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2024年7月31日水曜日

アゼルバイジャン2024 八日目(ShamakhaとGabalaへのツアー)

 7月12日

朝7時過ぎにSera boutique Hotelをチェックアウト。といっても管理人の部屋をノックしても返事はなく、鍵を受付の机の上に置き、ドアを内側からなんとか開けて外へ出ただけだ。その足でSherlock Hotelへ向かい(このホテルは24時間オープン)、バックパックを預け、夜の11時頃にチェックインする旨を伝えておく。

Shamakha & Gabalaツアーは7時40分に集合ポイントである旧市街のダブルゲートを出発した。小型バスに乗り合わせたのは、ロシア人女性2人、カザフ人女性2人、インド系オーストラリア人のカップル、パキスタン人男性、オマーン人男性2人、フィリピン人の3人組(女性2人と男性1人)、それに私、合計12人のツアーだ。ガイドは2人乗っていた。英語担当の50代くらいの男性とロシア語担当の2~30代の女性だ。

例によって私は勉強不足。ShamakhaとGabalaがアゼルバイジャンのどこに位置するのかを確かめたくらいで、それぞれの場所の歴史や自然に関しては無知のままだった。

まず訪れたのがShamakhaのモスク。モスクに入るには女性はスカーフを着用しなければならない。ミニスカートはもちろん不可。女性も男性も短すぎる半ズボンでは入れない。オマーン人の男性1人が半ズボンのせいで入れなかった。オマーンはモスレムの国だから、当然こうした規則は知っていたはずなのに。

Shamakhaのモスクへ向かうツアー一行


モスクの内部

モスクのあとは昼食。これはツアーの代金に含まれており、メニューを選択する余地はない。スープ、サラダ、肉(たぶん羊)とライス、パン。肉は柔らかくおいしかったが、骨の部分が多かった。

レストランに入る

昼食

昼食後は湖と滝を巡り、最後にツアーのハイライトであるGabalaに到着して、ケーブルカーに乗る。私はフィリピン3人組に同乗した。ケーブルカーからの眺めが売り物なのだろうが、驚嘆するような景色ではないというのが正直な感想。

滝の入口(急な石段ということもあり私は滝の全景が見える場所には行かなかった)

ケーブルカーからの眺め

ツアーの全行程を終えてバクーへ向けて出発したのは午後6時過ぎ。バクーに着いたの夜の11時近く。途中スーパーに立ち寄ってくれたのは幸いだった。夕食用のパンと飲み物を購入し、バスの中で食べた。

11時過ぎにSherlock Hotelにチェックイン。案内されたのは広い部屋だった。ダブルベッドにシングルベッドが2つ。本来は家族用の部屋だろう。

このようにして終わったShamakha & Gabalaツアーだが、私にとって興味深かったのは、ツアーそのものよりも、同行者との会話だ。

オマーン人男性2人
オマーンの人と話すのははじめて。オマーンは旅行先として検討したこともあり、彼らとの会話は興味深かった。オマーンでは英語がいわば公用語らしい。教育は小学校からすべて英語で行われている。こうした事情は旅行には便利だ。ぜひオマーンに来いと誘われる。

ロシア人女性2人
サンクトペテルブルク在住の2人組。経済制裁の影響はもちろんあるが、外で報道されているほどのレベルではないという。ビザ規制の厳しい欧州への旅行も「不可能ではない」とのこと。

インド系オーストラリア人のカップル
どちらもオーストラリア生まれ。現在アブダビで金融関係の仕事をしている。

フィリピン3人組
彼らもアブダビで働いている。アゼルバイジャン滞在はわずか3日とのこと。インスタグラム用の写真撮影にことのほか熱心だった。

パキスタン人男性
技術者。イラクの韓国企業で働いている。私に「韓国人か」と尋ねてきたのはそのせいだろう。

2024年7月30日火曜日

アゼルバイジャン2024 七日目(旧市街ウォーキング・ツアー)

 7月11日

バクー市内ツアーを予約したTES Tourからメールが届いている。なんと今日のツアーは中止とのこと。私以外に申し込んでいた3人がキャンセルしてしまったためだ。その代わり、旧市街ウォーキング・ツアーに無料で参加できるという。10時ごろにTES Tourを訪れ、昨日支払った50マナトを返金してもらう。

城壁に囲まれた旧市街を歩くツアーは11時に始まった。といっても参加者は私以外にはかなり高齢の英国人女性クリスティーひとりだけ。シルヴァンシャー王朝やオスマン帝国に支配され、ゾロアスター教とイスラムが交差するバクーの歴史。旧市街に残されたその遺跡は、ソ連時代には軽視され、なかば忘れられていた。旧市街を歩きながらガイドはそうした流れを説明するが、私の頭には入ってこない。英語が聞き取りにくいということもあるが、基礎となる歴史的文化的な知識が不足していることが大きい。

世界遺産のシルヴァンシャー宮殿の入場料は25マナト(2400円ほど)。入場料の高さから私は入りたくなかったのが、クリスティーナのリクエストで入場することになった。

Aliaga Vahidというアゼルバイジャンの現代詩人の不思議な頭像も見た。頭髪や側頭部、後頭部にそれぞれ細かい彫刻が組み込まれているのだ。

最後にお茶とお菓子を売っている店に入って休憩した。こうした場所では、お茶かお菓子を購入することが礼儀なのだが、クリスティーナも私も何も買わなかった。その代わり、お茶とお菓子の代金(1人あたり700円くらい)は払っておいた。お茶もお菓子もおいしかったのだが、私のバックパックには土産物を入れるスペースがない。ツアーが終了したのは2時半だった。

ガイドとクリスティーナ


旧市街の遺跡

詩人の頭像

お茶とお菓子で休憩


シェキへのツアーをあきらめきれない私は客引きに導かれてATI Travelという旅行代理店を訪れた。この代理店ではシェキへのツアーは日帰りではなく、1泊となる。バクーとシェキの距離を考えれば、このほうが合理的だ。日帰りでは無理がある。ただ、シェキ1泊のツアーを申し込んでいる人はほとんどおらず、明日や明後日にツアーが成立する可能性は低い。

そこでシェキ行きの通過点となるShamakhaとGabalaへの明日の日帰りツアーを申し込んだ。朝7時半に出発して、午後11時過ぎにバクーに戻ってくる、まさにfull dayのツアーだ。料金は各種入場料やランチを含めて120マナト(一万円強)。

当初はSera Boutique Hotelに延泊することも考えていたが、明日バクーに戻ってくるのが夜の11時過ぎとなると、宿を替えたほうが無難だ。Sera Boutique Hotelではその時間にドアが開いているかどうか疑問だし、そこらへんの事情をGoogle翻訳で伝えられるかどうかも確かでない。

Sera boutique Hotelから歩いて5分もしないところにSherlock Hotelというホテルがある。ここにあたってみよう。

ちゃんとしたレセプションがあり、受付の男性は英語を話す。明日から3泊したいこと、チェックインは明日の午後11時以降になること、それまでバックパックを預かってもらいたいことを伝える。すべてOK。料金は朝食付きで1泊70マナト(6000円ほど)。最初に泊まったMadinah Hotelより少し高いが、立地のよさを考えれば納得の値段だ。

Sherlock Hotel

夕食は近くのパン屋で買ったシャオルマとパン、コーラで済ます。

2024年7月28日日曜日

アゼルバイジャン2024 六日目(バクーに戻る)

 7月10日

9時過ぎにXinaliq Hotelをチェックアウトし、オートバクザール(バス・ターミナル)へ向かう。40分の道のりを歩く気はなく、タクシーを使う(クバでは配車アプリを使用できなかった)。3マナト。少しぼられている可能性がある。

オートバクザールでガンジャ行きの切符を求めるが、「バクーへ戻って買え」と言われる。ここからはガンジャ行きは出ていないらしい。シェキ行きのバスもないだろう。とりあえずバクーに戻るしかない。バクー行きは往きよりも1マナト高く、5.9マナト(550円ほど)だった。

10時半に出発したバスは2時間ちょっとでバクーのオートバクザールに到着した。オートバクザールに着いたとき、「シェキ?」と声をかける男がいた。このままシェキ行きのバスに乗り換えてしまえばよかったかもしれない。いったんバクーの市内まで出ると、またここに戻ってくるのが面倒になるからだ。ただ、バクーからはシェキをはじめ各地へのツアーが出ているから、ツアーを利用するほうが手っ取り早いだろう。

オートバクザールからバクーの旧市街までBoltタクシーで行く。アプリに示された料金が7マナトほどだったので、降車の際に10マナトの紙幣を出しおつりをもらおうとするが、若い運転手は「(料金は)10マナト」と言う。問い直すが、あくまで「10マナト」を譲らない。ここでも3マナトほどをぼられてしまった。

後日、路上のキオスクでアイスクリームを買ったときも、「6マナト」と言われてそのまま払ってしまった。せいぜい1マナトくらいのアイスクリームだ。

こうした体験がアゼルバイジャンの印象を悪くしてしまう。たいした金額ではない(せいぜい3、4百円)。しかし、お金より大切な地元の人への信頼が崩れてしまう。

ホテルは予約していない。旧市街に近く、Booking.comでの評判もよいSera Boutique Hotelに投宿することにした。アゼルバイジャンでの残りの滞在日数は5日だが、このホテルにはとりあえず2泊する。料金は2日で130マナト。つまり1泊650マナト(6000円ほど)。朝食は付かない。Madinah Hotelより少し高い。

Booking.comでこのホテルの評価が高い理由がよくわからない。旧市街の入口まで歩いて5分ほどだから、立地はいい。部屋の中も清潔だ。しかし、従業員はひとりだけで、英語をまったく解さない。Google翻訳で「会話」するしかない。エアコンはあるがスイッチのオン/オフがスムーズに行かない。冷蔵庫がないこともマイナス点。私以外の宿泊客には出会わなかった。

旧市街近くのツーリスト・エリアで遅めの昼食をとる。肉とライス、セブンアップで17.4マナト(約1700円)とツーリスト価格だ。

昼食

ツアーを探すために、旧市街のTES Tour Bakuという旅行代理店を訪れる。シェキまでのツアーは応募者が少なく、やっていないらしい。明日のバクー市内ツアーに申し込む。泥の火山やゴブスタンなど、バクーの近郊にまで足をのばすツアーで、料金は50マナト(ランチは含まない)。

客引きの誘いにのって他の旅行代理店も訪れた。シェキへのツアーもあったが、バスで片道6以上かかるため、日帰りのツアーではほぼ一日中バスの中で過ごすことになりそうだ。

夕食はホテルの隣のスーパーで買ったパンとスプライトで済ます。


アゼルバイジャン2024 五日目(Xinaliq Village)

 7月9日

昨日スーパーで買っておいたパンとヨーグルトで朝食を済ませ、10時にXinaliq村を目指して出発した。両側を絶壁に挟まれた細い山道を進む。山を抜けると広々とした草地が広がる。ジョージアへのカズベキへの道、ロシアのダゲスタンへ向かう道にも似た、コーカサス特有の雄渾な山並みだ。1時間半ほどでXinaliqに到着。

山道をドライブ


Xinaliqu村に到着


Xinaliqの家々が山の腹にへばりついている。足が悪く杖をついている運転手は山の麓で待機し、私ひとりで山を登り始める。

Xinaliqの家並み

ジョージアのカズベキと同様、塀や垣、土台、家の一部は石を積み重ねて造られている。放し飼いの牛や羊がちらほら見られ、動物たちが落とした糞が道の至るところにある。そして人間。子供たちや女性が多い。生活の場に闖入した私に対して敵意が示されることはなく、「ハロー」と声がかかることもある。

村の中

村から下方を眺める

石造り


村を歩く

観光客らしき姿も3、4人見かけた。そのうち1人はガイドを伴った中国人の青年だった。観光客として訪れるぶんにはいいが、ここに暮らすのはたいへんだ。舗装されていない石ころだらけの坂道を歩くのは、老人や身体障害者にとって並大抵ではない。中国のミャオ族の山村で抱いたのと同じ感想だ。

1時間余り村を探索してから、麓で待っている運転手のもとに戻る。

ホテルに帰ってきたときには2時を過ぎていた。部屋で一休みしてから、町の中へ出る。昨日とは異なる小さな食堂で遅めの昼食。パンに挟んだケバブとコーラで3マナト(300円弱)。安い。安すぎる。昨日の食堂では同じようなもの(ただしコーラは大瓶)を注文して6.4マナトだった。コーラの代金を含むのを忘れているのかもしれない。

昼食

昼食後に目指したのはクルムズ・ガサバ(赤い村)。20年ほど前に発行された「旅行人」のガイドブックによると「イラン系のタート語を話す山岳ユダヤ人の町」とのこと。秘境マニアの私としては欠かすわけにはいかない。しかしLonely Planetには「痕跡を残すものはほとんどなく、クバの他の地区と異なるとすれば、住民が総じて豊かなことくらいだ」とある。

公園を通り抜け、川を渡り、30分以上歩いて「赤い村」らしき場所に着く。たしかにこれといった特徴はなく、クバの一部として違和感なく溶け込んでいる。特に豊だという印象もない。ただし、シナゴーグとユダヤ博物館(Jews Museum)がユダヤ系の痕跡をわずかにとどめている。シナゴーグは兵士2人によって守られており、博物館の前には警官2人が配置されていた。博物館は閉館中だった。

ダビデの星が描かれたシナゴーグ

歩いて町の中心まで戻り、スーパーでヨーグルトとフルーツジュースを購入。明日はクバを離れ、アゼルバイジャン第2の都市であるガンジャ、あるいは観光地のシェキに向かうつもりだが、そのままバクーに帰るという選択肢もある。

2024年7月27日土曜日

アゼルバイジャン2024 四日目(クバへ)

 7月8日

朝食後、9時過ぎにMadinah Hotelをチェックアウト。チェックアウト時、受付の男性がBooking.comの私の予約ページを開くように求めてくる。指示どおりにMadinah Hotelを評価するページを開く。ホテルを評価してほしいらしい。スタッフを目の前にして悪い評価は付けられない。9をクリックしておいた。Booking.comでこのホテルの評価が9.2と高い裏にはこうしたからくりがあったのか。

ただし、9は私の実際の評価に近い。スタッフの対応、清潔さ、朝食などは十分に満足できるものだった。難点を挙げるとすれば、旧市街まで遠いこと、室内のWifiの信号が弱かったことくらいだ。

Cuba(クバ)行きのバスが出るオートバクザール(バス・ターミナル)へは配車アプリのBoltを使って行った。30分近くの乗車で7マナト(700円弱)。

クバ行きの小型バスは10時半ごろに出発した。バスは2時間半かけて(途中トイレ休憩あり)、クバのオートバクザールへ到着した。オートバクザールは新しく外観は立派だが、あまり人を見かけなかった。停車しているバスの数もそう多くない。バスの同乗者も大半が手前の駅で降車している。空白の中にぽつんと建っているようなターミナルだ。

クバ行きのバスの中

クバのオートバクザール


グーグル・マップで確かめると、ホテルやショップはかなり離れている。目を付けているXinaliq Hotelを目指し(予約はしていない)、バックパックを背負って歩く。歩いても歩いて目に入ってくるのは住宅だけだ。日差しも強い。「こんなに何もない地にどうしてやってきたのだろう」との後悔が頭をよぎる。

40分以上歩いて、やっと店やホテルが見えてきた。Xinaliq Hotelはすぐに見つかった。1泊15マナト(1500円弱)。2泊することにした。Xinaliq(日本語ではフナルッグと記されていることが多い)とは、クバ近郊の小さな山村を指す。標高2500メートルの孤立した村で、住民は独自の言語を話すという。いわば秘境だ。明日はこの秘境を目指す。

Xinaliq Hotelは値段相応の質だった。Wifiが飛んでいないのはともかく、エアコンと冷蔵庫がないのはつらい。シャワーもチョロチョロしか出ない。立地はよい。バザールに面しており、スーパーや食堂には事欠かない。

Xinaliqu Hotel

スーパーで多少の飲食物を購入したあと、5時半ごろに小さな食堂で昼食兼夕食をとった。注文したのはビーフのケバブを薄いパンで包んだ料理(シャオルマ?)とコーラ。6.4マナト(600円ほど)だった。

シャオルマ?

明日のXinaliq村行きをホテルの前にたむろしていたタクシー運転手に依頼しておく。運転手はホテルのオーナーとは顔なじみのようだ。村までの往復で60マナト(6000円弱)。ちょっとぼられたかもしれないが、相場を知らないのでなんとも言えない。

2024年7月26日金曜日

アゼルバイジャン2024 三日目(バクー続き)

 7月7日

9時前に朝食をとったあと、配車アプリのBoltを使って旧市街のMaiden Tower(乙女の塔)まで行く。料金は失念したが、500円くらいだっただろうか。Maiden Towerの前には旅行代理店の客引きが何人もたむろし、観光客を各種ツアーに勧誘している。若い女性の客引きが話しかけてくる。ツアーには興味があるから、話を聞き、パンフレットをもらう。

Maiden Tower


明日はバクーを発つ予定なので、ツアーに参加するのは再度バクーに帰ってきてからになる。明日私が向かおうとしていたのは北部のQuba(クバ)だ。ダゲスタンに比較的近いことから、この地を次の目的地として選んだ。問題はどのバス・ターミナルからクバ行きのバスが出ているかだ。客引きの女性に尋ねると「オートバクザール」という返事だった。ここでロシア語の知識が少し役立った。「オート」は「オートブス」、つまりバスのことだろう。バグザールはロシア語で「駅」。クバまではバスで2時間ちょっとの距離。バスは頻繁に出ている。「オートバクザール」は「International Bus Terminal」とも呼ばれているらしい。

昨日バザールへ行けなかったこともあり、今日はVasil Bazarという青果市場を訪れることにした。旧市街に最寄りの駅から地下鉄に乗り、Vasil Bazarに近くの駅まで行き、そこから歩く。初日にバスと地下鉄を混同し、プラットフォームまで行ったことはあるが、実際に乗るのは今日がはじめてだ。

バクーの地下鉄はRed LineとGreen Lineという2本の路線から構成されており、単純ではあるが、カバーする範囲は広くなく、駅も少ないため、交通手段としてあまり便利ではない。

地下鉄

旧市街を出てVasil Bazarにたどり着くまで1時間近くはかかっただろうか。途中小雨が降りだしたがすぐに止んだ。

Vasil Bazarは青果を中心とした食品と雑貨の市場で、外国人の私が通りかかると、売り込みの声がかかる。

Vasil Bazar

地下鉄を利用して旧市街まで戻り、そのままカスピ海に出て、昨日と同様にDeniz Mall (Waterfront mall)に入る。今日も昼食は抜いている。5時半ごろに夕食をとることにし、フードコートでアゼルらしい料理と思って注文する。が、出てきたのはピザの上に挽肉とジャガイモを載せた1品だった。コーラと併せて7.4マナト(700円ほど)。

夕食

7時過ぎにはホテルに戻る。旧市街やNesami Street、Vasil Bazarまでの道と、バクーの中を歩き回る一日だった。

2024年7月25日木曜日

アゼルバイジャン2024 二日目(バクー)

 7月6日

Madinah Hotelの昼食は8時から10時まで。8時過ぎに6階の朝食会場に行く。ビュッフェ式の朝食は1泊5000円という値段にしては充実していた。中年の女性2人と若い男性1人のグループと少し会話する。女性1人と男性はトルコ人で、もう1人の女性は彼らの友人のアゼルバイジャン人とのこと。トルコ語とアゼルバイジャン語は互いに意思疎通が可能らしい。

朝食

11時半にホテルを出る。このホテルはカスピ海には近いが、バクーの中心である旧市街やFountain Squareには徒歩で30分以上かかる。バクーを知るためにも、カスピ海沿いに北方に向かい、街の中心まで歩いてみた。日差しは強いが、汗をかくほどではなく、快適な散歩になった。観覧車やシドニーのオペラハウスを想起させる大きな建物が目に入る。この建物はDeniz Mall (Waterfront Mall)というショッピング・モールだ。

観覧車とショッピング・モール


カスピ海

カスピ海沿いの公園のベンチで休んでいると、50~60代くらいの男性が「イポーニア(日本)?」とロシア語で声をかけてきた。ニイハオと挨拶されることはよくあるが、日本人かと尋ねられることは珍しい(実際、今回の旅では日本人を誰一人見かけなかった)。男性はロシアのダゲスタンから来ているという。ダゲスタンは一度足を踏み入れたこともあり、再訪したいと思っている場所でもあったので、男の話につたないロシア語で対応した。男は服装こそ普通だが、物乞いだった。「食べるものを買いたいのでお金をくれ」と言う。これには、「ウミニャー ニエット ジェーニク」(私はお金を持っていない)と文法的にも正確な(ちゃんと否定生格を使っている)完璧なロシア語で答えた。男は無言で去って行った。

旧市街を通り抜け、Fountain SquareからNesami Streetへ出る。両替所があったので、昨日空港で拒否されたカナダドルを交換する。旧紙幣ということで通常より低いレートでの交換だったが、200マナト(2万円あまり)の現金を入手できた。

お金もできたところで、Taza basar(タザ・バザール)を目指す。グーグル・マップに従って歩くこと30分以上、バザールのあるべき場所に達したがなにも見当たらない(Taza Basarは移転していたことを後日知る)。

再び長い距離を歩いてカスピ海沿いに戻り、ベンチで休む。目の前を6、7人の家族連れが通りかかる。女性陣の服装(全員が黒いアバヤ、目だけを露出したニカブを着用している女性もいる)から判断して、おそらくアラブ圏からの観光客だろう。一行は私のベンチの前に立ち止まり、家長らしい男性が私に「Japan?」と聞いてきた。

案の定、彼らはサウジアラビアからの観光客だった。男性が私に声をかけたのは日本への興味かららしい。16歳の息子は大の日本びいきとのこと。本人も日本へ旅行経験があり、「街はきれいで、人は親切」とべた褒めだった。別に私が褒められたわけではないが、聞いて悪い気はしない。私も数年前のサウジ旅行について話した。この時期(7月)のサウジは気温が50度を超え、車の中ではエアコンも効かないほどだという。彼らにとってアゼルバイジャン旅行は避暑をかねている。

朝食をたっぷり食べたこともあり、昼食は抜いていた。少し早めだが、午後6時ごろにDeniz Mallのフードコートで夕食をとることした。フードコートにはマクドナルドやKFCもあるが、アゼルバイジャンまで来て米国のファストフードはないだろう。パンの上にケバブが載った料理とコーラを注文した。値段は10マナト強(約1000円)。

フードコートで夕食

夕食後、ぶらぶら歩きながらホテルへ戻った。今日は一日よく歩いた。隣のスーパーでヨーグルトを買ってから部屋に入る。

カスピ海沿いを歩く

2024年7月23日火曜日

アゼルバイジャン2024 一日目(バクー到着)

7月5日

アゼルバイジャン行きを思い立ったのは、アルメニアやモンゴルの場合と同様、「まだ訪れていない国だから」という、いわば消極的な理由からだった。正直なところ、石油と天然ガスで潤うアゼルバイジャン、「ミニ・ドバイ」とも称されるその首都バクーに対する興味はそれほど強くなかった。だが、南コーカサスでまだ足を踏み入れていないただひとつの国をこのまま残しておきたくはない。加えて、エミレーツ航空の関空・バクー往復便が15万円ちょっとと比較的安かったことが背中を押した。

かくて7月4日23時35分に関空を発ち、中継地のドバイで9時間待ち(3時間待ちの便もあったのだが、値段が4万円アップする)、翌日5日の午後4時半にドバイ空港に着いた。入国に必要なアライバル・ビザは無料で、マシンで取得できた(実際には女性係官がすべてやってくれたのでマシンに触る必要もなかった)。入国審査では「なぜアルメニアを訪れたのか」と聞かれた。これは私のパスポートにアルメニアのスタンプが押されていたためだ。「Just for tourism」と答えたら、それ以上聞かれることはなかった。

いつもながら、入国してすぐにやるべきことは多い。まずは両替。円安になる前から蓄えていたいくばくかの外貨のうち、110ユーロをアゼルバイジャンの通貨(マナト)に交換する。英国のボンドも両替したかったが、「紙幣が古い」という理由で拒否された(後日、市内では割引レートながら古いポンド紙幣の両替は可能だった)。

続いてSIMカード。15日間15GBのカードを30マナト(2800円ほど)で購入。後に得た情報では空港でSIMカードを購入するのは得策ではないとのこと。市内のほうが安く入手できるらしい。

最後に地下鉄やバスに使用する交通カード(バクー・カード)を購入する必要がある。カードは空港を出たところにあるマシンから入手できる。そばにいた男性の助けをかりながらなんとかカードを手に入れる。カード代は2マナト(200円弱)。10マナト札をマシンに挿入したため、8マナトがチャージされる形になった(マシンはおつりを出してくれない)。

ホテルはBooking.comを通じて予約済みだった。朝食付きで1泊5000円ほどのMadinah Hotelだ。

空港を出たところにAirport Expressというバスが目に入る。このバスで市内まで出て、ホテルに向かうことにする。買ったばかりのバクー・カードでバスに乗車し、終点の28 Mayという地下鉄駅まで行く。グーグル・マップを見てホテルまでの経路を調べる。ここでマップに表示された地下鉄とバスのアイコンを勘違いし、てっきり地下鉄で行くものと誤解した。地下鉄のホームに降り立つが、ホテルに至近の駅が表示されていない。グーグル・マップで指示されているのはバスの停留所だから当然だ。

周りの人にグーグル・マップを見せて聞き回り、やっと私の乗るべきなのが125という路線のバスであることが判明した。

バクーの人たちは優しかった。私の要領を得ない英語での質問に親切に対応してくれる。最終的に、英語を話す初老の男性が(彼自身も通行人に尋ねながら)私を125のバスの停留所まで連れて行ってくれた。停留所には125の番号は表示されておらず、私一人ならとうていたどり着けなかっただろう。

なんとかホテルの至近の停留所で降車できた。幸い、そこから100メートルくらい離れたところにあるホテルはすぐに見つかった。チェックインしたときの時刻はすでに9時を過ぎていた。ここにはとりあえず3泊することになる。ホテルの隣にあるスーパーで菓子パン、イワシの缶詰(これを開けるのに苦労した)、フルーツジュースなどを購入して夕食代わりとし、あたふたとしたバクー初日は終わった。

Madinah Hotel(翌日撮影)


ホテルの室内