9月10日。
7時半に朝食をとり、8時にホテルをチェックアウト。平壌を離れる10時までの短い時間を観光に充てる。まず向かったのが地下鉄。時間もないため、復興駅から栄光駅までの1区間だけを乗車した。
続いて切手博物館に行く。昨年4月にも訪れた場所だ。切手には興味はないが、ここには切手以外の土産品も売られている。昨年はここで北朝鮮の国旗やDPRKのロゴがプリントされた黒いTシャツを購入した。だがLサイズだったため、あまり着る機会がない。今回はちょうどMサイズの白いTシャツがあったので、買い求めた。値段は120中国元。昨年のTシャツは100元だった。値上げかどうかはわからない。北朝鮮では1物1価の経済原則が必ずしも通用せず、場所と時期によって同じものの値段が大きく異なることがあるからだ。恣意的に値段をつけているとしか思えない。ショッピングの最後の機会ということもあり、日本人観光客の爆買いに店員たちはてんてこ舞いで対応していた。
今日平壌を離れるのはツアーメンバー51名中約40人。残り10人ほどは延泊して平壌にとどまる。結果論になるが、丸二日半の観光が丸一日に短縮されたことを考えれば、延泊は正しい選択だったと言えよう。
列車は10時半ごろに丹東に向けて出発した。40人のツアーメンバーは6人掛けのコンパートメントに分散した。欧米の観光客や北朝鮮の住人に加え、中国在住の朝鮮族とおぼしき人たちも同乗している。
スーパーなどで購入したビール、ソジュ(焼酎)、お菓子を分かち合う。私が持ち込んだ饅頭(のようなもの)もなんとかさばけた。
昼食は食堂車でとった。代金はJS Tours(あるいは朝鮮国際旅行社)によって支払い済みだ。ライスとスープ、たくわんと魚肉ソーセージ、ゆで卵という、まさにベーシックな内容だった。
列車はやがて新義州に着く。心配していた出国審査はあっけなくすんだ。私たちのコンパートメントではカバンやスーツケースを開けられることすらなかった。私はJS Toursから送られてきた税関申告書を紛失していた。北朝鮮の係官から申告書もらって記入しようとしたが、名前だけ書いたところで「いいから、いいから」というジェスチャーとともに未記入のまま回収された。このゆるやかさが一般的な傾向なのか、それともこのときの特殊事情なのかは確かでない。
鉄橋を渡って丹東に着いたのは5時前(中国時間)だった。中国の入国検査に手間取り、丹東の駅前に出たときにはすでに空は暗い。丹東駅には日本語をしゃべる中国のガイドが迎えに来ていた。私にとって丹東を訪れるのは4回目だ。
40人が1台のバスに乗り、鴨緑江の岸辺に行く。ほんの少しでも丹東観光をいうことだろう。すっかり暗くなった中、今通ってきたばかりの鉄橋やその隣の破断橋を見物する。
夕食は北朝鮮レストランでいうことだった。以前は鴨緑江の観光スポットの近くに2つの北朝鮮レストランがあったのだが、今は見あたらない。20分近くバスにゆられてたどり着いたのは江都酒店というレストラン。外見からは北朝鮮レストランのように見えない。
数多くの料理が出てくる。朝鮮料理というより中国料理だ。ビールも北朝鮮のものではない。これがそもそもの営業方針なのか、それとも経済制裁をかいくぐるための方策なのかはわからない。
接待員たちが歌と踊りを披露してくれる。こちらはまぎれもなく北朝鮮のもの。最近の北朝鮮レストランは写真撮影禁止のところが多いが、ここでは写真も動画も自由に撮れた。
江都酒店を8時過ぎに出て、バスで大連に向かう。途中、2時間くらいは眠っただろうか。大連に到着し、メルキュール泰達ホテル大連(Teda Hotel Dalian)にチェックインしたのは0時半ごろだった。
JS Toursが北朝鮮から予定変更の知らせを受け取ったのはいつのことだろう。おそらく日本を発つ前と推測されるが、いずれにしてもぎりぎりだっただろう。何しろ50名の大世帯。瀬戸際になってから丹東と大連のガイド、レストラン、ホテルを手配する苦労がしのばれる。仕事とはいえ、ご苦労なことだ。
泰達ホテル大連は見かけは立派だが、トイレの水が流れなかった(正確に言えば水を流すレバーが動かなかった)。
明日は5時半にホテルをチェックアウトして、7時30分発の北京行き中国南方航空機に乗る。5時には起床しなければならない。
7時半に朝食をとり、8時にホテルをチェックアウト。平壌を離れる10時までの短い時間を観光に充てる。まず向かったのが地下鉄。時間もないため、復興駅から栄光駅までの1区間だけを乗車した。
朝食時のコーヒー・サービス(高麗ホテルなどではコーヒーは別料金だったが、ここでは無料。ただしインスタント・コーヒー)
続いて切手博物館に行く。昨年4月にも訪れた場所だ。切手には興味はないが、ここには切手以外の土産品も売られている。昨年はここで北朝鮮の国旗やDPRKのロゴがプリントされた黒いTシャツを購入した。だがLサイズだったため、あまり着る機会がない。今回はちょうどMサイズの白いTシャツがあったので、買い求めた。値段は120中国元。昨年のTシャツは100元だった。値上げかどうかはわからない。北朝鮮では1物1価の経済原則が必ずしも通用せず、場所と時期によって同じものの値段が大きく異なることがあるからだ。恣意的に値段をつけているとしか思えない。ショッピングの最後の機会ということもあり、日本人観光客の爆買いに店員たちはてんてこ舞いで対応していた。
このTシャツを購入
今日平壌を離れるのはツアーメンバー51名中約40人。残り10人ほどは延泊して平壌にとどまる。結果論になるが、丸二日半の観光が丸一日に短縮されたことを考えれば、延泊は正しい選択だったと言えよう。
列車は10時半ごろに丹東に向けて出発した。40人のツアーメンバーは6人掛けのコンパートメントに分散した。欧米の観光客や北朝鮮の住人に加え、中国在住の朝鮮族とおぼしき人たちも同乗している。
スーパーなどで購入したビール、ソジュ(焼酎)、お菓子を分かち合う。私が持ち込んだ饅頭(のようなもの)もなんとかさばけた。
昼食は食堂車でとった。代金はJS Tours(あるいは朝鮮国際旅行社)によって支払い済みだ。ライスとスープ、たくわんと魚肉ソーセージ、ゆで卵という、まさにベーシックな内容だった。
沿線風景
列車はやがて新義州に着く。心配していた出国審査はあっけなくすんだ。私たちのコンパートメントではカバンやスーツケースを開けられることすらなかった。私はJS Toursから送られてきた税関申告書を紛失していた。北朝鮮の係官から申告書もらって記入しようとしたが、名前だけ書いたところで「いいから、いいから」というジェスチャーとともに未記入のまま回収された。このゆるやかさが一般的な傾向なのか、それともこのときの特殊事情なのかは確かでない。
鉄橋を渡って丹東に着いたのは5時前(中国時間)だった。中国の入国検査に手間取り、丹東の駅前に出たときにはすでに空は暗い。丹東駅には日本語をしゃべる中国のガイドが迎えに来ていた。私にとって丹東を訪れるのは4回目だ。
丹東到着
40人が1台のバスに乗り、鴨緑江の岸辺に行く。ほんの少しでも丹東観光をいうことだろう。すっかり暗くなった中、今通ってきたばかりの鉄橋やその隣の破断橋を見物する。
夕食は北朝鮮レストランでいうことだった。以前は鴨緑江の観光スポットの近くに2つの北朝鮮レストランがあったのだが、今は見あたらない。20分近くバスにゆられてたどり着いたのは江都酒店というレストラン。外見からは北朝鮮レストランのように見えない。
数多くの料理が出てくる。朝鮮料理というより中国料理だ。ビールも北朝鮮のものではない。これがそもそもの営業方針なのか、それとも経済制裁をかいくぐるための方策なのかはわからない。
接待員たちが歌と踊りを披露してくれる。こちらはまぎれもなく北朝鮮のもの。最近の北朝鮮レストランは写真撮影禁止のところが多いが、ここでは写真も動画も自由に撮れた。
踊りのパフォーマンス
江都酒店を8時過ぎに出て、バスで大連に向かう。途中、2時間くらいは眠っただろうか。大連に到着し、メルキュール泰達ホテル大連(Teda Hotel Dalian)にチェックインしたのは0時半ごろだった。
JS Toursが北朝鮮から予定変更の知らせを受け取ったのはいつのことだろう。おそらく日本を発つ前と推測されるが、いずれにしてもぎりぎりだっただろう。何しろ50名の大世帯。瀬戸際になってから丹東と大連のガイド、レストラン、ホテルを手配する苦労がしのばれる。仕事とはいえ、ご苦労なことだ。
泰達ホテル大連は見かけは立派だが、トイレの水が流れなかった(正確に言えば水を流すレバーが動かなかった)。
明日は5時半にホテルをチェックアウトして、7時30分発の北京行き中国南方航空機に乗る。5時には起床しなければならない。
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