8月11日。
ホテルを10時半にチェックアウトして、11時にテルアビブに向けて出発する。ベン・グリオン空港でバスを降りるのはキャセイパシフィック機に乗る3人(私を含む)とイスタンブールへ飛ぶ1人。
残りの参加者は夜遅くの大韓航空便であり、今日1日テルアビブの観光を楽しむことができる。噂によると、昼食は寿司レストランでとるとか。うらやましい。
キャセイパシフィック便の出発時刻は15時15分。イスラエルの出国審査はことのほか厳しく、フライトの3時間前には空港に到着している必要があると言われている。ホテルから空港まで2時間かかるとして、到着は13時になる。フライトまで2時間15分しかない。ちょっと心配だ。
まったくの杞憂だった。空港に着いたのは、12時半すぎ。出国審査もあっけなかった。スタディツアーに参加したと告げただけでOKだった。Galilee Instituteが用意してくれたヘブライ語の研修修了証(?)をカバンから出そうとすると、「その必要はない」と言われた。要した時間は1、2分。出国時もパスポートにはスタンプは押されず、小さな出国カードを渡されるだけ。
セキュリティ・チェックも他の空港と同じで、とりわけ厳しいものではなかった。
使い切れなかったシェケルを米国ドルに両替する。76ドル返ってきた。初日に150ドルをシェケルに替えていたから、74ドル使ったことになる。
出国ロビーのショップで土産物を買う時間もたっぷりあった。フムス(豆のペースト)などを購入した。
香港での乗り継ぎ時間は1時間50分だったが、こちらも余裕で間に合った。予定どおり翌12日の午後1時ごろに無事関空に戻ってきた。関空の入国審査は顔認証になっており、パスポートに帰国スタンプは押されなかった。
最後に今回の研修ツアーをまとめておこう。
若い学生たちの中でただ1人の年配者。参加には若干の勇気が必要だったが、いつもとはひと味違う、いい旅となった。いい旅となった要因をいくつか挙げておこう。
(1)ともかくイスラエルに行けたこと。
イスラエルは気になる国ではあったが、入国の苦労を思うと、選択肢には入らなかった。そんなときにちょうど見つけたこの研修ツアー。これなら比較的楽に入国できるだろう。この判断は正しく、別室で少し待たされるだけでスムーズにイスラエルの土を踏むことができた。これなら個人旅行でも心配するほどのことはないだろう。
(2)若い人たちとの交流。
学生の中のただ1人の年配者であることから、はたしてうまくやっていけるか一抹の不安があった。だが、みんな暖かく迎えてくれた(と思いたい)。学生の中に溶け込んでその一員となったわけではないし、なるつもりもないが、ぎこちない壁はなかった。彼らを観察し、今時の若者の言葉遣いや振る舞いを知るのも新鮮で、興味深かった。ユダヤやアラブといった異文化に触れるだけではなく、平成末期の若衆文化にも触れることができた。ツアーといっても現地集合で現地解散。航空券の手配や飛行機の乗り継ぎは自力でしなければならない。現地に着いてからは、講義もガイドも英語オンリー。20歳になるかならないかの身で、「危険」とされるイスラエルに赴く、その勇気と行動力に頭が下がる。
(3)イスラエル・パレスチナ紛争への理解。
これもある程度の関心はありながら、きちんと勉強したことがなく、なんとなくモヤモヤしたものがあった。研修参加を決めた6月中旬から出発日の8月1日まで、1か月半の短い期間に泥縄式に詰め込んだだけだが、それでもこの複雑な問題に関する入門レベルの知識は得られたように思う。もちろんすっきりしたわけではない。知れば知るほど混迷が深まるのがこの問題のやっかいなところだ。
紙媒体の資料だけでなく、Youtubeがおおいに役に立った。Youtubeには中東問題に関する講演、ディスカッション、解説などがそれこそ無限と言っていいほどアップロードされている。
特に興味を惹いたのが、Norman Finkelsteinという米国のユダヤ人歴史学者だ。彼の両親はともにワルシャワ・ゲットーとナチスの強制収容所の生き残りだ。にもかかわらず(あるいはそれゆえに)彼はイスラエルの政治、特にそのパレスチナ人の取り扱いに激しく抗議している。Finkelsteinの動画はたくさんYoutubeにアップされているが、そのうちの1つを紹介しておく。ユーモアたっぷりの講演だ。
今回のツアーではホテル内の講義が半分近くの時間を占めた。時差ぼけからくる睡眠不足もあり、ついうつらうつらした場面も少なからずある。このせいもあってか、講義内容のかなりの部分が記憶から抜け落ちている。自分が発した質問まで忘れている始末だ。だからといって、覚えていない講義が無駄であったというわけでもないだろう。忘れたようでも、下意識のどこかに残っている可能性もゼロではない。
研修ツアーの性格上やむを得ないが、エルサレムやベツレヘム、あるいはパレスチナ自治区を歩いて探索する機会、地元の人たちとのspontaneousな接触の機会がほとんどなかったことが心残りだ。これはまたの日の個人旅行に期待するしかない。
ホテルを10時半にチェックアウトして、11時にテルアビブに向けて出発する。ベン・グリオン空港でバスを降りるのはキャセイパシフィック機に乗る3人(私を含む)とイスタンブールへ飛ぶ1人。
残りの参加者は夜遅くの大韓航空便であり、今日1日テルアビブの観光を楽しむことができる。噂によると、昼食は寿司レストランでとるとか。うらやましい。
キャセイパシフィック便の出発時刻は15時15分。イスラエルの出国審査はことのほか厳しく、フライトの3時間前には空港に到着している必要があると言われている。ホテルから空港まで2時間かかるとして、到着は13時になる。フライトまで2時間15分しかない。ちょっと心配だ。
まったくの杞憂だった。空港に着いたのは、12時半すぎ。出国審査もあっけなかった。スタディツアーに参加したと告げただけでOKだった。Galilee Instituteが用意してくれたヘブライ語の研修修了証(?)をカバンから出そうとすると、「その必要はない」と言われた。要した時間は1、2分。出国時もパスポートにはスタンプは押されず、小さな出国カードを渡されるだけ。
セキュリティ・チェックも他の空港と同じで、とりわけ厳しいものではなかった。
使い切れなかったシェケルを米国ドルに両替する。76ドル返ってきた。初日に150ドルをシェケルに替えていたから、74ドル使ったことになる。
出国ロビーのショップで土産物を買う時間もたっぷりあった。フムス(豆のペースト)などを購入した。
香港での乗り継ぎ時間は1時間50分だったが、こちらも余裕で間に合った。予定どおり翌12日の午後1時ごろに無事関空に戻ってきた。関空の入国審査は顔認証になっており、パスポートに帰国スタンプは押されなかった。
エルサレム旧市街
ガイドの説明を聞く(エルサレム)
ベツレヘム
最後に今回の研修ツアーをまとめておこう。
若い学生たちの中でただ1人の年配者。参加には若干の勇気が必要だったが、いつもとはひと味違う、いい旅となった。いい旅となった要因をいくつか挙げておこう。
(1)ともかくイスラエルに行けたこと。
イスラエルは気になる国ではあったが、入国の苦労を思うと、選択肢には入らなかった。そんなときにちょうど見つけたこの研修ツアー。これなら比較的楽に入国できるだろう。この判断は正しく、別室で少し待たされるだけでスムーズにイスラエルの土を踏むことができた。これなら個人旅行でも心配するほどのことはないだろう。
(2)若い人たちとの交流。
学生の中のただ1人の年配者であることから、はたしてうまくやっていけるか一抹の不安があった。だが、みんな暖かく迎えてくれた(と思いたい)。学生の中に溶け込んでその一員となったわけではないし、なるつもりもないが、ぎこちない壁はなかった。彼らを観察し、今時の若者の言葉遣いや振る舞いを知るのも新鮮で、興味深かった。ユダヤやアラブといった異文化に触れるだけではなく、平成末期の若衆文化にも触れることができた。ツアーといっても現地集合で現地解散。航空券の手配や飛行機の乗り継ぎは自力でしなければならない。現地に着いてからは、講義もガイドも英語オンリー。20歳になるかならないかの身で、「危険」とされるイスラエルに赴く、その勇気と行動力に頭が下がる。
(3)イスラエル・パレスチナ紛争への理解。
これもある程度の関心はありながら、きちんと勉強したことがなく、なんとなくモヤモヤしたものがあった。研修参加を決めた6月中旬から出発日の8月1日まで、1か月半の短い期間に泥縄式に詰め込んだだけだが、それでもこの複雑な問題に関する入門レベルの知識は得られたように思う。もちろんすっきりしたわけではない。知れば知るほど混迷が深まるのがこの問題のやっかいなところだ。
紙媒体の資料だけでなく、Youtubeがおおいに役に立った。Youtubeには中東問題に関する講演、ディスカッション、解説などがそれこそ無限と言っていいほどアップロードされている。
特に興味を惹いたのが、Norman Finkelsteinという米国のユダヤ人歴史学者だ。彼の両親はともにワルシャワ・ゲットーとナチスの強制収容所の生き残りだ。にもかかわらず(あるいはそれゆえに)彼はイスラエルの政治、特にそのパレスチナ人の取り扱いに激しく抗議している。Finkelsteinの動画はたくさんYoutubeにアップされているが、そのうちの1つを紹介しておく。ユーモアたっぷりの講演だ。
Norman Finkelstein Illegalilty of Israeli Force Against Gaza Protest
研修ツアーの性格上やむを得ないが、エルサレムやベツレヘム、あるいはパレスチナ自治区を歩いて探索する機会、地元の人たちとのspontaneousな接触の機会がほとんどなかったことが心残りだ。これはまたの日の個人旅行に期待するしかない。
0 件のコメント:
コメントを投稿