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2025年7月31日木曜日

バルト3国+ヘルシンキ2025 八日目(リガ最終日)

 7月9日

リガ最終日に予約していたのは大聖堂のすぐ近くにある4つ星のHotel Gutenbergs。1泊102ユーロだから、Hotel Justus(2泊で147ユーロ)よりかなり高い。

Hotel Gutenbergs


室内

Hotel Justusを11時過ぎにチェックアウトし、歩いて5分ほどのHotel Gutenbergsに直行する。幸いにアーリー・チェックインが可能だったので、部屋に入って少し休む。

ホテルを出て、運河まで歩く。目的は遊覧船による運河クルーズだ。20ドル払い、しばらく待ってから、7、8人の乗客を乗せた遊覧船が出発する。スピーカーからは英語でのガイダンスが流れる。

船は運河から川へ入り、海を垣間見て、50分ほどで再び運河に帰ってきた。

運河クルーズ


川へ出る

昨日のTourist Carとは異なり、歩いては見ることができない光景を目にしたわけだが、20ドルという価格に値するかどうかは微妙なところだ。

運河の近くにある自由記念碑(ラトビアの独立を記念して1935年に建造された塔)を写真に収め、新市街のほうへ行こうとしたのが、方向を完全に間違え、中央市場に向かって歩いていた。

自由記念碑

もともと方向感覚がないうえ、今日の朝からモバイルでネットに接続できなくなり(おそらくヘルシンキで買ったSimカードの容量を使い切ったためだろう)、グーグル・マップを使えないのが痛かった。

しかし中央市場に向かう途中に大きなショッピング・モールを見つけたのは幸いだった。このモールの中にLidoというセルフ・サービスのレストランがある。ここでかなり遅め(午後4時過ぎ)の昼食をとった。ポーク、肉じゃが(もどき)、カボチャのパイ、コーラで併せて10ユーロちょっと。安くはないが、これぐらいならaffordableだ。

Lidoで遅めの昼食

Lidoの店内(4時という時間帯にもかかわらず結構混んでいた)

食事後、旧市街をこれといった目的もなく散策してから、リガ大聖堂のすぐ近くのホテルに戻った。

モーバイル通信が不可という状況は厳しい。しかし明日はリトアニアのビリニュスに移動する。Simカードを買うならリトアニアに着いてからのほうがいいかもしれない。念のために、ホテルの受付の女性に「ラトビアでもリトアニアで使用できるSimカードを入手できないだろうか」と尋ねてみた。女性は電話を使っていろいろ探ってみてくれた。購入できないこともないらしいが、ちょっと面倒な様子だったので、Simカードの購入は明日に延ばした。

今から考えると、Simカードは必ずしも必要ではなかった。モバイル通信が必要なのは歩いているときだけ、グーグル・マップのためだけだ。予約や検索はホテルやレストランのWifiを利用すればOK。グーグル・マップがなくても、オフラインで使用できるMaps.meなどのアプリがある(実際、バルト3国のデータはMaps.meにダウンロード済みだった)。グーグル・マップそのものも、あらじめデータをダウンロードしておけばオフラインで使用できる。このことに気がついたのは帰国後だった。

夕食は昼間にスーパーで購入していた寿司とニシンの酢漬け、コーラで済ませた。

2025年7月30日水曜日

バルト3国+ヘルシンキ2025 七日目(リガ)

7月8日

8時前に 朝食をとる。これまでのホテルと同様、満足できる内容。ニシンの酢漬けを多めに皿に盛ったのもいつものとおり。

朝食


このホテルに留まるのは今日まで。明日はどうするか。選択肢は2つある。ひとつはリガにもう1泊すること。もうひとつは次の国リトアニアのシャウレイに行くこと。シャウレイには「十字架の丘」という観光スポットがあるうえ、リガとビリニュス(リトアニアの首都)のちょうど中間点という便利さもある。

だが、いろいろ動き回るのはおっくうだという怠け心のほうがまさり、このままリガでもう一日を過ごすほうを選んだ。このホテルで延泊するのもよいが、気分を変えるために、すぐ近くの一段格上のホテルをBooking.comを通じて予約しておいた。

これで2日間たっぷりとリガを観光できる。今日は曇天ながら雨は降っていない。まずホテル近くのリガ大聖堂に行く。大聖堂の前の広場(Dome Square)にはTourist Carが数台停まっている。10ユーロ払ってこれに乗り、30分かけて旧市街を回ってみた。これは失敗だった。歩いて回ったほうがよっぽどいい。日本語での説明をイヤホンで聞くこともできるが、まったく頭に入ってこない。

Tourist Car

気を取り直し、昨日外観だけ眺めた中央市場まで歩く。

リガの旧市街を歩く(1)

リガの旧市街を歩く(2)

中央市場は5つのドームとその周りの野外市場からなる。

中央市場(野外の野菜と果物の市場)

スイカ

もちろんちょっとした食堂やカフェもあれば、フードコードもある。

中央市場のフードコード

フードコードでクワス(Kvas)を飲む。20年前にロシアで飲んだことがあるかないか、記憶が曖昧だ。

フードコードは混んでいた。7、8人の大家族と相席になる。私の隣になったおばあさんがロシア語で何か話しかけてくる。よく理解できない。理解できないのも無理はない。「私はユダヤ人だ」と言っていたのだ。「ユダヤ人」なるロシア語の単語を知らない私に理解できるはずがない。おばあさんが「jewish」と言い換えてくれたことでやっと合点がいった。

おばあさんは78歳。ラトビアに生まれたが、1976年に米国に移住したとのこと。おばあさんが「私はトランプを支持する」と言ったことから、政治論議がはじまる。意見は違ったが、終始友好的に話すことができた。「息子は医師、娘は弁護士になった」と自慢するおばあさん。

その息子や孫たちも話しに加わる。息子がラトビアを離れたのは7歳のとき(漠然とした記憶が残っているという)。彼とは移民の問題などについて話した。排外主義の広がりを嘆く私に対し、移民の側でも受け入れ国に溶け込もう(integrate)とする努力が必要と主張する彼。

楽しい時間だった。この一家との対話は今回の旅行のハイライトとなった。

フードコートを出て、すぐ近くのバス・ターミナルに行く。日本人らしい高齢のカップルを見かける。困っている様子なので、つい声をかける。案の定、予約してあるホテルにどう行くか迷っているところだった。スマホでそのホテルの位置を確かめて助言する。バス・ターミナルにほど近い旧市街の入口にあるホテルだが、地下道を通って向こう側に渡る必要があるから、ちょっとやっかいだ。

タリンやヘルシンキ、そしてリガでもときどき団体や個人の日本人旅行者を見かけたが、言葉を交わしたのはこれがはじめてだった。

4時ごろにホテルに戻り、6時に再度外出。続けて街を散策し、「3人兄弟」なる建物を見たあと、旧市街を離れて橋を渡ろうとしたものの、途中であきらめて引き返した。遠すぎる。昨日と同様、スーパー(Rimi)でポテト・サラダやパンを購入して夕食とする。

橋を渡ろうとするが...

2025年7月29日火曜日

バルト3国+ヘルシンキ2025 六日目(リガへ)

 7月7日

7時半に朝食をとる。旧市街にしては安いホテルだが、朝食の内容に不満はない。もちろんニシンの酢漬けも用意されている。

Three Crowns Residentsの朝食


予約しているリガ行きのバスは10時35分にフェリー・ターミナルDを出発する。9時過ぎにホテルをチェックアウトし、ターミナルDまで歩く。バスには3人組の台湾人が乗り合わせており、いい旅の道連れとなった。「日本に行ったことがあるか」と尋ねると、「30回くらい行った」、「毎年行っている」という答えが返ってくる。隣席となった背の高い男性は台中在住の外省人。中国語と台湾語、イーラン(宜蘭)で話されている日本語クレオーレのことなど、かなりつっこんだ話しをした。

この台湾人男性はタリンのゲストハウスで盗難に遭っている。ガラス越しに外から見える部屋に宿泊していたところ、部屋を留守にしていた際にガラスを破られてiphoneとiPadを盗まれたという。治安がいいといわれるタリンでもこうした事態が発生しうる。注意しておけばいいといっても、四六時中そうそう気を張ってばかりはいられない。運が悪かったとしか言いようがない。

台湾の3人組


リガのバス・ターミナルに着いたのは午後4時近く。バス・ターミナルの向かい側にはドーム型の建物がいくつか並んでいる。中央市場だ。

ホテルは予約していなかったが、Booking.comで旧市街にあるBoutique Hotel Justusに目星を付けていた。ヘルシンキで購入したSimカードはローミングをオンにすればここでも有効だった。地下道をくぐって旧市街に入り、Boutique Hotel Justusまで20分余りの距離を歩く。

とりあえず2泊したかったが、1泊分はLuxiaryの部屋しか空いていなく、値段が少し高くなっていた。

他のホテルもあたってみよう。グーグル・マップをたよりに近くのホテルに入る。受付はなく、1階はカフェ・レストランだった。レストランのウェイトレスによると、このホテルはオンラインで予約し、オンラインの指示に従ってチェックインするらしい。

ウェイトレスは親切だった。ホテルを探している私を助け、私のスマホからBooking.comに入力して、別のホテルを紹介してくれた。

だが、いずれも値段が高すぎることから、Boutique Hotel Justusに引き返した。都合よくシングル・ルームのキャンセルが出たらしく、合計147ユーロで朝食付きの2泊を確保できた。

Boutique Hotel Justus


受付の中年の女性にロシア語で「ロシア語をしゃべるか」と尋ねてみた。彼女もロシア人だった。エストニアと同じく、ラトビアのロシア人比率も50%程度らしい。これまたエストニアと同様、ラトビアでもロシア語の学校はすべて閉鎖されているという。受付にはもうひとり男性もいた。彼はラトビア人だが、ロシア語の学校の閉鎖については強く反対していた。

部屋でしばらく休んでから、6時過ぎにホテルに出る。受付のロシア人女性に「このあたりでミネラル・ウォーターを購入できるところはないか」と聞くと、「水はこのホテルでも売っているが、高いから、この店に行くといい」と地図付きでていねいに教えてくれた。

ホテルはリガの観光スポット「ブラックヘッド」(リガ創設800年を記念して1999年に再建された会館)のすぐ近くだ。水を売る店はブラックヘッドの向かいにあった。

ホテルからブラックヘッドへ向かう

水を購入し、小雨が降っているなか、リガの旧市街を探索する。気のせいか、タリンの旧市街より雑然としている印象を持った。しかし雰囲気は似ており、それなりの風情がある。

雨に濡れる旧市街(1)

雨に濡れる旧市街(2)

先ほど水を購入した店はRimi Express。Rimiはタリンでも見かけたチェーンのスーパーで、Rimi Expressはそのコンビニ版といったところか。しばらく歩いていると、ちゃんとしたRimiが見つかった。ここで、夕食用のパンとニシンの酢漬け、マンゴー・ジュースを購入し、ホテルに戻った。

夕食(ちょっと食べ過ぎか)

2025年7月27日日曜日

バルト3国+ヘルシンキ2025 五日目(再びタリンへ)

 7月6日

今日はヘルシンキを離れる日。再びタリンへ戻るか、それとも次の国のラトビアへ向かうか、少し迷った。ヘルシンキからラトビアの首都リガまでのフェリーもあるらしいが、なにぶんにも時間がかかる(18時間との情報もあった)。朝早くフェリーでタリンへ行き、その日のうちにバスでリガへ向かうことは可能だが、早朝からばたばたするのはおっくうだ。

結局、タリンでもう1泊することにし、フェリーを予約した。午後1時半にヘルシンキを出て、3時30分にタリンに着くフェリー。ヘルシンキまで来たときと同じ運行会社の同じフェリーを選択した。

朝起きたとき、腕時計が止まっていることに気がついた。電池が尽きたのだろう。スマホがあるから時間の確認はできるが、ちょっと不便だ。

8時前に朝食を済まし、浴槽につかってのんびりしてから、10時40分にホテルをチョックアウトした(ボックスにカードキーを入れるだけで完了)。

トラムに乗ってターミナル2まで行き、フェリーに乗船。定刻どおりにタリンのターミナルDに到着した。この日の宿はBooking.comで予約していた。前回に泊まったSt. Olaf Hotelにほど近いThree Crowns Residentsというホテル。

多少は土地勘のある場所だから、小雨が降ったり止んだりしている中、徒歩でホテルに向かった。

Three Crowns Residentsは朝食付きで1泊45ユーロ(7500円強)。St. Olaf Hotelより少し安いが、その分だけ部屋が狭く、若干見劣りがする。

Three Crowns Residents


部屋で体を休めてから、6時過ぎに外に出る。雨はあがっている。すでに馴染みの街を少しぶらつく。

旧市街をぶらつく

2日の滞在にもかかわらずまだ口にしていなかったタリン料理を試してみたい。ホテル近くのラエコヤ広場はいくつかのレストランに囲まれている。観光客向けだから値段は高いが、それを承知で、そのうちのひとつに入り、今回の旅行で特に気に入っているニシンの酢漬けとハニー(蜂蜜)ビールを注文した。

料理を持ってきたウェイトレスにロシア語で「ロシア語をしゃべるか」と尋ねた。「しゃべる。ロシア人(ルースカヤ)だから」との返事。

彼女はエストニアの生まれではなく、カザフスタンとの国境近くのシベリア出身とのこと。残念ながらロシア語で会話を続けることができず、だんだん英語になっていく。サンクトペテルブルクの大学へ行った流れで、エストニアに落ち着いたという。

エストニアでのロシア人の比率は40~60%とのこと。先日エストニア人の男性から得た情報と合致する。10~20%という思い込みは私の間違いだった。

「今のエストニアでロシア人として生きるのはどうか」と聞いてみた。「非常に悪い。エストニア人はロシア人を憎んでいる(Very bad. They hate Russians.)」という回答だった。この正直な答えにはちょっと驚いた。彼女によると、エストニアではロシア語の学校が閉鎖され、ロシア語での教育が不可能になっているらしい。

料理とビールの代金は28ユーロ強だった。ウェイトレスにチップを渡すために、クレジット・カードではなく、現金で30ユーロ支払った。ウェイトレスは最後にspirits(蒸留酒)をサービスしてくれた。少量だが強い酒だ。

ニシンと蜂蜜ビール

ロシア人のウェイトレス

サービスのスピリッツ

レストランをあとにしてホテルに帰ったのは9時ごろだったが、外はまだ明るかった。明日はバスでラトビアの首都リガへ向かう。


バルト3国+ヘルシンキ2025 四日目(ヘルシンキ)

 7月5日

朝起きてまずは風呂。浴槽にゆっくりつかってから、7時半ごろに朝食会場へ行く。広い。人も多く、ビュッフェの種類も多彩だ。ところどころ日本人の客もおり、日本語が聞こえる。おそらくツアー客だろう。

朝食(1)


朝食(2)


10時半にホテルを出る。目指すはヘルシンキ大聖堂。ホテルから歩いて行ける距離だ。

工事中の大聖堂の前で、イスラムの旗を振っている一群が目に入る。広場には旗を持った黒づくめの集団。時節柄、ガザに関連する抗議の集会かなと思った。

大聖堂前

大聖堂前の広場

抗議活動ではなかった。彼らはイラク人で、この集会はムハンマドの孫のフセインの殉教を悼む「アシュラ」だった。参加者のひとりから英語のビラを渡されて合点がいった。つまりはイラク人シーア派の集まりだ。アシュラは40年前にイランのテヘランで経験しているが、あのときは11月だった。

大聖堂前には台湾人の団体もいたので、声をかける。台湾人や韓国人の団体に声をかけると、誰か1人か2人日本語をしゃべれる人がいる確率が高い。この日も日本語で返事が返ってきた。

大聖堂から少し行くと野外マーケットがあり、食べ物や土産物を売る露店が並んでいる。食べ物はおいしそうだが、ほとんどが10ユーロ以上で、それなりに値段もはる。

野外マーケット

野外マーケットのすぐ近くに「オールド・マーケット・ホール」という屋内マーケットがある。

オールド・マーケット・ホール

この中のひとつの店でサーモンの小皿とカフェ・ラテを注文した。併せて10ユーロ。店員は東洋人風の中年の女性だった。尋ねると、予想どおりベトナム人。遠く離れたフィンランドで小さいとはいえ店をひとりで切り盛りするのは並大抵ではないだろう。この女性が店主なのか雇われ店員なのかは不明だが、ベトナム人のたくましさを再度確認させられた。2009年にマリの首都バマコで小さなレストランを経営していたベトナム人男性と遭遇したことが思い出される。

サーモンとカフェ・ラテ

オールド・マーケット・ホールを出て、エスプラナーディ公園を歩く。土曜日ということか、公園の入口では舞台が設けられ、バイオリンのデュオが演奏していた。このあたりはヘルシンキの観光の中心らしく、marimekkoの店などもある。marimekkoなるブランドはヘルシンキへ来るまで知らなかった。

エスプラナーディ公園

ヘルシンキの街をあてもなくぶらぶらしてから、中央駅を経て、3時ごろにホテルに戻った。

5時過ぎに再度外へ出る。小雨が降っている。長袖シャツ一枚では少し寒い。酔っ払いが目に付くのは昨日と同じ。あきらかにアル中らしい中年の男性が多いが、少数ながら女性も交じっている。中央駅の裏側まで足をのばしてみた。

夕食はスーパーで買った寿司とビールで済ませた。併せて14.9 ユーロ(2500円ほど)。レストランを避けても出費はかさむ。

寿司とビールで夕食



2025年7月26日土曜日

バルト3国+ヘルシンキ205 三日目(ヘルシンキへ)

 7月4日

7時半に朝食。今日は広い朝食会場がかなり賑わっていた。酢漬けのニシンをたっぷりと皿に盛った。

賑わう朝食会場


今日はフェリーでヘルシンキへ向かう日。9時過ぎにチェックアウトして、フェリー・ターミナルDまで歩く。

マシンでチェックインして船に乗り込む。韓国人の団体がいたので、少し言葉を交わした。フェリー内にはビュッフェ式のレストランやカフェ、バーガーキングのほか、免税店やスロットマシーンなどが用意されている。いずれにしてもたった2時間。ビールやコーヒーにお金を使うことなく、デッキに出たりしているうちにヘルシンキに到着した。

フェリーのデッキ

ヘルシンキでは2泊する予定だが、ホテルは予約していなかった。ただ、Booking.comで目星を付けているホテルがある。ヘルシンキ中央駅近くのOriginal Sokos Hotel Presidenttiという4つ星ホテルだ。

フェリーが到着したターミナル2から中央駅までトラムで行く(フェリーの女性職員が行き方をていねいに教えてくれた)。駅に着いてから、キオスクでSimカードを4.9ユーロ(容量はよくわからなかった)で入手。Simカードの設定には苦労したが、おもしろくもないから詳細は省く。

中央駅から7、8分歩くと、目指すホテルが見つかった。

ヘルシンキ中央駅

大きなホテルで、部屋は空いていた。Booking.comでの値段は1泊159ユーロ。私が支払った2泊分の代金は310ユーロ(53000円近く)だった。

私にとっては高級ホテル。たぶんこれまで泊まったホテルのなかでは最高値だろう。高いだけあって、ジムもあればプールもあり、サウナもある。水着を持っていないこともあり、これらは利用しなかったが、バスタブがあるのはありがたかった。バスタブは一日2回使った。

Original Sokos Hotel Presidentti

部屋で一休みしてから、5時過ぎに外に出る。トラムで中央駅まで来る途中の風景は閑散としていたが、中央駅周辺はそれなりに賑わっていた。目に付いたのは酔っ払い。ホームレスもいれば物乞いもいる。タリンでは見なかった光景だ。

駅の構内に大きなレストランがある。朝食以来なにも食べていない。とりあえずここで腹を満たそう。メニューはイタリア料理が中心みたいだ。パスタ・カルボナーラとフィンランドのビールを注文。びっくりするのはその値段。併せて28.30ユーロ。日本円にすれば5000円近い。ぼられているわけではない。これが西ヨーロッパの物価(そして安い円)の現実なのだ。これからはホテルの朝食をしっかり食べ、昼食は抜き、夜はスーパーの食品でまかなおうと心に決めた。

パスタ・カルボナーラとビール(これで5000円近く!)

スーパーで多少の食べ物(何を買ったか失念した)と水を購入してホテルに戻り、ヘルシンキの第一夜を終えた。


2025年7月25日金曜日

バルト3国+ヘルシンキ2025 二日目(タリン)

 7月3日

7時半に朝食会場に行く。会場は2部屋で広いが、客はあまりいない。せいぜい3、4組か。ビュッフェ式の朝食は充実していた。特においしかったのはニシンの酢漬け。以後、今回の旅行ではほぼ毎日ニシンの酢漬けを口にすることになる。

朝食

「地球の歩き方」によると、旧市街には「トームペア(Toompea)」なる観光スポットがあるらしい。ここをタリン観光の第一歩としよう。グーグル・マップに示された「トームペア」まで行くが、何も見当たらない。それもそのはずで、トームペアとは城壁に囲まれた丘の一帯を指し、特定の構造物を意味するわけではない。グーグル・マップ上の表示の仕方に問題がある。

ともあれトームペアを探す過程で、何人かに声をかけた。トルコ人母娘やウクライナから来た若いカップルなど。ウクライナ人カップルはなんとマリウポリ出身だった。マリウポリといえば、少し前にロシアとウクライナの激しい攻防の場となった都市で、現在はロシア軍の支配下にある。カップルは20歳代前半といったところか。「前線で戦わなくてもよいのか」とは口には出さない私の疑問。

ベンチに座っているエストニア人の男性にも声をかけた。ガールフレンドの90歳の母親に会いにバスで出かけるところというこの男性とは30分近く話した。エストニアのロシア語話者の割合はおよそ50%という。この時点では「バルト3国内のロシア人の割合は10~20%」という誤った固定観念があった私は、「50%というのはロシア人の割合ではなく、ロシア語が話せる人の割合だろう」と勝手に解釈した。

見つからないトームペアはあきらめ、展望台に至る階段を登った。ここではじめて、この高台の一帯がトームペアだと気づいた。

展望台からの眺め


展望台から坂道を下っていくと、アレクサンドル・ネフスキー聖堂や城壁などのモニュメントが目に入ってくる。

アレクサンドル・ネフスキー聖堂


城壁

2時頃にホテルへ戻って一休み。

さてこのホテルに泊まるのは今日まで。明日以降どうするか。当初は3日目はエストニア第2の都市であるタルトゥ(Tartu)への移動を考えていた。だがタリンからフェリーで2時間ないし2時間半でフィンランドのヘルシンキへ行くことができる。ヘルシンキには2004年にサンクト・ペテルブルクへ行く途中に1泊したことがあるだけ。せっかくの機会だ。タルトゥはあきらめ、ヘルシンキまで足をのばそう。日帰りや1泊も可能だが、思い切ってヘルシンキで2泊することにした。

というわけで、明日のタリン発ヘルシンキ行きのフェリーをオンラインで予約した。10時30分にタリンのDターミナルを出て、2時間でヘルシンキに着く。代金は6800円強。

再びホテルを出て、Dターミナルまで約20分の距離を歩いてみる。Dターミナルの近くにショッピング・モールがあり、その中の「Chi」というレストランで遅めの昼食(5時ごろだったから早めの夕食といったほうが正確かもしれない)をとることにした。席についてから判明したことだが、Chiはインド料理の店だった。注文したのはブータンでも食べたモモ(餃子の一種)とエストニアのビールで、代金は12ユーロ(2000円ちょっと)。エストニア料理でなかったのは残念だが、おいしかったのでよしとしよう。

モモとビール


食事を終えて外へ出ると、小雨が降っていた。配車アプリのBoltを使ういい機会だ。ちょっと大きめのビルの前でBoltタクシーを呼び出すが、スマホ上でArriveとなっても、それらしき車が見当たらない。Boltに正しい電話番号を登録していなかったこともあり、運転手とドッキングすることができず、「無断キャンセル」の罰金3.8ユーロの罰金をとられるだけの結果になってしまった。

幸い雨は止んだので、ホテルまで濡れずに帰ることができた。フムス(ひよこ豆のペースト)とコーラを買ってからホテルに着いたときには7時を過ぎていた。

2025年7月24日木曜日

バルト3国+ヘルシンキ2025 一日目(タリン到着)

 7月1~2日

バルト3国への旅行を思い立ったのは、アルメニアやアゼルバイジャンと同様、「まだ行っていないから」という消極的な理由からだった。つまり、訪れた国の数を増やしたいという、ちょっと下衆な動機だ。

ともあれ、7月1日22時25分関空発タリン(エストニア)行き、7月13日20時20分ビリニュス(リトアニア)発関空行きのターキッシュ・エアラインズの往復便を197000円で購入した。

1日の夜に関空を飛び立ったターキッシュ・エアラインズ便はイスタンブールでの3時間余りの待ち時間を経て、午前11時半にタリンの空港に到着した。

新しい国に降り立ったとき私がまず行うのは、両替とSimカードの購入だ。両替については、手持ちのユーロとドルがいくばくかあったうえ、大阪の銀行ですでに2万円をユーロに換えていたので必要なかった。

問題はSimカード。空港にあるはずのSimカード売り場が見当たらない。いろいろ問い合わせ、空港の外に出て10分ほど歩いたショッピング・モールの中のキオスクでやっと4GBのSIMカードを4ユーロで入手。代金を支払おうとしたところ、カバンの中に入れた財布がなかなか見つからない。もたもたしていると、私の後ろに並んでいた20歳くらいの青年が「お金がないのなら、私が払おうか」と言ってくれる。現金が見つからなくてもクレジット・カードがあるから、青年のお世話にはならず自分で支払ったが、大金ではないとはいえ、思いがけない好意に驚いた。

通常なら店員がスマホへのSimカードの挿入や設定をやってくれるのだが、キオスクのおばさんにそんなことを求めることはできない。モール内のベンチに腰かけて、自分でカードを挿入し、PINコードを入力して、やっとネットにつながることがきた。

ホテルはBooking.comを通じて2泊だけ予約していた。旧市街にあるSt. Olaf Hotelだ。朝食付きで1日目が59ユーロ、2日目が64ユーロ。かなり高いが、旧市街ではこれより安いホテルを見つけるのが難しい。

空港から旧市街までは15番のバスで行けるらしい。ショッピング・モール前のバス亭でしばらく待つとバスがやってきた。料金の2ユーロはクレジット・カードをタッチして支払う。どこにタッチするかは乗客のおばさんがロシア語で教えてくれた。

旧市街らしきところに来たところでバスを降りる。グーグル・マップで調べると、降車した地点からSt. Olaf Hotelまでは徒歩で14分の距離。これはつらかった。機内であまり寝ていないの疲労困憊していたうえ、バックパックが背中に食い入る。途中で休みながら、30分ほどかけてようやくホテルにたどり着いた。タリン空港に降り立ったのは11時半だが、ホテルにチェックインしたときには午後3時を過ぎていた。

 St. Olaf Hotel


部屋で体を休めたあと、5時過ぎに外に出る。旧市街の中心ともいうべきラエコラ広場までは歩いて5分ほど。趣のある、きれいな石畳の通りが広がっている。目に付いたのは観光客の多さ。大半が欧米人のようだ。

ラエコラ広場

タリンのストリート

5時を過ぎても陽光が降り注ぐ小ぎれいなタリンの街を当てもなく歩く。旧市街の入口になるヴィル門も見た(このときはヴィル門だとは認識していなかった)。

ヴィル門


スーパーで夕食用にビール、缶詰、サラダ、チョコレート、水などを購入し、ホテルへ戻る。

疲れ切っていたせいか、この日は7時過ぎに部屋の明かりをつけたまま寝入ってしまった。