12月22日。
10時ごろにSkypeを使ってSに電話する。「今日の午後からアブハを案内してくれないか」と頼むためだ。「今はちょっと忙しいから、午後3時からなら大丈夫だ」との返事。3時にAbha Hotelまで迎えに来てくれることになった。
外に出る。アブハは海抜2300m。タイフと同様に夏には避暑客で賑わうこの街の冬は地元の人たちにとっては肌寒く感じるらしいが、私には爽やかで過ごしやすい。
Lonely Planetに載っていたAl Muftaha Villageなるところへ行く。Abha Hotelから歩いて20分もかからない。地元の芸術家たちのさまざまな作品が展示されているらしい。
ところが、それらしきところへ到着しても、何もない。あとでSに聞くと、夏の観光シーズンにだけオープンしているらしい。
目的もなくぶらぶらする。12時過ぎ、モスクから祈りの声が聞こえ、人々が三々五々にモスクに入っていく。裏通りを歩きながら、この様子を動画に撮った。
サウジアラビアに来てからすでに5日目、まだちゃんとしたサウジアラビア料理を食べていない。今度こそは思い、賑わっていそうな食堂に入る。残念、今度はアフガニスタン料理を出す店だった。アフガニスタンもまんざら縁のない国ではない。これでもいいか。
昨日のパキスタン料理は量が多すぎた。「ここで食べるが、食べきれなかったら残りは持ち帰りたい」と伝えようとするが、英語がまったく通じない。結局、チキン・ケバブとライスをすべて持ち帰ることになった。ナンも4枚付いている。
ホテルに戻ってこれを食べたときには2時を過ぎていた。すべては食べきれず、半分は夕食用に残しておいた。
3時になったので1階の受付ロビーに降りる。正直に言うと、Sがほんとうに来てくれるかどうか一抹の疑念があった。アラブ人と何らかの約束をするのははじめての経験だ。来てくれるにしても、大幅に遅刻という事態もありうる。
つまらぬ疑念を抱いたことが恥ずかしい。Sはすでにロビーで待っていた。
Sの車に乗り、まず向かったのはアブハから30分ほどのAl Soudah(アルスーダ)。Al Soudahは海抜2800mで、サウジでもっとも高い場所に位置する。霞か雲か判別できない白いもやが一帯を覆っている。人工芝が張り巡らしてある一角もある。立て看板にはAl Soudah Season Mapと記した地図が表示されている。ここも夏には避暑客で賑わうのだろう。しかし今はSと私だけがこの広い場所を占有している。
車に戻ろうとしたところ、話し声が聞こえてきた。やって来たのは3人の若者。バングラデシュ人だった。「We are new here」と言う。サウジアラビアに来たばかりということだろう。
アブハに戻る途中、小さなスークに立ち寄る。サウジの伝統品を売るスークとのこと。蜂蜜を試食する。100%天然の蜂蜜を土産に購入したいところだが、機内持ち込み可能なバックパック1つで旅行している私には買うすべもない。機内に持ち込めるかどうかわからないし、カバンの中で蜂蜜が漏れ出したりしたらたいへんだ。
インド人の店もあった。このインド人、私が日本から来たことを知ると、突然政治の話を切り出し、モディ首相の批判をはじめた。インドで発生している市民権法を巡る抗議活動の写真や動画を見せながら、モスレムがどれほど差別され弾圧されているかを説明する。この突然の政治談義にはSも驚いていた。
スークを出て、アブハへ戻るころには日は暮れていた。Sが「お腹は空いていないか」と聞くので「空いていない」と答える。実際、2時過ぎに昼食をとったこともあり、まったく空腹を感じていなかった。そのうえ、宿には昼食の半分を夜食用として残していた。道端の屋台で買ったサウジ茶をおごってもらうにとどめた。
「アーチスト・ストリート」なるところに立ち寄ってからホテルに戻ったときには7時近くになっていた。3時から7時までおよそ4時間、Sに付き合ってもらったわけだ。
ホテルに入る前に夜のアブハを少し散策する。ホテルに戻ってから、オーナー(あるいはマネージャーまたはただの従業員)の65歳の男性としばらく話す。「Saudi Arabia is changing」と言うと、男性はその通りと答える。
明日はジェッダへ戻る。フライトは17時20分。チェックアウトは3時でも4時でもいつでもいいとのこと。ありがたい。
さて、27歳のSが4時間付き合ってくれたのは私にとっては実に貴重な体験だった。アブハを知ることはもちろん、サウジアラビアの諸事情、サウジ社会のさまざまな側面にふれるうえで非常に役立った。「サウジ空軍のパイロット」という彼の職業が話の内容をいっそう興味深いものにした。彼が考えていること、彼から学んだこと、私が感じたことなどを箇条書きにして整理しておこう。
10時ごろにSkypeを使ってSに電話する。「今日の午後からアブハを案内してくれないか」と頼むためだ。「今はちょっと忙しいから、午後3時からなら大丈夫だ」との返事。3時にAbha Hotelまで迎えに来てくれることになった。
外に出る。アブハは海抜2300m。タイフと同様に夏には避暑客で賑わうこの街の冬は地元の人たちにとっては肌寒く感じるらしいが、私には爽やかで過ごしやすい。
アブハ
Lonely Planetに載っていたAl Muftaha Villageなるところへ行く。Abha Hotelから歩いて20分もかからない。地元の芸術家たちのさまざまな作品が展示されているらしい。
ところが、それらしきところへ到着しても、何もない。あとでSに聞くと、夏の観光シーズンにだけオープンしているらしい。
目的もなくぶらぶらする。12時過ぎ、モスクから祈りの声が聞こえ、人々が三々五々にモスクに入っていく。裏通りを歩きながら、この様子を動画に撮った。
アブハの裏通り
サウジアラビアに来てからすでに5日目、まだちゃんとしたサウジアラビア料理を食べていない。今度こそは思い、賑わっていそうな食堂に入る。残念、今度はアフガニスタン料理を出す店だった。アフガニスタンもまんざら縁のない国ではない。これでもいいか。
昨日のパキスタン料理は量が多すぎた。「ここで食べるが、食べきれなかったら残りは持ち帰りたい」と伝えようとするが、英語がまったく通じない。結局、チキン・ケバブとライスをすべて持ち帰ることになった。ナンも4枚付いている。
ホテルに戻ってこれを食べたときには2時を過ぎていた。すべては食べきれず、半分は夕食用に残しておいた。
アフガンのケバブを持ち帰り
3時になったので1階の受付ロビーに降りる。正直に言うと、Sがほんとうに来てくれるかどうか一抹の疑念があった。アラブ人と何らかの約束をするのははじめての経験だ。来てくれるにしても、大幅に遅刻という事態もありうる。
つまらぬ疑念を抱いたことが恥ずかしい。Sはすでにロビーで待っていた。
Sの車に乗り、まず向かったのはアブハから30分ほどのAl Soudah(アルスーダ)。Al Soudahは海抜2800mで、サウジでもっとも高い場所に位置する。霞か雲か判別できない白いもやが一帯を覆っている。人工芝が張り巡らしてある一角もある。立て看板にはAl Soudah Season Mapと記した地図が表示されている。ここも夏には避暑客で賑わうのだろう。しかし今はSと私だけがこの広い場所を占有している。
Al Soudah(その1)
Al Soudah(その2)
車に戻ろうとしたところ、話し声が聞こえてきた。やって来たのは3人の若者。バングラデシュ人だった。「We are new here」と言う。サウジアラビアに来たばかりということだろう。
アブハに戻る途中、小さなスークに立ち寄る。サウジの伝統品を売るスークとのこと。蜂蜜を試食する。100%天然の蜂蜜を土産に購入したいところだが、機内持ち込み可能なバックパック1つで旅行している私には買うすべもない。機内に持ち込めるかどうかわからないし、カバンの中で蜂蜜が漏れ出したりしたらたいへんだ。
小さなスーク
インド人の店もあった。このインド人、私が日本から来たことを知ると、突然政治の話を切り出し、モディ首相の批判をはじめた。インドで発生している市民権法を巡る抗議活動の写真や動画を見せながら、モスレムがどれほど差別され弾圧されているかを説明する。この突然の政治談義にはSも驚いていた。
スークを出て、アブハへ戻るころには日は暮れていた。Sが「お腹は空いていないか」と聞くので「空いていない」と答える。実際、2時過ぎに昼食をとったこともあり、まったく空腹を感じていなかった。そのうえ、宿には昼食の半分を夜食用として残していた。道端の屋台で買ったサウジ茶をおごってもらうにとどめた。
「アーチスト・ストリート」なるところに立ち寄ってからホテルに戻ったときには7時近くになっていた。3時から7時までおよそ4時間、Sに付き合ってもらったわけだ。
ホテルに入る前に夜のアブハを少し散策する。ホテルに戻ってから、オーナー(あるいはマネージャーまたはただの従業員)の65歳の男性としばらく話す。「Saudi Arabia is changing」と言うと、男性はその通りと答える。
夜のアブハ
明日はジェッダへ戻る。フライトは17時20分。チェックアウトは3時でも4時でもいつでもいいとのこと。ありがたい。
さて、27歳のSが4時間付き合ってくれたのは私にとっては実に貴重な体験だった。アブハを知ることはもちろん、サウジアラビアの諸事情、サウジ社会のさまざまな側面にふれるうえで非常に役立った。「サウジ空軍のパイロット」という彼の職業が話の内容をいっそう興味深いものにした。彼が考えていること、彼から学んだこと、私が感じたことなどを箇条書きにして整理しておこう。
- F15戦闘機のパイロットとしての訓練はサウジアラビアでのみ受けた。戦闘機のパイロットから引退したあとには民間航空機のパイロットになるこも可能だが、最低10年間勤めたあとでないと空軍を辞めることはできない。両親は心配しているが、空を飛ぶのは楽しい。Sはコックピットから撮った動画を見せてくれた。ドローンを撃墜しているところ、ミサイルを発射しているところなど。
- 政治は嫌いだとSは言う。政治は子供の争いのようだと。なにかのひょうしに皇太子のMohammad bin Salman(MBS)の話題が出たが、カショギ殺害事件については尋ねなかった。彼の職業上の立場を考慮したためだ。私の意見は彼とはちょっと違う。残念ながら「政治は子供の争い」ではない。子供の争いで人が死ぬことはめったにないが、政治は最悪の場合大量の死と破壊を引き起こす。これは私の独り言。
- Sは新婚だ。パートナーは彼の姉が彼の希望を聞いたうえで探してくれた。探してきた相手を断るのはもちろん可能だ。「ラッキーなことに(姉が探してくれた相手は)美人だった」と言い、彼女の素顔の写真を見せてくれた。確かにかなりの美人だ。新婚旅行でフランス、スイス、ギリシャ、エジプトなどを訪問したときの写真も見た。ギリシャのある島で撮った写真には彼と彼女が普通の洋装で写っていた。彼女はスカーフも身につけていない。
- Sはイエメンについて「貧しい国であり、何も失うべきものがない(nothing to lose)。だから極端に走る」と言う。サウジアラビアでアルカイダやISに惹かれている若者についても「彼らには失うべきものがない」との判断。しかしオサマ・ビン・ラディンは富豪の息子ではなかったか。富裕層出身でジハディスト(ジハード戦士)になったのはオサマ・ビン・ラディンだけではないだろう。サウジアラビアの国教ともいうべきイスラム原理主義のWahhabism(ワッハーブ派)がジハディストの出現に手を貸していたのではないだろうか。まあこれも私の独り言だ。
- グーグルなどを全面的ブロックしている中国とは異なり、サウジアラビアではFacebookもYoutubeもTwitterも利用可能だ。ただし、ある種のアカウントは削除されているらしい。ISなどの過激な思想はもっぱらTwitterを通じて広がっている。サウジアラビアがブロックしているのはポルノのサイトだ。そのせいか中国やイランと同様、サウジでもVPNが利用されている。
- サウジアラビアには所得税や財産税、贈与税といった税金がない。原油価格の低落を受けて3年ほど前に導入された5%の付加価値税(消費税)が唯一の税金だ。ただし米などの生活必需品は付加価値税から除外されている。以前は水1リットルよりもガソリン1リットルのほうが安かったらしいが、財政難の現在、ガソリンの値段も上がったとのこと。
- サウジの伝統音楽について尋ねてみる。Sはカーステレオで何曲か聞かせてくれた。いずれもピュアな(?)古典音楽というより、楽器編成などに現代的な要素を取り入れたサウジ歌謡だった。サウジの若者の間ではヒップポップなどのアメリカン・ポップが人気だとか。S自身はジャズをよく聞くという。クラシック音楽についても聞いてみたが、クラシック音楽というジャンルをよく理解できないようだった。モーツアルトやベートーベンといった名前にも馴染みがないようだった。
- ジェッダでもアブハでも多くの猫を見かけた。猫たちは総じて痩せていた。これに対し、犬を見かけたことがない。これはイスラム教で犬が不浄とされているからなのだろうか。「そういうこともあるが、犬が飼われていないわけではない。牧羊犬もいる」とSは答える。ちょうどそのとき、どこからか犬の遠吠えが聞こえてきた。「ほら、いるではないか」とS。
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