに驚嘆に値する。しかしやはりこれらのほんとうの価値を知るにはちゃんとした知識と興味が前提となる。悲しいかな、私はそれが欠けている。
有名なツタンカーメンの黄金のマスクは2階の3号室にあった。ガイドブックには「このマスクの部屋はいつも超満員」と書いてあったが、超満員ではなく、満員でもなかった。マスクの写真を撮ろうとすると、警備の男が慌ててやってきて撮影を止められた。この部屋だけは撮影禁止らしい(博物館の入口にその旨の表示があることをあとで知った)。
博物館を出たときには3時をまわっていた。タフリール広場から北へ延びる大通りを歩く。この時間帯にもかかわらず客で賑わっているコシャリ屋があったので、かなり遅めの昼食をとることにした。繁盛しているだけにおいしかった。
オールドカイロと考古学博物館で今日の目的は達成している。「さくら」の周辺をぶらぶらと探索したが、特に目を惹くものもなかった。茄子と野菜を挟んだ3ポンドのサンドイッチを夕食としてテイクアウトし(エジプトのサンドイッチはあまり当たり外れがない)、「さくら」に戻る。明日はこの宿をチェックアウトして、予約済みのベニス細川家に移る。
宿泊している「さくら」で8時すぎに朝食をとる。「さくら」はその名前が示すとおり、日本人旅行者をターゲットとするいわゆる「日本人宿」で、日本語を話すエジプト人男性が経営している。ここに2泊し、最後にベニス細川家で1泊してから帰国の途につく。3泊ともベニス細川家にしたかったのだが、最後の日を除いて個室はすべて予約で埋まっていた。
日本人宿を選んだのは旅の情報を得られると思ったからだ。しかし「さくら」の宿泊客は2日とも私ひとりだった。これは誤算。個室が1泊15ドル、ドーミトリーが10ドル(いずれも朝食付き)ということだったが、ひとりなら個室もドーミトリーも同じこと、当然安いドーミトリーを選択した。
「さくら」の内部
この宿がこれほど閑散としてるのは、部屋が汚いからでもなく、オーナーがやっかいな人だからでもなく、立地が悪いからでもない(タフリール広場から歩いて10分ほど)。サービスが劣悪ということもない。主な原因は、booking.comなどのホテル予約サイトに登録していないことにある。加えて、自前のWebサイトを持っておらず、積極的に情報を発信していないことも大きい。要するに、ネット時代に乗り遅れてしまったのだ。
日本人宿の魅力は、日本語の通じる大勢の旅行者が集まることにある。したがって、いったん客が少なくなると、不人気が加速化する。悪循環だ。実際、いくら親切なオーナーであっても、他に客がおらず、二人きりというのはなんとなく気まずいものだ。女性だったら、泊まるのを躊躇するだろう。
昨日のピラミッドでの不愉快な体験がまだ跡を引きずっていたが、起こってしまったをいつまでも悔やんでいても仕方がない。残された2日間、カイロをもう少し探訪しよう。
午前中はオールドカイロ、午後はエジプト考古学博物館とねらいを定めて9時過ぎに宿を出る。
地下鉄のマル・ギルギス駅を降りれば、もうそこはオールドカイロだ。オールドカイロはカイロ発祥の地ということだが、現在ではコプト教の教会や修道院が密集していることで知られている。それだけにイスラム過激派のターゲットになりやすいし、実際襲われたことも一度や二度ではない。
当然警備は厳しい。教会に入るには手荷物の検査がある。といってもピリピリとしているわけではない。のんびりした雰囲気の中、いくつかの教会を訪れる。ユダヤ教のシナゴーグもある。観光客もそこそこいるようだ。スークもあったが、ほとんどの店は空っぽで、閑散としていた。
コプト教会
コプト教会の内部
オールドカイロを歩く
オールドカイロをあとにし、ラムセス駅に立ち寄る。駅で昼食でもと思ったのだが、適当な食堂がなく、腹もあまり空いていなかったので、駅の2階にあるカフェでマンゴージュースを注文するにとどめた。
昼食をとらずにそのままタフリール広場の近くにあるエジプト考古学博物館に向かうことにした。日本のガイドブックではエジプト考古学博物館となっているが、英語名はEgyptian Museum、つまりただの「エジプト博物館」だ。
エジプト考古学博物館
入場料の120ポンドを払って中へ入る。1階と2階からなる大きな博物館だ。1階は古王国、中王国、新王国と時代と、ぐるっと回って見るように構成されている。今から3000年以上前にこれだけの文明が存在し、これだけの遺物が残されていることは確かに驚嘆に値する。しかしやはりこれらのほんとうの価値を知るにはちゃんとした知識と興味が前提となる。悲しいかな、私はそれが欠けている。
考古学博物館の展示物1
考古学博物館の展示物2
考古学博物館の展示物3
博物館を出たときには3時をまわっていた。タフリール広場から北へ延びる大通りを歩く。この時間帯にもかかわらず客で賑わっているコシャリ屋があったので、かなり遅めの昼食をとることにした。繁盛しているだけにおいしかった。
コシャリで遅めの昼食
オールドカイロと考古学博物館で今日の目的は達成している。「さくら」の周辺をぶらぶらと探索したが、特に目を惹くものもなかった。茄子と野菜を挟んだ3ポンドのサンドイッチを夕食としてテイクアウトし(エジプトのサンドイッチはあまり当たり外れがない)、「さくら」に戻る。明日はこの宿をチェックアウトして、予約済みのベニス細川家に移る。
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