10月27日
ホテルで朝食をとり、この日の「旧市街ウォーキングツアー」の集合場所である地下鉄Avlabari駅まで徒歩で向かう。ツアー開始は10時だが、9時40分に集合してくれとのことだった。
ジョージア人の女性ガイドの旗のもとに駅前に集まったのは、私以外にはインド人男性とベトナム人女性のカップル、合計3人だけ。まず駅の近くにあるツアー主催会社に赴き、簡単に自己紹介する。インド人男性とベトナム人女性はドバイで働いている。インド人男性は日本の商社伊藤忠のドバイ支社で24年間働いていたという。現在はドバイで自分のビジネスを立ち上げているらしい。ベトナム人女性はドバイ在住5年。連れ合いのインド人男性によれば、(彼女は)英語は聞いて理解できるが、話すのは苦手とのことだった。
まず案内されたのは、Avlabari駅近くのMetekhi Chrch(メテヒ教会)だった。ガイドによれば、この教会はグルジア正教会ではなくグレゴリアン教会に属しているとのことだった。しかし、帰国してから調べてみても、「グレゴリアン教会」なるものの正体はわからなかった。逆に、「メテヒはグルジア正教」との記述も見つかった。
ロシア帝政時代にはメテヒ教会は監獄として使われていた。若き日のスターリンもここに投獄されていたとか。
Peace Bridge(平和橋)を渡り、石畳の旧市街に入る。平和橋は2010年、つまり私の前回のジョージア訪問の翌年に建造された。イタリア人の設計になるモダンな橋だ。
ガイドともに旧市街を歩く。私が昨日立ち寄ったシオニ大聖堂にも入った。
ちょっと滑稽なブロンズ像が石畳の真ん中にちょこんと座っている。13年前に写真に収めておいた像だ。昨日からこの像を探していたのだが、君はここにいたのか。
酒杯を手にする像
地下にあるパン屋に入り、手作りのパンを1つ提供される。これもツアーの代金に含まれているらしい。私は中にクリームをつめた揚げパンを選んだ。クリームがたっぷり入っており、なかなかのおいしさだ。
再びクラ川の右岸に移る。ロープウェイに乗り、対岸の山頂にある巨大な「ジョージアの母」の像に行くためだ。
「ジョージアの母」はよく覚えている。まだロープウェイのなかった13年前、麓から徒歩で山頂まで登った。像のもとには私以外にはジョージア人の若いカップルが一組いるだけだった。
13年前とは大違い、ロープウェイを降りてまず目につくのは、道の両側に立ち並ぶ土産物屋などの店舗。10軒はあっただろう。それに見合うだけ観光客の数も多い。あちこちでロシア語が聞こえる。ロープウェイ効果だ。
山頂から一望したトビリシ
山頂から旧市街へは歩いて戻った。旧市街から植物園を抜けて、滝を見る。この滝を見るのははじめて。存在すら知らなかった。最後にモスクに立ち寄り、2時過ぎにウォーキングツアーは終了...いやまだ終了ではない。ワインの試飲が残っている。Avlabari駅近くのツアー主催会社のオフィスに戻り、紙コップ一杯の赤ワインを飲みながら、会社スタッフの女性と話した。
時勢柄ロシアのウクライナ侵攻とジョージアの立ち位置が話題になった。ロシアとジョージアの関係は複雑だ。2008年には南オセチアを巡って戦争になり、ゴリなどの街が爆撃された(私は爆撃から半年後にゴリを訪れてた)。それ以前からロシア寄りのアブハジアの分離・独立の問題などがくすぶっていた。
旅行会社の女性によれば、巨大な隣国にジョージアが立ち向かうのは経済的にも軍事的にも不可能であり、ウクライナ侵攻についても中立を余儀なくさているとのことだった。「インドも中立的立場だ」とインド人男性がポツリと付け加える。
オフィスを出て、同行の2人と握手して別れた。「あなたと同行できたのはラッキーだった」とインド人男性。ラッキーだったのはこちらも同様だ。
疲れた体を休めるために宿に帰る。テラスでロシア人男性がパソコンを広げて作業をしている。この男性はいつもテラスの同じ席に陣取り、一日中パソコンで作業したり、大きな声でスマホで話していた。おそらくリモートワークをやっているのだろう。
興味があって声をかけてみた。30歳代とおぼしきこの男性(確かビクトルという名前だった)、推測どおり、ロシアから逃れてきたとのこと。妻子はロシアに残している。彼は言う。「動員令が出てもこれといった反対運動が起きない。動員されれば5割くらいの確率で戦死するのに、反対の声が大きくならないのは信じられない。これで決断がついた。ロシアから出るしかないと。へたにとどまって反対の声をあげると前線に送り込まれかねない。」「ジョージアはロシア人がビザフリーで入国できる数少ない国のひとつだ。しかもビザなしで356日居住できる。」
帰国してから調べてみると、ビザなしで1年間在住できるのは日本人も同じらしい。このところジョージアに住み着いて働いている日本人の動画がいくつかYouTubeにアップされているが、こういうビザ事情があったのだ。
「あなたは英語もできるし、仕事もリモートから可能だ。しかし、ロシアの田舎に住み、外国語はできない、へたをするとパスポートすらもっていない、こうした若者にとってとどまる以外に選択肢があるだろうか」と私の感想を述べておいた。実際、ビザが不必要としても、1泊5000円以上の宿に長期間滞在するのは、ごく一部の富裕層を除けば難しいのではないだろうか。
体を休め、日も暮れかかるころ旧市街に出る。余談だが、トビリシにはリードを付けていない犬が頻繁に目に付いた。野良犬かどうかはわからない。それらの多くがぐったりと寝そべっている。夜の旧市街でもそうした犬に何匹か遭遇した。
夜の街に寝そべる犬
この日の夕食もシャウルマにした。昨夜とは別のスタンドで、中サイズが14ラリ(700円ほど)だった。
0 件のコメント:
コメントを投稿