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2022年11月13日日曜日

アルメニア・ジョージア2022 五、六日目(トビリシを歩く)

五日目(10月24日)

Guesthouse Differenceの朝食はちょっと遅めで、9時から10時と決まっている。9時過ぎに1階に降りていくと、テーブルには2人分の食事が用意されていた。私を含めて宿泊者は2人らしい。一泊3000円ほどの宿にしては量も質も満足できる朝食だった。

Guesthouse Differenceの朝食


このゲストハウスはトビリシ中心部(旧市街)から2.4Km離れており、歩けば3、40分かかる。トビリシに馴染むためにも、中心部まで歩くことにした。

11時に宿を出て、迷いに迷い(このときは確かネット接続なしで使える地図アプリのMAPS.MEを頼りにしていたにもかかわらず)、地下鉄のAvlabari駅にたどり着いた時には午後1時近くになっていた。

Avlabari駅から地下鉄でStation Square(Central Railway Station)駅まで行く。今回の旅では三井住友銀行のVISAカードとソニー銀行のVISAデビットカードを持参していたが、トビリシの地下鉄はこれらどちらのカードでも、改札機にタッチさえすれば乗車できる。チャージ分の残額が返金されない交通カードより便利だ。

中央鉄道駅近くについては13年前の記憶が少し残っている。2009年のトビリシ滞在中に宿としていたのが、中央駅の近くにある民家だったからだ。日本人のバックパッカーをターゲットした古びた民家だった。中央駅から歩いて10分もかからないその家をもう一度見たかった。たぶんここだろうという場所を見つけたが、中には入らなかった。当時5、60代の主人とその妻(重い糖尿病に苦しんでいた)、80歳を超えた主人の母親が営んでいた民泊。13年後の現在ではもう誰も泊めていないだろうし、生きているかどうかすらわからない。素泊まりにもかかわらず朝食を出してくれたり、いろいろ世話になった宿だが、ここは思い出だけにとどめておいたほうがいいだろう。

駅前には小さな出店がたくさん並んでおり、マーケットもあった。13年前にもマーケットはあったのだろうか。まったく記憶にない。

中央駅近くのマーケット


さて今日まずやるべきはSIMカードの入手だ。スマホ関連のグッズを販売している小さな店に飛び込み、1週間の期限付きでデータ通信量が無制限のSIMカードを購入した。通話機能はなし。値段は忘れたが、1000円くらいだっただろう。

この店の中年の女主人はちゃんとした英語をしゃべった。私が初級レベルのロシア語のフレーズをいくつか披露すると、「発音がいい。ジョージア人よりロシア語がうまい」と褒めてくれる。お世辞にせよ、悪い気はしない。女主人は中国語を勉強しており、学習ノートを見せてくれた。这个、 那个などの初歩的な中国語が手書きで記されていた。

再度地下鉄に乗り、Avlabari駅まで引き返す。クラ川を渡ると、石畳の道が続く旧市街だ。石畳はよく覚えているが、目に入ってくる光景は13年前の記憶と正確には一致しない。立派な橋(Peace Gridge)や川をまたいで山頂までのびるロープウェイなど、前回の訪問時にはなかった新しい要素も少なくない。

あてどもなく旧市街をぶらついたあと、まだ日の暮れないうちに、歩いて宿に帰る。帰りはあまり迷うことなく宿にたどり着いた。

もともとトビリシに3泊の計画だったから、明日が最終日となる。しかしこの2日間はただただ歩いただけで、トビリシを「垣間見た」実感すらない。そのうえ、今日購入したSIMカードは1週間無制限で使える。

そこでトビリシ滞在をあと2泊延長することにし、旧市街にあるMariam RというホテルをBooking.comを通じて予約した。朝食付きで1泊7500円ほどの宿だ。Guesthouse Differenceの2倍以上の宿だが、値段よりも快適さを選んだ。

六日目(10月25日)

朝食の席でロシア人の2人連れと一緒になった。50歳代くらいの男性と20代とおぼしき男性。父子とみたが、顔があまり似ていないし、ほんとうのところはわからない。話し相手となったのは父(?)のほうだけ。若い方は英語ができないのか、口を挟むことはまったくなかった。

彼らはモスクワ近郊からトビリシまで車でやってきた。戦争を逃れるためだ。互いのプーチン批判を交換し、「Putin is crazy」という結論で一致した。2人はこれからどの国に向かうのかまだ決めていないとのことだった。

この日も歩いて旧市街を目指した。宿から2、3軒を過ぎたころ、木戸口からバケツを下げた老婆が出てきて、私にロシア語で話しかけた。何を言っているのかよくわからない。バケツを持つのを手伝ってくれと言いたいのだろうか。しかし、よく聞いてみると、「私はジョージア(グルジア)人ではない。オセチア人だ」と言っている。なぜ老婆が東洋人の私に向かってそんなことを告げたのか、その理由はわからないが、オセチア人に会うのがはじめての私は少し感動した。

旧市街に着き、まず明日から2泊するMarium Rの所在地を確かめた。ホテルらしからぬ普通の民家のような門構えで、ちょっと見つけにくかった。

ハチャプリとビールで遅めの昼食とする。ハチャプリとはジョージア特産のチーズ入りのパン。13年前にも食べたことがある。代金は26ラリ。日本円で1300円。ごく普通の小規模なレストランで、値段もメニューのとおり。ぼられたわけではない。アルメニアもジョージアも平均月収は4~5万円くらい。アルメニアのセルフ式のレストランでも1000円を超えることが多かったが、日本の6分の1くらいの収入と日本並みの外食価格がどうcompatibleなのか、謎だ。

ハチャプリ



宿まではYandexを使って帰った。4ラリ(200円ほど)。


1 件のコメント:

  1. 外食の値段の高さと収入の低さの関係は謎ですね。ゲストハウスの朝食の写真を見ると量も質もしっかりしているので、物価は安いが外食産業の人件費が高いということですかねぇ。

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