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2025年5月27日火曜日

ブータン2025 七日目(帰国、感想)

 5月5日

朝食後、ホテル近くのショッピング・モールへ行く。ここで手持ちのインド・ルピーを使い切りたいところだ。広いモールの中を見て回る。食品や雑貨、衣服などを売っている。シャツを購入して1000円余りを使う。まだ5000円分くらいのルピーが残っているが、買うべきものが見当たらない。デリー空港で3時間ほどの待ち時間があるから、そのときに免税品でも買おう。

一行、ショッピング・モールへ入る

モールの中


レストランで昼食をとり、バグドグラ空港へ向かう。ちょっと厳しいセキュリティ・チェックを通過してデリーまで2時間ちょっとのフライト。デリー空港で手持ちのルピーを使いきろうとしていたところ、予想に反して、両替デスクでルピーを米ドルに交換することができた。ラッキー。35ドルを手にした。

羽田行きを待機中、10 人ほどのネパール人の若者たちと言葉を交わす。埼玉県の日本語学校行くところだとのこと。日本語を交えて話してみたが、日本語はまだおぼつかない様子だった。

羽田までのフライトはスムーズだった。定刻より30分ほど早く、翌6日の午前7時ごろに到着し、8日間のブータン・ツアーは無事終了した。

若干の感想

北朝鮮旅行を除き、私がグループ・ツアーに参加することはめずらしい。「中国貴州省2016」(このときも西遊旅行だった)に詳しく書いたことだが、グループ・ツアーには長所もあれば短所もある。長所はともかく楽なこと。ホテルやレストランを探す必要もなければ、道に迷うこともなく、快適に旅行できる。逆に短所は、どこを訪れ、どのように歩いたかの記憶が希薄になることだ。迷いながら探索することを通じてのみ、訪れた場所の空気にふれ、人とふれあうことができる。

貴州省の旅と同様、今回もツアーのメンバーに恵まれた。自分の無知と限界を思い知らされながらも、和気藹々と旅をすることができた。

ブータンはユニークな場所だった。北朝鮮とは別の意味での独特さ。行く所々でブータンでしか見られない光景が展開される。公務員などには着用が義務づけられている民族衣装の「キラ」と「ゴ」。ブータン特有の建築様式。ブータン以外の国では見られない風景だ。

ブータン特有の光景

「幸せの国」と呼ばれるブータンでの幸せの実態はどうだろうか。若者の失業率の上昇、以前からあるネパール系ブータン人の難民化など、ガイドに尋ねたかったところだが、「和」を乱すことを恐れる日本人特有の性向だろうか、問うことがはばかられた。

ポートレートが至るところに飾れている国王(とその家族)についても聞きそびれた。国王を褒め称える言葉は何回も耳にしたが、(北朝鮮とは異なり)これはおそらく本音、あるいは少なくとも本音の一部だろう。だが、別の意見、現体制に対する異議がブータンに皆無なのかどうか、知りたいところだった。

我がグループの中の若い女性は、ガイドや運転手と一緒にクラブやカラオケを訪れたとのことだった。彼女はその場にいた高校生たちに「国王をどう思うか」という主旨の質問をした。答えはすべて好意的なものだったという。

国王夫妻


2025年5月26日月曜日

ブータン2025 六日目(再びインドへ)

 5月4日

今日はブータンを離れる日。インドの国境の町ジャイガオンでの入国窓口が午後1時半に閉まることから、ホテルでの朝食を早々に終え、7時に国境へ向けて出発した。ブータン入国時とは逆のコースをたどり、入国時と同じカフェで休憩、11時半ごろにブータンの国境の町プンツォリンに到着した。レストランで昼食を済ませ、近くのスーパーへ買い物へ。これは余っているブータン・ルピーを使いきるためだ。

デリーの空港で1万円をインド・ルピーに両替していた。インド・ルピーはそのままブータンでも使用できる(1インド・ルピー=1ブータン・ルピー)。ブータンでは若干のインド・ルピーを使った(食事時のビールや野菜市場での山羊バターなど)。このため、お釣りとして受け取ったブータン・ルピーが少し手元にある。ブータン・ルピーはインドでは使えない。つまりブータン・ルピーをここで使い切ってしまう必要がある。事情は他のツアー・メンバーの場合も同じ。

私の場合はブータン・ルピーをほとんど使い切っており、スーパーでまとまったものを買うことはなかった。

レストランの窓から見たプンツォリン


プンツォリンのスーパー


ブータン出国の手続きは簡単だったが、ジャイガオンでの入国手続きは指紋認証に時間がかかり(なぜか私は指紋をとられなかった)、クローズ寸前の1時半ごろにやっと終わった。インド側まで付き添ってくれたブータンのガイドと運転手とはここでお別れ。

ジャイガオンまで迎えに来ていたインド人ガイドとともに西ベンガル州シリグリのホテル(Sinclairs Hotel)に着いたのは現地時間の6時過ぎ。シリグリはバグドグラ空港まで17kmの場所に位置している。今日はここで1泊し、明日バグドグラからデリー経由で羽田に飛ぶ。

再びインドへ


チェックイン後、夕食は7時半ということなので、この合間に「現地での散髪」を実行することにした。グーグル・マップによればホテルから徒歩4分の場所に理髪店がある。

念のためにホテルの従業員に理髪店の場所を尋ねると、私を先導してその店まで連れていってくれた。ところが、店にはすでに先客がいる。「20分くらい待ってくれ」ということだったが、時刻はすでに7時10分前。20分待てば、7時半の夕食の時間に間に合わないかもしれない。あきらめかけたとき、一緒に来たホテル従業員がすぐ近くの別の理髪店に案内してくれた。グーグル・マップに載っている店よりかなりショボいが、より本物の地元体験ができるから、こっちのほうが私の好みだ。散髪にとりかかる前に、理髪師がなにかゴソゴソしている。火をおこしているのだ。店内に煙が漂う。「プジャ」(お祈り)とのことだった。

10分余りで終わった散髪の代金は60ルピー(約120円)。付いてきてくれたホテル従業員にチップとして50ルピー(約100円)を渡す。適切な額かどうかはわからないが、不満の言葉が出ることもなかったので、OKなのだろう。

インドで散髪

明日はバグドグラ空港を14時25分に発つAir India便でデリーに飛び、3時間半ほどの待ち時間で羽田を目指す。

2025年5月24日土曜日

ブータン2025 五日目(タクツァン僧院、民家訪問)

 5月3日

8時ごろにホテルをチェックアウトし、パロに向かう。2時間ほどでパロに到着。パロには国際空港があり、ときおり上空に飛行機が見える。

パロに入る

パロの近くにはタクツァン僧院(別称「虎の巣」)がある。この僧院は標高3000mの岩壁に垂直に建てられており、ブータン観光の目玉、アイコンとなっている。5~6時間のハイキングでたどり着けるが、途中の第一展望台まで登るだけという選択肢もある。最後まで登るのはあきらめ、展望台からの眺めで満足するつもりだ。

我が日本人グループはラジオ体操で体をほぐしたあと、それぞれ杖を借りて、まずは展望台を目指す。舗装していない坂道を歩くのはつらい。日頃の鍛錬のなさを露呈して、私は自ずと最後尾になってしまった。疲労困憊した私のめんどうを見るかのように、添乗員が私のあとに続く。私より3歳年上の女性がしっかりした足取りではるか前を行く。さすが登山経験豊富な女性だけある。

第一展望台までの道


麓から展望台までは1時間余りの道のりだとされているが、私は2時間近くかけてようやくたどり着き、みんなに追いついた。ここで全員がしばしのティー・ブレーク(展望台にはカフェテリアが併設されている)。

展望台から僧院を望む

展望台から見たタクツァン僧院

展望台にとどまる私ともうひとりの女性を残し、他のメンバーは僧院を目指して登っていく。展望台にはいろいろな国からの観光客が休息を取っている。ドイツからやってきた2人の高齢女性とドイツ語での会話を試みる。話題はトーマス・マンをはじめとするドイツ文学や最近の政治情勢など。香港から来た女性2人組とも話す。

僧院を目指した連中が展望台に戻ってくるまでには少なくとも3時間はかかる。残された2人(私と女性1人)は、カフェテリアで昼食を済ませたあと、そうそうに下山することにした。予報されている雨が降る前に麓にもどっておきたかったからだ。

下る道も容易ではない。ベンチがあれば休みたくなる。女性には私を置いて先に行って貰うことにした。ときおり行き交う人々に声をかける。やはりインドからの観光客が多いようだが、ベトナム人の団体もいれば、ブータン人にも出会う。

麓に下り、バスに乗って、他のメンバーを待つ。雨がパラッと降ってきたが、すぐに止んだ。

全員揃ったところで、今日泊まるパロ市内のRiver Front Resortホテルに向かう。雨上がりの空には虹がさしている。


6時過ぎにRiver Front Resortホテルにチェックイン。清潔感のある広い部屋だ。

River Front Resortホテルの室内

今日の締めくくりは「民家訪問」。7時過ぎ、ホテルからバスで「民家」へ向かう。かなり大きな家だ。二階に上がり、床に直接に座って、一家の接待を受ける。ビール、ブータンの焼酎、バター茶などの飲み物に続き、いろいろな料理が出てくる。いずれもブータンの家庭料理と思われる。モモ(ネパール式餃子)もあった。辛い料理が多いが、おそらく日本人向けに辛さはかなり抑えられているのだろう。肉食派の私としては豚の背脂がことのほか美味だった。

民家

床に座り

ブータン料理を堪能

メンバーのひとりの誕生日が近いことこら、サプライズのケーキも提供され、ご相伴に与る。

食事が済むと、中庭でキャンプファイヤーを囲み、地元の若者たちによるブータンの歌と踊りを鑑賞した。本来は祭りの際に披露される仮面舞踏も見ることができた。ゆったりした歌と踊りは予想以上におもしろい。

ブータンの歌と踊り

最後に我々を含む全員で輪になって踊り、「民家訪問」を終えた。「民家」といっても、こうしたサービスを提供できるわけだから、いわばセミプロだろうが、食事も芸も十分に満足できる内容だった。

2025年5月21日水曜日

ブータン2025 四日目(冬の首都プナカへ)

 5月2日

朝食後、8時ごろにホテルを出る。目指すのはティンプーから70kmほど離れた「冬の首都」プナカ。プナカはティンプーよりも標高が1000mほど低く比較的温暖なため、かつて冬の間だけ首都となっていた。

ティンプーの近郊(バスの車窓から)


プナカに至る途中に、ブータン最古のシムトカ・ゾンを遠くに望み、標高3090mのドチュ・ラ(ドチュ峠)を越える。天気がよければドチュ・ラからヒマラヤを望めるとのことだったが、私の目では確かめることができなかった。たまたまスイス人観光客とフランス語で言葉を交わすことになった。彼は息子と一緒にバリでホテルを経営しており、インドネシア人のグループに交じってブータンを訪れたとのことだった。フランス語をほめられ、ちょっといい気分。

シムトカ・ゾンを望む


ドチュ・ラ


プナカ近郊の丘陵上に建つチミ・ラカンというお寺まで、ゆるやかな坂を上る。30分くらいはかかっただろうか。なんとか到達できたが、かなり疲れた。

チミ・ラカンまでの道


時刻は1時近く。昼食は川のほとりに用意されたテーブルでとることになった。いつものようにビュッフェ式。なるべく辛くないものを選んだ。

昼食は野外で

野外のビュッフェ

私が選んだ料理

昼食後に向かったのはプナカ・ゾン。中に入るには急な階段を登らなければならない。上がりはともかく、下りがこわい。ここは遠慮して、私ひとりだけ下で待つことにした。

プナカ・ゾン

ティンプーへ戻り、野菜市場を訪れたのは6時前。かなり大きな屋内市場だ。動画を撮りながら見て回る。動画を撮る私に対するブータンの人々の反応は総じて好意的で、笑顔を見せてくれる人が多い。小学生くらいの女の子3人組から声がかかる。”Which country are you from?”。ちゃんとした英語だ。女の子たちは3人とも12歳だった。

ブータンは英語教育に力を入れており、住民の英語能力は非常に高いと聞いていた。これはいろいろな場面で確かめられた。私たちのガイドの説明にもたびたび英語が交じっていた。おそらく英語のガイドもやっているのだろう。運転手も英語で十分に意思疎通できた。

私にとっては、寺院や城よりも、日常生活の一端を見ることのできるマーケットのほうが興味深い。寺院や城を鑑賞するだけの歴史的・文化的な知識の欠如を露呈しているだけなのかもしれないが。

野菜市場

野菜市場に続いて土産物屋を訪れた。女性陣の何人かはブータンの民族衣装「キラ」に興味を示し、試着していた。試着姿を見て私も「こっちのほうがよい」など、役にも立たない助言をした。

ホテルに戻って、女性は「キラ」、男性は「ゴ」の着付けタイムとなった。着付けは2、3人の
現地スタッフの手を借りてそれぞれの部屋で行われた。

「ゴ」を着る

夕食はホテルではなくティンプー市内のレストランで。スープとデザート、コーヒー以外はビュッフェ式。ビュッフェの品数の少なさはここでも同じ。「キラ」や「ゴ」を着用したままレストランに向かうことも可能だったが、私は自分の服に着替えた。「ゴ」の上に食物をこぼすことを恐れたからだ。「ゴ」で食事した男性によると、「非常に寒かった」とのこと。膝から下が靴下だけの「ゴ」は寒さに弱い。

レストランで夕食(8時過ぎ)


2025年5月19日月曜日

ブータン2025 三日目(ティンプー)

 5月1日

朝食に先立ち、ホテルの周りを散策する。ブータン特有の建物が目に付く。早朝だから人通りは多くない。ところどころで作業している人たちの肌は黒く、顔つきもブータン人と異なる。ネパール人かインド人だろう。

ブータン特有の建物(その1)


ブータン特有の建物(その2)


ホテルでのビュッフェ式の朝食後、ティンプーに向かって出発する。4時間ほどの道のり。道ばたにはときおりチベット仏教の旗が見られる。東チベットなどで見た風景だ。ガイドから旗の色の説明もあったが、内容は忘れてしまった。

チベット仏教の旗

ティーブレークを挟み、バスは1時半ごろにブータンの首都ティンプーに入る。少し大きめのレストランでランチ・タイム。工芸品などの土産物屋も兼ねたこのレストランには我々以外に数多くの中国人観光客もいた。昨日のホテル同様、このレストランのビュッフェも品数が限られていた。腹が減っていないこともあり、口にしたのはごく少量。

レストランで昼食

昼食後に向かったのはブータンの国獣ターキン(Takin)の動物園。ターキンとは頭部が山羊に似たウシ科の動物だ。インドや四川省にも生息しているらしいが、目にするのははじめて。なかなかに興味深い。

ターキン(その1)

ターキン(その2)

郵便局(観光客用で、切手をオーダーメイドすることもできる)を訪れ、街の中の手旗信号を写真や動画に収めたあと、4時ごろにホテル(The Willows Hotel)にチェックインした。これも私にとっては立派すぎるホテルだ。このホテルには2泊することになる。

手旗信号(信号機がないブータンでは手旗で交通を整理する)

The Willows Hotel

チェックイン後、5時過ぎにバスで向かった先はタシチョ・ゾン。「ゾン」とは「城」という意味らしいが、国王の執務室や国会議事堂といった政治的機能とチベット仏教の総本山という宗教的機能の両方を兼ね備えた建造物群であり、ティンプー随一の観光スポットとなっている。近くには国王の居住地である宮殿もある(外からうかがえるのは屋根だけ)。

タシチョ・ゾン

現地ガイドと一緒に

日も暮れかかるなか、10軒、20軒と同じような土産物屋が並ぶ通りを歩きながらホテルの方向を目指す。我々以外の観光客はあまり見当たらない。これだけの数の店がよくやっていけるものだ。

軒を並べる土産物屋

8時過ぎにホテルでビュッフェ式の夕食をとる。この日はブータンの伝統衣装(女性の「キラ」と男性の「ゴ」)の着付けも予定されていたが、時間の関係から明日に延期された。

首都のティンプーは思ったより近代的だった。高層ビルはなく、建物はどれもユニークなブータン風であるが、しゃれたショップや光があふれるストリートなど、それだけを切り取ればどの近代都市にも遜色はない。

2025年5月17日土曜日

ブータン2025 二日目(ブータンへ入る)

 4月30日

4時半に添乗員からのモーニングコールがあり、5時にホテルを出て、デリー空港に向かった。朝食はホテルでとる時間的余裕がなかったので、ホテルが用意した弁当をバスの中で食べる形になった。

ホテルが用意した朝食弁当


デリー空港を8時に離陸したAir India便は2時間ほどの飛行でバグドグラに到着した。短い飛行にもかかわらす、比較的充実した機内食が出された。「これだったらあの朝食弁当は必要なかった」というのは私だけでなく、ツアー同行者の多くの感想。

しっかりした機内食


バグドグラ到着


バグドグラから2台の専用バスに分乗して国境の町ジャイガオンに向かう。4、5時間の道のり。途中レストランに立ち寄り、ビュッフェ式の昼食をとる。ここで全員の簡単な自己紹介があった。

14年ぶりのインド。はじめて見る西ベンガル州...ではない。14年前に西ベンガル州の首都コルカタを訪れている。バグドグラの街のインド特有の混沌を通り抜けると、ダージリンの茶畑が広がる。コルカタでは見なかった風景だ。

ダージリンの茶畑


国境での出入国の手続きを終え、夕方6時ごろにブータンに足を踏み入れる。

国境を挟んで、インド側

ブータン側


ブータン側(プンツォリンという町)では、現地の日本語ガイドと運転手が専用車とともに我々を迎える。国境を隔て、インドとブータンでは雰囲気が一変する。個人的にはインドの混沌と乱雑も嫌いではない。

プンツォリンのParkホテルにチェックインし、ビュッフェ式の夕食となる。食事はまずまずだが、ビュッフェの品数が少ない(5、6種類)ことにがっかり。ビール(有料)を追加した。

ビュッフェ式の夕食

ホテルのすぐ近くにチベット教の寺院がイルミネーションに照らされている。夕食後に寺院まで出かけた。はじめて体験するブータンの夜。ネオンに輝くこの一角は思ったより近代的だ。人もそこそこ歩いている。「前近代的」というブータンに対する偏見が覆される第一歩だった。

夜の寺院

「ユニクロ」もある。間口1軒の小さな店だ。ツアー同行者たちは「ユニクロであるはずがない。パクリだろう」と言っていたが、商標をそっくりそのままパクるとは考えられない。おそらく本物だろう。中に入る。店主はインド人らしかった。あとで知ったことだが、ブータンではユニクロは高級店とみなされているらしい。

ユニクロ(後日ティンプーで見かけた店)

デリーからプンツォリンまで、今日は移動に費やした一日だった。明日はブータンの首都ティンプーに向かう。

2025年5月16日金曜日

ブータン2025 一日目(デリー到着)

 4月29日

4月29日から5月6日まで、ゴールデンウィークの間、西遊旅行社の「幸せの王国ブータン」ツアーに参加した。西遊旅行社のツアーに参加するのは、2016年の貴州省ツアーに次いで2回目、9年ぶりだ。

個人旅行ではなく、グループツアーを選んだのは、ブータン特有の事情からだ。北朝鮮やトルクメニスタンと同様、ブータン旅行には現地ガイドが必須となっていた。昨年以来、現地ガイドは必須でなくなったとの情報もあったが、どうもはっきりしない。個人でガイドを付けるよりグループでガイドを雇ったほうが当然安くなる。そこで、多少なじみのある西遊旅行のツアーを選んだ。西遊旅行ならブータン旅行の取り扱いにも慣れているはずだ。

今回のツアーはまずインドのデリーに飛び、1泊する。翌日デリーから国内便で西ベンガル州のバグドブラまで行き、そこから陸路でブータンに向かう。ブータンにはパロ国際空港があるから、バンコク経由で空路で直接に訪れるほが便利だが、陸路に比べて料金が15万円もアップするとのこと。

私としては西ベンガルを垣間見ることのできる陸路のほうがありがたい。

8時50分に羽田空港に集合(このため東京の品川に前泊した)、11時50分羽田発のAir Indiaの便でデリーに向かった。デリーには夜の7時前に到着、交通渋滞もあり、ホテル(Deventure Sarovar Portico)でビュッフェ式の夕食にありついたときには8時を過ぎていた。

Deventure Sarovar Porticoホテル


ホテルの室内


夕食

ツアー参加者は13名。添乗員は女性のSさん。のちのちわかってくることだが、ゴールデンウィーク中ということもあり、現役で働いている人も少なくない。東京(埼玉、千葉を含む)以外の地方からの参加者は私を含め3人。広島から母とその息子(32歳)が参加していた。私より3歳ほど上の女性が最高齢者だった。

デリーで宿泊したホテルは私にとっては高級ホテル。インドでこうしたホテルを選ぶのは、個人旅行では考えられない。

明日は朝8時発の国内便に乗るため、5時にホテルを出る。朝4時半にモーニングコールがあるから安心だ。