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2016年10月28日金曜日

ブルガリア・ルーマニア2016 六日目その1(ロマ集落へ)

9月30日。

昨日買ったパン、ハム、ヨーグルトの残りで朝食を済ます。今日は2時半にカサ・サムライに行き、S氏の案内でロマ(ジプシー)集落を訪れることになっている。

午前中はケーブルカーでTampa山に登ることにした。昨日宿のオーナーが「ブラショフを一望できる」として推奨していた場所だ。宿からケーブルカーの乗り場までは歩いて5分くらい。往復料金(いくらかは忘れた)を払い、ケーブルカーに乗り込む。10人余りの客でいっぱいのケーブルカーは数分で頂上に着いた。頂上からの景観はまあ予期したとおり、感動するほどのものではない(自然の景色に感動することができない私のすり減った感性のほうが問題かもしれない)。

ケーブルカーで山頂へ

ブラショフの街に戻るとすでに12時を過ぎていた。今度こそまともなルーマニア料理を味わおうと、メインの広場に面したカフェに入る。ポークの肉料理とビールで確か30レウ(750円ほど)だった。味はまずまずだったが、注文してから料理が出てくるまで小一時間待たされた。おかげで食べ終わったときには1時半を過ぎていた。

広場に面したカフェで昼食

カサ・サムライまでは市の中心から歩いてもせいぜい20分か30分。約束の2時半には歩いても間に合う。だが、道に迷ったりする場合を考慮して念のためにタクシーで行くことにした。

カサ・サムライには2時過ぎに着いた。コーヒーをいただいてから、S氏の車でロマの村に向かう。出発前に大量の駄菓子とタバコ2箱を買い込んだ。現地で配るためらしい。さらに「ロマの家庭に入ってダンスを見ることになるから、そのチップとして3~40ユーロを用意しておいてくれ」とのことだった。

トランシルバニアのなだらかな田園地帯を走ること3~40分。車はとある家に着いた。この家のハンガリー系ルーマニア人男性にロマ集落の案内を頼むらしい。

トランシルバニアにはハンガリー系のルーマニア人が多い。バーン・ミーハイという名前のこの男性もハンガリー語をしゃべるハンガリー人だ。ロマ地区の学校の教師をしていたことから、ロマの人々とはなじみがあるらしい。

この男性はただの案内人ではなかった。並外れた日本びいき、日本狂いだったのだ。家の庭には鳥居まで建っている。鳥居の柱、庭のテーブルの上、椅子など、至る所に和歌(らしきもの)が刻み込まれている。日本を訪れたことがないが、片言以上の(といっても十分にコミュニケーションがとれるというレベルではない)日本語をしゃべる。

鳥居

テーブルの上にも日本語が

家の至る所を飾っている「和歌」のほとんどは日本人の私には意味不明だった。意味を理解できたのは唯一、鳥居の左柱に刻まれていた本居宣長の「敷島の 大和心を 人問わば 朝日ににおう 山桜花」だけだった。

この日から2日後に彼から私宛に送られたメールには自作の長歌が披露されていた。10連からなるこの長い歌の最初の2連だけを紹介しておこう。

浮き腰時、
時が掻き回せて、
木は囁き、
御釈迦の声は、
遠くて聞法。

滲むの川、
蛙が跳ねれて、
煙は上げて、
巻狩りの時間
生白い光線が夢を見る。

ある種の現代詩のような、難解な、考えさせる歌ではないか。

彼は結婚していて、4、5歳の可愛い女の子が2人いる。奥さんは現在ロマ地区の学校の先生をしており、「もう少し早かったら教え子たちを紹介できたのに」と言っていた。夫の日本狂いをよく許容しているものだ。

庭でコーヒーとハンガリーのウォッカをいただいてから出発。ここからロマの集落までは彼の車で行くことになった。車には「フン族」と書かれている。フン族とは匈奴のことで(これには異説もある)、彼の日本びいきもハンガリー人がフン族つまりはアジアの流れをくむことから来ているらしい。

「フン族」と書かれた車

彼の家からロマの集落までは車で5分足らず。車を降りた我々3人を迎えたのは豚の鳴き声だった。

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